第5話 歴史論

 高校にいると、こんな声を聞くことがある。

「日本史とか漢字ばっかりで全然覚えられない」とか、「世界史って横文字の世界過ぎて全然頭入ってこない」とか。時には、「歴史を勉強する、過去を勉強する意味が解らない」と言う人もいる。

 この三つのうち、前から二つは理解できる。確かに、日本史は(特に古代では)大友大連金村やら、盟神探湯という一見しただけでは何と読むか、知らない人には考え付かないような言葉まで登場するし、世界史は語らずとも横文字だらけである。歴史分野を、「歴史」ではなく単に「教科」としてみたとき、それは暗記の分野である。どれだけ人名や出来事、年号などを頭に入れ整理できているか。受験ではそれが重要である。

 然しながら、「歴史」を勉強するということは、単純な暗記モノであるということでいいのだろうか。歴史上の出来事や、そこに生きた人々を、ただの「点」としてとらえてよいのだろうか。

 これを語る上で、恐らく最も分かりやすいのが織田、豊臣、徳川の時代である。

 守護代の家に生まれた織田信長は、まず自国の尾張を統一し、室町幕府を滅亡させ、近畿を中心に地盤を築いていったが志半ばで自刃した。農民の家に生まれた豊臣秀吉は、信長に仕え、彼の死後真っ先に仇討ちを果たし、その地盤を引き継ぎつつ全国統一事業をほとんど完璧に成し遂げた。幼少期から人質であった徳川家康は、上述二人に相次いで仕えつつも、秀吉政権時には朝鮮に出兵せず、自国で力を蓄え、文禄・慶長の役で疲弊した豊臣政権と戦い、勝利して江戸幕府を開いた。

 これを読めば分かる通り、三人とも、急に出てきて急に政権を作り上げたり幕府を開いたわけではない。必ず、その前の行動が、人との繋がりがある。こうして遡れば、そもそも織田家や豊臣家がどうしてそこに住んでいたのか?守護代とは?など、過去に繋がる疑問はいくらでも湧いてくる。

 こんな、日本人の一般教養として問われるような人物の人生でなくとも、同じことが僕たちにはある。これを書いている僕は、どうしてこれを書くようになったか?まずこの執筆に使っているコンピューターは何故手に入ったのか?どうして今の家に住んでいるのか?これを読んでいる貴方も同様だ。何もなくコンピューターが手に入ったわけではない。何もなく急に今の家で生活し始めたのではない。事象の起因となるものはほぼ間違いなく過去にある。僕たちが、時間概念としての「今」を認識し、体感することが不可能である以上、想像の中の世界以外は過去で形成されるのだ。

 と、ここまで書けば、最初にあげた三つの発言の三つ目が如何に意味のないものか分かるはずである。過去を学ぶかどうか、それを選び取ることをわざわざせずとも、僕たちは半強制的に過去から学び、過去で考え、過去に実践している。学ばなくても体感している。それらに意味がないのだとしたら、今生きている世界(と書くときにはもうそれは過去になっている)で行うことにも意味はない。何故ならそれは過去で計画され、思考され、実践されたものであるからだ。

 だが、そういった観点ではなく、過去についての「不確実性」について発言しているものであるとすれば?きっと彼はそこまでの意図をもって言ったのではないだろうが、少し考えてみよう。

 今日の中世研究を見て分かるように、これまでの認識とは違う、再びスポットライトが当たることによって新しい認識が、事実が生まれるという過程からは、歴史の不確実さを見ることができる。昨日までは真実だったことが、次の日には全くの誤りとなることもあるのだ。それは遠い時代――旧石器や、ヒト誕生の頃というような――になればなるほど可能性が高くなる。

 大前提として、ヒトの生存可能年数を超えて、歴史を生身で体感することができない以上、一次資料として古文書などに頼ってその時代を「想像」することでしか、歴史の流れを視覚化できない。誰かの日記や、誰かの絵、埋没してあった道具や、ずっとそこにある建物。それらのおかげで、僕たちは平安時代の雅やかな文化や、戦国期の激しい動乱について詳しく知ることができるのである。僕たちが今生きているコンクリートジャングルも、何百年か経過して、それでもなお残っているものがあれば文化財クラスの扱いを受けるだろう。もっとも都市には高い自浄・更新能力があるので中々難しいであろうが。ともかく、そういった、歴史の言わば「上流」に生きていた人が「下流」に向けて(すべてのものが後世まで伝わる事を期してはいなかったろうが)ものを流し、「中流」くらいの地点で止まったり、陸に揚がって流れからスポイルされなかったそれらを「下流」の僕たちが受け取り、上流の人々の生活を想像しているというイメージを持ってもらいたい。この流れは不可逆であり、現在の技術では上流に達することは不可能である。であるから、「本当にこの資料はこの時代のものなのか?」というように不確実な部分が発生する。

 この不確実さが、下流まで流れついたのち取り除かれる事例も存在する。科学・数学系である。過去の偉大な学者が残していった数多くの公式や考え方は、現代の発達した手法によって証明されている。僕たちが数学の問題を解くときは、意識的にも無意識的にも過去の人々が作り上げてきた方法を使っている。使うためには学び、習得する必要がある。そこに意味を見出せないなら、勉強などしない方が賢明だ。

 不確実。不鮮明。これが歴史を学ぶ上で面白いことである。世界は五分前に出来上がったものであるという仮説に対して有力な反例を導き出せないように。たとえば源氏物語の写本だって、それが本当に、何百年も昔のものであるかどうかなど分からない。が、分からないからこそ面白い。懐疑主義的観点から歴史を見るということは、ともすれば自分自身が認識している現在の事象すら本当に怒っているのだろうか?と疑問を抱かせるものである。「ここにこんな名勝地があります」と言って、本当にそれが名勝地であるのか、そもそもその場所に名勝地が存在するかは行ってみるまで分からない。逆に、行けば分かるのだ。

 過去の時間に行くということはできない。これがまた難儀な部分である。実際に平安時代の貴族は、あの絢爛豪華な装束を着て、和歌や漢詩づくりや、蹴鞠などに興じたのか。まず彼らは存在しているのか。行かねば確証を得ることは出来るまい。写真が残り始めるようになった地点に行かないと、本当に島津斉彬が初めて写真を撮られたのかはっきりしない。西郷隆盛は絵画や銅像で見られるような貫禄のある体躯だったのか、会ってみなければわからない。

 このように、現代になって証明がなされてきた数学や物理などと比較して、歴史系には圧倒的にその確証が足りない。であるからこそ、やはり面白いのである。もしかすると、これまでの歴史というのはすべて壮大な空想かもしれない。現実には、雅な宮中の生活や、元寇や、安土城や、伊藤博文は存在しないかも、しれない。しかし、これが空想であるとしたら?ここまで精緻な、作りこまれた作品はない。作者不詳かつ、世の中で最も興味深い大長編物語。その中の、ごくごく価値としては小さいが、ちゃんと存在している一人一人が、僕たちなのかもしれない。

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