風速8メートル

 川の表面が細波さざなみ立つのをじっと見つめていた。朝からずっと。


 用意された朝食に一口も手をつけず、一言も口を聞かずに家を出た。大学を休む連絡を友だちに入れた後、ずっとこの河川敷に座っている。


 今日はずっとここにいるつもりだ。

 陽気な日差しとは裏腹に、昨夜の台風の残りが木々の葉を揺らし、川面かわもを荒らすように吹き荒れている。じっと眺めているだけで涙がこみ上げてくる。


 昨夜、夢加ゆかは彼氏と家の近くのファミレスにいた。想いが通じ合ったばかりの彼とは、一時も離れていたくないほど盛り上がっていた。少しでも一緒にいようと、彼は家の最寄り駅まで夢加を送ってくれた。自分も同じ気持ちであることを示したくて、夢加はファミレスで朝まで過ごすことを自分から提案した。何が起こるか、想像するのは容易だった。ただ、その中でも一番最悪な想像が現実になるだなんて、思いもしなかった。


 過保護の父親が、夢加を探してファミレスまで迎えに来たのだ。雨でぐしょ濡れになったレインコートをはおり、「未成年の娘を夜中まで連れ回すとはどういう了見だ」と初対面の彼氏に怒鳴り散らした。


 周りの目が痛かった。彼氏の目を見るのも怖かった。父親に食って掛かると「お前は黙ってろ」としたたか頬を打たれた。父親の勢いをなだめるように「話を聞いてくれ」と懇願したが、父親はそのまま夢加を連れ帰った。


 深夜二時の出来事だった。


 幸いにも彼氏はこの出来事に引くことなくいてくれた。居住まいを正して大事に付き合って行こうと改めて思ったと言ってくれた。ただ、夢加の気持ちは収まらない。


 高校の時も我慢してきた。門限を気にせず遊び回る友達を尻目に、当時の彼氏とも高校生らしい付き合いをしてきた。

 そして、大学生になった。周りはもう、日付も関係なく遊び回っている。

 母親に連絡はいれた。「友達と駅前のファミレスにいる。朝になったら帰る」と。そんなこと、友達の誰もがやっていることだ。上京してきている友達なんかは、連絡を入れることすらない。自分は間違っていないはずだ。


 なんで私だけこんなことになるのか。

 信用されていないのか。

 私はもう十分大人なはずだ。

 友達の中でもしっかりしている方だ。


 どれだけ理由を並べても、わかってはいるのだ。誰に言われなくたって。自分はただ、とても大事にされているだけなのだ。わかっている。けれども認めたくない気持ちがある。


 誰にとって良いのか悪いのか――?

 一連の出来事は普通なのか異常なのか――?

 こんな父親を好きか嫌いか――?

 真っ二つに割れない気持ちの真ん中で、夢加はどちらにも動けずにいた。




 昼になり、友達に電話をかけた。つかまった友達に昨夜の一部始終をぶちまけた。気の済むまで、何人もの友達に電話をし、何人もの友達に聞いてもらった。

 途中、風に巻き上げられた芝が目に入り、涙をこぼした。




 日が落ち、風の勢いが夜目に心地よくなってきた頃、父親は静かに現れた。静かに隣に座り、昨夜のことが嘘のように静かに「帰るぞ」と言った。


 悔しかった。今回も、結局は父親が迎えにくるいつもの河川敷に座っていた。そんな自分が悔しかった。最後には許し合うことしか出来ない親子という仲が、なんとも言えないほど悔しかった。ただ、素直になれない自分は、まだ子どもなのだということが心に痛く分かった。


 父親の後ろについて、一日眺めていた川をもう一度振り返る。

 漆黒に塗られた川は穏やかに凪いで街の光を反射していた。

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にこぐるま しゅりぐるま @syuriguruma

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