1-19 轟く砲声③ ……セレン
鳴り止まぬ狂騒が全身を震わせる。
再び始まったそれらから逃げるようにセレンは目を閉じ、耳を塞ぎ、神に祈った。
ミカエルと別れ退避した屋形馬車の中で、セレンは十字架のペンダントを握り締め、祈った。戦う教会遠征軍の者たちに……。自分を守ってくるれる親衛隊の白騎士たちに……。そして、強き意志を携えた月盾の長と、勇敢なる月盾の騎士たちに……。
神よ。どうか我らを守りたまえ。敬虔なる〈教会〉の子らを救済したまえ。二百年前、〈
しかしいくら祈りを捧げても天啓はなかった。手に握る〈神の依り代たる十字架〉は何も答えてはくれなかった。
終わることなき戦場の狂騒がその激しさを増していく。そのたびに祈りの歌は途切れ、揺れ、か細くなっていく。
(誰か助けて……)
時折、偽らざる本音が漏れる。
周囲の者に聞こえているかもしれないと思ったが反応はなかった。侍従長のリーシュら、同伴する侍従たちはみな祈ることに必死のようでセレンのことは見てはいない。
見られていないことにセレンはなぜか安堵した──聖女の化けの皮が剥がれ、人形同然の中身がバレていないことに……。
(すぐ外では殺し合いをしているというのに、命の危険に晒されているというのに、こんな些末なことを気をにするなんて……)
己の矮小さにセレンは思わず自嘲した。その自嘲はやはり周囲にはバレていないようで、セレンはまた安堵した。
しかしそんな安堵も束の間、始まりの雷鳴が再び全てをかき消した。
刹那、体が宙に浮いた。
あまりの轟音に、木造の馬車が軋み、揺れる。窓枠は震え、ガラスには無数の亀裂が生じる。
間髪入れず、さらなる雷鳴が轟く。鈍い金属音と泥が飛び散るような音がゴロゴロと転がっては消えていく。
そして音が消える。
しばらくの間、あらゆる音が聞こえなくなった。外の狂騒はおろか、同伴する侍従たちの悲鳴も、何か喋っているリーシュの声も、聞こえなかった。
「頭を下げて下さい!」
耳元で遠くぼやけた声が響く。リーシュが覆い被さるようにしてセレンの体を押さえる。
それなのに、セレンは顔を上げていた。
危険は嫌というほど理解していた。それでもセレンは、馬車の車窓から、外の景色を覗いてしまった。
車窓から見える冬は赤かった。
血帯び燃え上がる夕景に、戦場には不釣り合いな笑い声に、セレンは己の目と耳を疑った。
赤い粉雪が舞い散る中、笑い声が近づいてくる。飢えた怪物の如き奇声を上げる狂獣たちが、飛ぶようにして馬を駆り、その極彩色を露わにする。
熊のような大男が血飛沫を巻き上げ、その先頭を飛翔する。
目に映る全てが恐ろしかった。それなのに、目を背けたくなる光景を前にしても、しかし目は離せなかった。
車窓の外で果てなき惨劇が続く。喊声、怒号、罵声……。絶叫、悲鳴、断末魔……。あらゆる声色が、剣戟と銃声の間に間に響いては消えていく。
また北風が吹き荒ぶ。何かが風を切り、天使の錦旗を持つ旗手が射殺される。旗手が倒れると同時に、十字架を奉る天使の紋章も地に崩れ落ちていく。
状況は何もかも理解できなかった。
第六聖女親衛隊は五千人いた。ここボルボ平原で戦いが始まったとき、本隊には五万人の兵がいた。初期の動員兵力ならば十五万人もおり、彼我の国力差は、五万人の動員が限界と予想されていた〈帝国〉を圧倒していた。それなのに、それだけの数の兵に守られているはずなのに、セレンは今、死地にいる。
〈第六聖女遠征〉を実質的に取り仕切っていたヨハン・ロートリンゲン元帥は鉄の修道騎士と名高い将軍だった。その息子であるミカエルは、ロートリンゲン家の精鋭部隊である
なぜか、遠征が始まる前に教皇猊下から贈られた言葉を思い出す。
大義と正義は〈教会〉にあり勝利は約束されている……──はずだった。
〈
それなのに教会遠征軍は負けている。
古き伝承を信じるならば、数多の絵画に描かれる様を信じるならば、〈
なぜ? 何で? どうして……? ──考えてもセレンには何もわからなかった。
戦場で私は何もできない……──その感覚だけはなぜかはっきりとわかった。
そして息をすることさえ忘れ、セレンは白い闇の中へと落ちていった。
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