1 不条理に抗う者
世界は常に不条理だ。
弱者は常に虐げられ、強者に搾取される運命にある。
その立場は生まれついた環境が多いだろう。
弱者が強者へと成り上がれるやつなんて、ほんの一握りしかいない。
そして弱者から成り上がったやつは、大抵幸せな老後は過ごせない。
彼らは周囲へのギャップに戸惑い、狂い、結局本当の意味での強者たりえずに死ぬ。
つまり、弱者は弱者。成り上がったところで弱者でしかなく。
強者から奪われ続ける、惨めで不条理で不合理で否定的な人生を歩むしかないのだ。
――こうして弱者と強者を語る俺も、残念なことに弱者でしかなく。
俺は自分の右手を握る小さな存在に笑みを向けた。
「シルビア、安心しろ。俺が――お兄ちゃんが、お前を守るから」
桜色の瞳を潤ませてぐずる少女シルビアの頭を撫で、それからそっと手を離す。
「だからお前はここにいろ。お兄ちゃんが全部終わらせて、すぐに戻ってくる」
「ぐすっ………ヤぁ! おにいちゃあんも、いっしょなの!」
「……そうだよな、イヤだよな。俺もシルビアと離れるのはイヤだ。でも、これからもずっと一緒にいるには……これしかないんだよ」
俺はシルビアの額に人差し指で『○』を描くと、おやすみと耳元で囁く。すると少女の体は急に力が抜けたようにふらつき、咄嗟に支えて近くの椅子へともたれかけさせると、首に提げていた首飾りの石をシルビアの首へとかける。
「母さん、シルビアを守ってくれよ」シルビアの頬にキスを落とした。
それから俺は“秘密基地”である廃墟から抜け出し、誰もが寝静まった町をゆったりと歩きながら教会へ向かう。
当然、こんな時間に教会は開いていない。しかし、地下へと通じる道は別だ。
教会の裏、干からびた噴水に溜まった落ち葉をどかせば、そこには安っぽい木製の扉が見えた。
それを開ければ、暗闇へと伸びる下り階段と、嗅ぎ慣れた異臭と嬌声と悲鳴が鼻と耳につく。
――――今晩も行われているようだ。
「毎晩毎晩よく飽きねぇよな……ホント。でも、これで終わりだ」
扉を閉めてそこに人差し指で『○』を描く。
「“巡れ巡れよ循環たる輪廻の流れ。辿れ辿れよ輪廻の渦。――扉よ、消え去れ”」
その無感情な言葉の通り、瞬きした直後にはすでに扉は視界からなくなっていた。
……本当に出来たな、と扉があった場所を指で撫で。それから後ろへ振り返る。
「お前の言うとおりになったよ……助かった」
「アタシはただ助言しただけさ。キミは魔力保有者だから、きっと魔法が使えるって、ねぇ?」
俺の後ろで当たり前のようにそこにいたのは、一人の女だ。ド派手な赤いドレスに身を包み、妖しい瞳と口元が弧を描く。
「でも本当に良かったのかしら? そこ、キミにとっても特別な場所ではなくて?」
ゆったりとした口調の彼女に言われ、扉があった場所を一瞥して鼻で笑った。
ハッ、特別!
確かに特別と言えば特別だったのかもしれない。
なにせ俺はこの教会の地下で生まれ育った。
乱交場であったこの教会の地下で。
「そうだな。こんな腐った特別な豚小屋は、蓋して無かったことにするのが一番いい!」
この教会の神父であるオズワルドは最低なクズ野郎だ。
この地下に信徒である女を連れ込んでは無理矢理暴行し、町の有権者たちにもそれを分け与え。女たちが陵辱される様子を眺めて楽しむような狂った男だった。
そして俺の母親もまた、その被害者だった。
誰ともしれない男の種から生まれた俺。それでも母は男たちに嬲り殺されるまで、愛してくれた。
でも母が死に、俺に待っていたのは臓器売買と奴隷市場で売られる二択だった。
切り刻まれて死ぬか、物として扱われて死ぬか。
非力で幼かった俺は「死ぬ」ことへの恐怖でおかしくなりそうだった。
そんなときに出会ったのがシルビアだ。
俺と同じ境遇の子供の一人。でも俺よりも幼い、可愛い女の子。
シルビアは臓器売買よりも、奴隷か売春目的で売り出されることは目に見えていた。
弱者である俺よりも弱者。か弱い小さな子供。
シルビアが「おにいちゃん」と呼んでくれたあの日から、―――俺はシルビアにとっての強者でいようと決めた。
搾取し、搾取される関係じゃない……妹を守る兄として。
「あとは――――」
乱交場であった地下は塞いだ。
残るは、
「貴様ら! 何をしてる!」
ああ、自ら来てくれるなんて。手間が省けた。
俺と女は視線だけを動かし、神父服を着た男を確認する。
オズワルドだ。
「ほら、これを使うといいわ」
