第4話 人生の辞表

 人生を辞める。そのために辞表を出したい。いや、叩きつけたい。具体的に言えば、ハンドボール選手がゴールの目の前、鬼の形相でボールを叩きこむようなイメージで。こう、スパーンッ!!!!!!!!!!と出して、颯爽と去りたい。

 誰に辞表を出すかだって?頭の中の自分に決まっている。友人に出しても恋人に出しても親に出しても意味はない。人生を辞めるということは現世の自分との別離である。誰も見聞きしてから帰ってきたことのない天国やら地獄やらで自分を再任用してもらうことである。

 かのダンテは、著書「神曲」で、自殺をした者が、地獄では木になり、新たに生まれる芽を怪鳥に啄まれ続けると記している。自分の肉体を身勝手に捨てた罪を償うためである。

 しかし、この世に生を受けたくて受けたわけでもないのに、どうして死ぬ時それが良いか悪いのか判断されねばならないのか。まぁ、これは、当時のキリスト教世界観が大きく影響しているのだが。

 キリスト教では、今でこそ強く言わないが、以前は自殺は「罪」とされてきた。神から与えられた命を、自分勝手に捨てることになるからだ。それに、教会や神父たちが「自殺してもいいよ」とあたかも奨励するようなことは間違っても言わない。そんなわけで、「神曲」の中では自殺も罪とされている。

 だが、本当に自殺は罪なのか。人生の辞表を叩きつけ、人生を辞め、天国か地獄か、または何らかの精神世界で再任用されることを望んではいけないのか。僕の考えではそれは否である。

 自由が蔓延してるこの世の中では、自分の生死を決めることすら、昔に比べて自由になった。自殺も比較的しやすい世の中である。あちこちに高層ビルが乱立、高速で駅を通過する鉄道など、首都圏では枚挙に暇がない。睡眠薬などをOD(適切な使用量を大幅に超えて薬物を摂取すること。オーバードーズ。)することもできるし、家の中じゃ首を吊ることもできるし車の中で練炭自殺することだってそこまで珍しくはなくなった。

 疲れた。何をやっても上手くいかない。自信も、実績も、何もない。いいことが、この苦境を乗り越えた先にあると信じていても、それがいつまでたってもやってこない。人を蔑み、罵り、虐めることを娯楽だと思う頭のおかしい連中のせいで学校も行きたくない。やってもやっても終わりの見えない仕事の山。食事などまともなものは最後にいつ食べたろう。薄給で支出ばかりかさむ。結婚することもままならない。子育てなんて、考える余裕もない。選手として、一番脂がのった時期なのに、不慮の事故で体に不自由が生じた。どうして。どうして自分が。

 ああ、もう駄目だ。

 疲れた。

 努力しても努力しても努力しても。

 良いことどころか、考えも、状態も悪い方へと向かっていくばかりだ。

 辛い。苦しい。

 さぁ、辞めよう。この生活を。

 せっかくいい時代になったんだ、自由になろうじゃないか。

 何も人生を辞めるだけが選択肢なんじゃない。学校が嫌で、でも勉強がしたい、学びたいというなら、無理していくことはない。虐められているなら、最低限その証拠を押さえて、もう学校など行かなければいい。仕事が嫌なら、さっさと辞めればいい。再就職?そんなことは実家に帰るなりなんなりしてゆるりと決めればよい。SNSの力に頼ったっていい。今どきの人は悪い人ばかりではない。もうスポーツができない?なら辞めたっていい。諦めきれないだろう。僕からは想像もできない葛藤があるだろう。しかし貴方は必ず一人ではない。一人で活躍などできるはずがない。家族が、コーチが、仲間がいるだろう。勉強して指導者になってもいいのだ。やり方はいくらでもある。

 それでも、人生を辞めたいのなら辞めるといい。止めることは、僕になどできない。但し、焦って死ぬのは止してほしい。どこか名勝へ行くか、温泉に行って、後先など考えないで、それから死んでほしい。残される側の人がいないはずはない。後期高齢者で身内も何もいないっていう方は是非、貴方のことを供養する自治体の職員やお坊さん、または神父のことを考えてほしい。

 未練のない人生などない。やり残したことなど、何百年生きてもなくならないだろう。できるだけ、未練を一つでも少なくして、ひと段落ついてから人生に辞表を出していただきたい。

 世界は、貴方の思うほどには嫌な場所ではない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る