1-20 邂逅する両刃 ……オッリ
風に舞う血飛沫は最高に心地よかった。
鳴り響いた砲声に続き、オッリは駆け出した。
穿たれた隊列の間隙に突っ込む。味方の砲撃に合わせ、
斬り込むと同時に
もう夕陽は落ちかけ、あとはその残滓が地平線を僅かに照らすだけである。だが、燃える残滓の焦燥に駆られたかのように、極彩色の獣たちはまだ飽き足りぬと暴れ回り、殺し回る。
親衛隊の連中はあからさまに弱兵であり戦いがいのある相手ではなかった。それでもオッリは何もかもが楽しくて仕方なかった。
吹き抜ける風に笑いを乗せ、オッリは敵を蹂躙した──勇者を嬲り殺し、逃げ惑う女を犯し、王侯貴族どもの財宝を奪い取る。尻を蹴り上げ、逃げ回る背に矢を射込み、血の雨を〈
混乱する親衛隊の陣内でオッリは好みの女を見つけた──目的の第六聖女ではなく侍従の身なりをした奴だが、子供ながらによく育っている、いかにも育ちの良さそうな、うら若き乙女。
少女を守ろうとした司祭の頭をウォーピックで砕く。頭蓋が割れ、眼球が飛び出し、血みどろの脳漿が薄汚れた白の僧衣を赤く染める。
「こういうときは、ご機嫌麗しゅうって言うんだろ? お嬢ちゃん?」
オッリは満面の笑顔で挨拶したが、少女は死んだ司祭の足下で震えるばかりだった。
少女が何も答えないので、オッリはその小さな体を馬上から掴み上げ、後続の部下に投げ渡した。
「それは俺の女だ! あとでお前らにも分けてやるからちゃんと持って帰れよ!」
暇潰しの女を捕えると、オッリは再び馬腹を蹴った。背後から聞こえる部下の歓声と少女の声なき悲鳴はいい響きをしていた。
斬り込む。馬体で敵を吹っ飛ばし、馬蹄で敵を踏み潰す。敵兵を殺し、その血で道を切り開く。
混乱する戦列の中に天使の錦旗が現れる。周囲には複数台の馬車の車列と、それを守る親衛隊の白騎士たちも見える。
〈神の依り代たる十字架〉を奉る天使、第六聖女セレン──見たこともない最上級の獲物の姿を想像し、オッリは思わず笑顔が溢れた。
「こんちはぁ! 第六聖女様ぁ!」
天使の錦旗に向かい、オッリは叫び、挨拶した。当然、返事はなかった。
周囲に高貴で美しい女は見えない。恐らくは、震えながら馬車の中にでも隠れているのだろう。たかだか十歳そこらのクソガキが、乱戦の中で兵を鼓舞しているわけがない。遥か昔、〈
それに軍で一番偉い輩は、一際ぶ厚い人壁に囲まれ隠れていると相場が決まっている。ならば馬車の車列に火を点け、炙り出す。そして白馬の騎士様のように助けて出す。助けたあとは、思う存分楽しませてもらう。
オッリはウォーピックを弓に持ち替えると、天使の錦旗を持つ旗手に狙いを定めた。軽く放った矢は旗手の喉元に刺さり、天使の錦旗は力なく崩れ落ちた。
その一矢に激高したのか、地に落ちる天使を背に、白騎士の一団が向かってきた。
殺意に燃える鬨の声が、オッリの眼前でこだまする。
「いいねぇ! お偉方のお出ましかぁ!?」
集団の先頭、がっしりとした体躯の一騎が、ハルバードを手にオッリ目がけて突っ込んでくる。
目の前に迫る閃刃が殺意をまとい、唸る。予想以上の圧を前に、咄嗟に、身を翻す。
突き立てられたハルバードを躱す。鋭い風が頬を掠め、すぐ横を駆け抜ける。
ハルバードの閃刃に続き、無数の剣が立ち塞がる。
今は分が悪い──騎士の群れに包囲される前に、横っ跳ぶ。後続の数騎を殴り殺しつつ、オッリは最も手強いとわかるハルバードの閃刃に狙いを定めた。