立ち上がった俺にどこから取り出したのか剣を差し出してくれた。柄だけ握って鞘から抜けば、鈍色が月明かりに照り輝く。
「おいっグリード、私に楯突くつもりか? 分かっているんだろうなぁ……貴様の妹の命運を握っているのは私だぞ?」
俺が魔力保有者であることを知ったとき、オズワルドは俺を家畜にすることを選んだ。
この世界で魔力を持ってる人は少なく、そして魔力という強力なエネルギーを欲する人も国も多い。魔力があれば魔法を使える。どんな技術兵器よりも強力な魔法は、戦争の道具としても優秀らしい。
だから魔石を使って俺の魔力を搾取し、それを高値で売買していた。
だがオズワルドは危惧していた。
俺がいつか魔法を使って反逆するのではないのか、と。
そこでオズワルドはシルビアに目をかけ、彼女に傷ついて欲しくなければ従えと脅迫してきたのだ。
わざわざ奴隷の首輪(主人の命に反抗すると喉仏を大きな針で穴を開ける)を用意してシルビアにつけた。
「残念だけど、それはコレのことかしら、ねぇ?」
「なっ―――!?」
女がオズワルドに見せつけるように掌を広げると、まるで手品のように奴隷の首輪が現れた。
絶句するオズワルドに、俺は剣を振りかぶる。
「これで本当に終わりだよ、オズワルド」
初めて振るった剣は滑るように男の胸部を切り裂いた。
吹き上がる鮮血。
オズワルドの手が救いを求めるように俺へ伸びるが、再び剣を振りかぶって右手首を両断。
「―――っあ、がっぁ!」口から血泡を垂らしながら地面にぐしゃりと倒れると、俺は顔に付いた血を袖で拭い、それから剣を男の腹に突き立てた。
「ぐ」
「痛いか、オズワルド。でも、みんな痛がってた。母さんも、他の人も、シルビアも。お前の命がいくつあってもそれこそ足りないくらい、痛みに耐えてた。―――だからさぁ、簡単には死なせないから安心しろよ」
俺はオズワルドの額に『○』を描いた。
「“巡れ巡れよ循環たる輪廻の流れ。辿れ辿れよ輪廻の渦。――傷よ、塞がれ”」
流れた血も、分断された手首もそのままに、男の傷口が綺麗になくなる。
だが痛みがなくなるわけではない。
今度は太ももを狙って剣を突き立てようとしたとき「わ、悪かった! 謝るから――――」と泣きながら乞うオズワルドの言葉を聞き流し、剣先を落とす。太ももを刺し貫いて激痛に喚くオズワルドの左耳を切り落とし、また魔法で傷を塞いでやる。
「た、たすけ」今度は左肩を刺し、足の指を切断。また魔法で傷口だけを塞ぎ。
―――そんなことをどれだけ繰り返したのか。
「それはもう屍じゃないかしら」
女の言葉にハッと我に返ると、足下に転がる血肉の塊に首を傾げる。
……いつの間にかこんな散らかしてしまったようだ。
「グリード、おいで」
服も顔にも返り血でドロドロだと眉を顰めていると、女が俺の名前を呼ぶ。
「協力ありがとう」と剣を返そうと寄ると、それはキミにあげると鞘も貰った。高級ではなさそうだが切れ味もいいし、そこそこ良い剣だとは想うが。……貰える物は貰っておこう。
剣にもこびりついた血を服で拭ってから鞘に納めると、突然女に抱きしめられた。
なんだか良い匂いがする。
「グリード。これでキミはアタシのモノ」
「約束は守るよ。俺はマザー、貴方のモノだ」
約束―――。
元々オズワルドを殺して地下を埋めることは計画していたが、その後の生活を考えると実行に移せなかった。今までは俺たちを飼い殺していたオズワルドが最低限以下の衣食住を与えていたが、それが無くなる。しかもオズワルドと通じていた有権者たちが俺たちを殺そうと探すかもしれない。
穏やかな普通の生活を、シルビアに与えてやりたい。
でも俺たちのような存在を擁護してくれる人なんていない。
有権者たちが黙ってくれるような権力を持ち、変な性癖とか持ってない、最低限でいいから衣食住を与えてくれる―――そんな都合の良い存在。
いるわけがない。
そう思いつつも探していた俺の前に現れたのがこの女――マザーと名乗る人だった。
マザーは国の上層部と深い関わりを持っているらしく、俺たちにとって都合が良すぎるほどの好条件を示してくれた。その交換条件が俺を所有物にしたいというものだったが、俺がどうなろうとシルビアさえ無事であれば良い。二つ返事で了承した。
……これでいい。
例え奴隷のような扱いされも、男娼として求められても、シルビアが平穏な生活を送れるならば。
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