第2話 戦場と家族

「……あ、う……あ…あぁ、分かった。」


止めていた足を再び動かし、突撃して行く味方に追い付こうと走った。


ヴェクティルだった肉塊に対して心の中で冥福を祈ったが、この祈りが天に届いたとは到底思えない。


ラネルは相変わらず表情一つ変えずに敵の砲撃を掻い潜り、味方に追い付くと戦車大隊の後ろに付いた。


死者数は既に数え切れない程に増えているが、要塞との距離は徐々に縮まって来ている。


ベルクトも要塞に近付いてきいる事に気付き、走る速度を上げた。

ただ、それが良い選択だったとは後のベルクトは思ってはいないだろう。


風切り音が聴こえた頃には既に遅かったのだ。

150ミリの榴弾が地面に着弾し、ベルクトの目の前で爆発した。


爆風で吹き飛ばされ、地面に思い切り叩き付けられた時の衝撃はいくら雪がクッションになっていたとはいえ骨の1本は折れてもおかしくはなかった程だ。


「あぁ……ぐっ…!」


破片が体のあちこちに当たったのか、野戦服が裂けており、そこの下の皮膚から血が流れ出ていた。


身体中の痛みを堪えながら左手を支えにして体を起こそうとすると、スルっとバランスを崩し、左に倒れた。


「あぁ……ん?」



何かしらの違和感に気付き、動く右手で左手の方を探ってみると……


左手は確かにあった。 ただ、肘から先の分しか無いが。


「だぁ!!クソっ!!」


悪態を吐きながらブランブランの千切れた左手を投げ捨てると、左手を失った事で何故か逆ギレしたベルクトはPPSh-41を右手に握り、戦車大隊を追い越して要塞まで突っ走ろうとしたのだ。


「おい貴様!何をしている!?」


たまたま近くにいた将校に取り押さえられ、後方に引きずられて行きながらベルクトは「テメェら絶対ぶっ殺してやらァァァァァァァァ!!!!!!」と叫んでいた。


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1950年 1月 1日


結局、ベルクトが目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。


起き上がってベッドから降りようとすると、病室のドアが何者かにノックされた。


「誰だ?」


「ゲド・ラネル上等兵であります。 入室しても宜しいでしょうか」


一定のトーンで淡々と告げるラネルにベルクトが「いいぞ」と許可をすると病室の扉が開き、冬季用野戦服と防弾ヘルメットではなく、隠密性に優れた迷彩柄の野戦服のお陰で今や制服代わりとなってしまった灰色の1号野戦服に身を包んだラネルが入って来た。


ラネルから見てちょうど正面にある窓から差し込んできた日光が彼女の黒く、短く切り揃えられた髪の毛を照らした。


ベルクトは昔、それも訓練生の頃からラネルという女を少し恐れていた。

新兵で初陣だった時も表情一つ変えずにただ現場の将校やベルクトの命令通りに動く彼女はまるで銃を持った機械のようだった。


彼女は親亜人派の国であるロイス帝国出身の純血の人間なのだが、本人から聞いてみるとどうやら幼少期の頃から既におかしかったようだ。


普通の子供であれば泣き叫ぶレベルの怪我を負っても苦悶の表情すら見せず、自分で適切な処置を施したり、どんなに怖いものを見せられたり聞かせられたりしても恐れる様子はない。


そして、何より異質だったのは死、というより命そのものに関心がないという所だった。


本人曰く遊びで虫や小動物を殺し、死体を弄ったりしていたとのことだ。


人間が亜人の住む都市を無差別爆撃し、それで両親が死んだ時も、悲しみ、憎しみ、怒り、いずれの感情も湧かなかったそうだ。


身寄りを失った彼女は流れで陸軍に志願し、現在に至る。


「あの……どうかされましたか?」


ラネルに声を掛けられてはっとしたベルクトは急いでベッドから降りると、部屋の脇のクローゼットに用意されていた自分の軍服を身に付けた。


彼女のあの光の無い死人のような紫色の瞳を見つめているとまるで吸い込まれていくかのような感覚に陥る。


なるべく目は合わせないように気を付けてはいるのだが、偶然目が合ってしまうと途端に謎の悪寒に襲われてしまうのだ。


「病院から早く出ましょう、伍長のご家族がお待ちですよ」


「りょーかい」


服装を正し、病院からそそくさと出て行った。


病院から出ると、目の前に見覚えのある人物が佇んでいた。


「ベルクト!!おかえりぃぃぃ!!!」


ベルクトの姿を見るや涙を流しながら見るに堪えない表情でいきなり飛び付いてきた彼女の名はライザ・シリル、ベルクトの姉である。


「ちょっ!?シリル!部下の前で止めてくれ!」


必死にシリルを引き剥がそうとするが、まるで木の幹にへばりついたカブトムシの様に離れない。


「うおぉおおおぉぉぉぉおおぉん!!6年ぶりだよぉぉおおおおおぉぉおおぉ!!!」


そう、情けない声で泣いているこの姉と顔を合わせたのは兵学校での訓練期間も含めると6年ぶりなのである。


「分かったからその情けない泣き声はやめろ!!そして離れろ!!」


何が分かったのかは自分でも分からないがとにかくシリルは引き剥がす事に成功した。


この後、何とかシリルを落ち着かせ、ラネルも連れて6年ぶりの我が家へと帰った。


「なんだ、随分と綺麗になったな。 いつの間に掃除なんて出来るようになったんだ?」


「酷いなぁ!……否定はできないけど。」


昔からシリルは掃除が苦手で部屋のあちこちにゴミが散らかっていたのだが、帰って見るとあの悲惨な光景が嘘のように綺麗になっていた。


これは今までの家庭の状況を知っていたベルクトからすれば天変地異にも等しい出来事だった。


シリルを小馬鹿にした様な言い方だったが、関心もしていた。


お陰で家の中は6年前より遥かに歩きやすくなった。


「ラネルちゃんもお帰り!すっかり逞しくなっちゃって!あれ…?これって女の子に言ってもいい台詞だったのかな?」


実はラネルの事は姉であるシリルもよく知っていた。


何故かと言うとラネルとベルクトの家は家2軒分というかなりの近所なのである。


幼少期はラネルと共に遊んでいた時期とあった。(ただし、生き物の死骸を弄るラネルを見てドン引きしていただけだったが)


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時計の針は既に7時を指しており、料理の並べられた食卓を3人が囲んでいた。


「あぁ…やっぱりこの味は忘れられねぇな…」


そう言いながらガツガツと姉特製のカレーを口に運ぶベルクトを見てシリルはフフッと小さく笑った。


その後は風呂に入ってサッパリし、シリルに戦場での思い出話や武勇伝を聞かせ、さっさと6年ぶりのフカフカのベッドに潜り、眠りについた。


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1950年 1月 3日 亜人同盟軍総司令部


総司令部の執務室に、電話で誰かと話している男がいた。

彼は亜人同盟軍の総司令官である。


「……あぁ、分かった」


誰かとの会話を終えると、黒電話のダイヤルを回し、今度は別の誰かと話し始めた。


「……選抜する兵士は既に決まっている。 明日、彼らに呼集礼状を出し、実家から呼び戻せ」


そう告げると、彼は受話器を静かに置いた。




「ふう……」


ポケットから煙草と"竜"の刻印が刻まれた金属製のライターを取り出すと、煙草を咥えて先端にライターで火を付けた。


「……全く……今思えば本当に馬鹿げた話だ」


「300年前に戻って亜人敗北の原因である四十勇者を殺すなんてな……」


彼の口から吐き出された白い煙が執務室の天井まで舞い上がった。

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