その一騎と向かい合う。自然と、一騎打ちの空白が生まれる。
再び捉えたその姿を見て、オッリは思わず笑顔になった。ハルバードを構える白騎士は若い女だった。
「〈教会〉お得意の女騎士様か!? しゃらくせぇ!」
「薄汚い〈帝国〉の犬が! 聖女様の前から消え失せろ!」
罵声とともに、再びハルバードの尖刃が迫る。
「女が生意気な口利いてんじゃねぇよ!」
売り言葉に買い言葉だった。オッリは高揚する気分に身を任せるまま、ウォーピックを振り上げた。
互いの攻撃がぶつかり合う。
女騎士の一撃は、女とは思えぬほど重かった。二撃目、三撃目と、流れるような槍術の重圧は並大抵の男より優れていた。
だがしかし、それは実戦の技ではなかった。オッリにとっては所詮、貴族の剣術ごっこにしか思えなかった。
「殺す気あんのか、デカ女ぁ!?」
きめ細やかな装飾のハルバードの
ハルバードが宙を舞い、泥塗れの雪原に突き刺さる。女騎士の大きな体が馬上から転がり落ちる。純白の装具が血と泥に塗れ汚れる。地面に投げ出された女騎士が苦悶に顔を歪ませる。
それを馬上から見下ろし、オッリは愉悦に体を震わせた。
(こいつは頑丈そうだし、多少乱暴に抱いても大丈夫そうだ。何より、丈夫な子供を産みそうだ)
オッリは手を伸ばし、女を捕まえようとした。
しかし、鋭い物が指先を掠めた。
「クソ生意気な女騎士様だな! 気に入ったぜ! ヤるのは最後にしてやる!」
オッリは苛立ち、女騎士の顔面に唾を吐きつけた。しかし女騎士は汚泥に塗れながらも、不敵な笑みを浮かべたままだった。
そのときだった。不意に、背後で風が逆巻いた。
何かがすぐ後ろにいる。確固たる殺意に満ちた馬蹄の圧力。間違いなく味方ではない。
振り向き様、ウォーピックを構え直すが、間に合わないと悟る。
オッリはとにかく体を捩り、それを躱そうとした。しかし、尖刃は革鎧を引き裂いた。
衝撃が走るのと同時に、背中から血が流れ出たのがわかった。
背中に熱いものが滲み、痛みが不快さを増していく。
オッリは歯を食いしばって体を起こすと、吹き抜けた風の先を見た。
一人の若い騎士が、月盾の紋章を抱いた騎士が、天使の軍旗を守るように立っていた。騎士は血塗れだった。兜の
血に塗れながらもどこまでも真っ直ぐな青い瞳が、オッリの視線と交錯する。
若い──恐らく、息子のヤンネと同じような年代だろう──そしてどこか、どこかで見たことのあるような……。
オッリは吼えた。
何か熱いものが燃えていた。何が言いたかったのかは自分でもわからない。だがとにかく、その騎士に向かって吼えた。
吼え、馬腹を蹴ろうとしたとき、どこからか
両脇を抱えられ、馬の手綱を握られる。ウォーピックさえも、手から奪い取られる。
意に反して獲物の姿が遠ざかっていく。逆巻く風に、頬を打つ粉雪に、腸は煮えくり返った。しかし背中の流血は抗うことを許さなかった。
気づいたときには敵はいなくなっていた。目の前にあるのは
「おい、生きてるか?」
目の前に現れた黒騎士の表情は、暗くてよくわからなかった。
「勝手に死ぬなよ」
マクシミリアンの声は、いつもと変わらず落ち着いていた。
夜闇に向かい、オッリはまた吼えた。やがて地平線の残滓は消え、そして夜が訪れた。
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