1-18 轟く砲声②  ……ヤンネ

 突如として轟いた砲声が戦場の喧騒をかき消す。


 粉砕された長槍パイクの林が吹き飛び、鉄と肉が裂ける。銃声が、剣戟が、戦いの生む音が、一瞬にして静まり返る。

 祈りの歌声が消える。一瞬の静寂ののち、悲鳴と絶叫が虚空にこだまする。しかし立て続けに轟く砲声は戦場に聞こえるあらゆる声をかき消し、押し潰す。


 歩兵の攻勢の影で、鹵獲した野戦砲を牽引する黒騎兵オールブラックスの部隊とそれを準備していた味方砲兵が、第六聖女親衛隊の方陣に無数の砲撃を浴びせる。猛烈な火力が瞬時に戦場を支配する。放たれた鉄球が戦列に穴を穿ち、転がる鉄球が兵士の群れをすり潰す。


 夕景を覆う白煙の中、教会遠征軍の旗印である十字架を奉る天使の紋章がその衝撃に震える。


 そして道が現れる──燃える戦火に照らされ、血塗れの挽肉で埋め尽くされた、天使の錦旗へと続く道。


 ヤンネは驚嘆し、感嘆した。〈教会〉の十字架旗を穿つ砲火の衝撃はやはり圧倒的だった。



*****



 ヤンネはずっと騎士に憧れていた。しかし銃火が支配する戦場は確実に騎士を必要としなくなりつつあった。


 古の〈教会七聖女〉と救国の神聖騎士たちの物語は勇ましいが物語に過ぎない。〈東からの災厄タタール〉を討ち払ったとされる〈神の奇跡ソウル・ライク〉も〈教会〉により秘匿され、剣と魔法が戦場を風靡した時代はすでに伝承と化している。


 銃火器の登場により戦争は変わり始めている。特に、圧倒的な破壊力を持つ大砲と砲兵の力は目を見張るものがあった。

 〈帝国〉の皇帝グスタフ三世は、以前から軍事研究家たちに提唱されていた三兵戦術──歩兵、騎兵、砲兵を一体化させ運用する戦術思想──を、このボルボ平原の戦いで披露した。ヤンネも多少は軍学を修めていたが、それでもこの日見た帝国軍の戦いぶりには、圧勝という結果ぶりには、ただただ驚くしかなかった。

 グスタフ帝はそれまでは攻城戦や野戦での準備砲撃ぐらいでしか運用されていなかった大砲をより軽量化し、野戦砲として歩兵隊に随伴させた。マスケット銃兵と長槍兵からなる歩兵隊に大量の野戦砲を随伴させることで戦列の破壊力は飛躍的に増し、容易に敵陣を崩すことが可能になった。

 歩兵の密集陣形に対しては無力だった騎兵は、砲撃で穿たれた亀裂に突撃、突破することで、再び戦場の花形となった。ただし、従来の戦場で主役だった騎士とは違い、騎兵には斥候、索敵、陽動などの裏方仕事から、戦場で決定打を穿つための突撃まで、より幅広い役目が求められてもいた。そして、帝国軍でその核を担う部隊として編制されているのが黒騎兵オールブラックスであった。



*****



 騎兵であると同時に、ときには歩兵の、ときには砲兵の任務さえも兼務する黒騎兵オールブラックスの力の一端を、ヤンネはその目で見た。


 いつか俺も、一緒に……──戦いの最中、そんな思いが脳裏を過った。


 しかしそんな束の間の黄昏れも、耳障りな狂笑がすぐにかき消してしまった。


 砲撃によって穿たれた亀裂に、ウォーピックを手にした熊髭の大男が殴り込む。大笑いしながら敵中に躍り入る父オッリに続き、ヤンネの部隊を除く八百騎が、天使の錦旗目がけ殺到する。

「オラァ! 今が勝機だ! 大将首は俺が貰ったー!」

 味方の砲声と父の突撃に浮かされたのか、戦友のコッコが月盾騎士団ムーンシールズに向かい突撃する。陽動と足止めの命令を無視し、弓矢を手斧に持ち替え、月盾騎士団ムーンシールズの中でも一際派手な青羽根の騎兵帽の将校に襲いかかる。

 ヤンネと副官のローペは制止したが、二百騎の内の半数ほどはその場の勢いに任せ、コッコに続き突っ込んでいく。

 正面から群れがぶつかる。しかし月盾騎士団ムーンシールズは全く動じなかった。

 規律を保った剣と槍、そして無数の銃弾の前に、同胞たちが次々に落馬していく。

 対峙する月盾の騎士たちは突破どころか乱戦にさえ持ち込ませず、ヤンネの部隊を押し返した。

 その隊列の中心で、大剣を構え、鉄塊のような鎧を着込む人面甲グロテスクマスクの騎士がコッコの行く手を遮る。

 コッコが子供のように甲高い奇声を上げ、その大男に突っ込む。

 人面甲グロテスクマスクの騎士と、コッコがぶつかる──瞬きの間に、夥しい血が噴き上がる。


 目を開けたとき、そこにコッコの姿はなく、返り血を浴びた人面甲グロテスクマスクの騎士だけがいた。


 戦友の死が脳裏を過る──だが信じられぬことにコッコは生きていた。馬上から振り下ろされた大剣の下には、真っ二つに潰された馬と、血と臓物の中で尻餅をついているコッコがいた。


 ヤンネは馬腹を蹴り、駆け出した。

「若殿はコッコを拾って一旦後退なされ! あのデカブツの相手はわしがします!」

 戦鎚メイスを手に並走するローペが、人面甲グロテスクマスクの騎士に殴りかかる。鉄の塊がぶつかり合い、白煙の中に火花が散る。

「よぉヤンネ……。あれ、俺の馬どこだ?」

「このバカ! お前の馬はもう死んだ! さっさと俺のに乗れ!」

 ヤンネは一喝すると、その体を引っ張り上げ馬に乗せた。幸い、コッコは小柄なので持ち上げるのは楽だった。

「落馬した者を馬上に! 後退し、態勢を立て直す!」

 ローペが敵の気を引いている隙に部隊に後退を指示する。ヤンネの声で浮足立っていた兵が落ち着きを取り戻す。みな、素早い所作で馬首を返すと、騎射で距離を取り後退し始める。

 しかし、敵がそれを見逃すはずもなかった。

 後退するヤンネの背後で撃ち鳴らされる銃声が激しくなる。銃声が耳元を薙ぐ。身を屈め、離脱すべく疾駆する。人面甲グロテスクマスクの騎士の大剣をかい潜ったローペもヤンネのあとに続く。

 そのとき、白煙の隅で青羽根の騎兵帽が翻った。

 その鮮やかな風が現れると同時に、一発の銃声が鳴り響き、そして鋼の戦人バトルメタルの老兵が呻く。

 ヤンネは背後を振り返った。だが断末魔のようなそれは、立ち込める硝煙と雪煙で視認できなかった。


 白煙を抜けると雪原は薄暗くなっていた。地平線を燃やす夕陽はもうほとんど落ちかけていた。


 敵は深追いしてこなかった。

 人面甲グロテスクマスクの騎士に一蹴されたコッコはどういうわけか無傷だったが、不用意な突撃により少なからず損害は被った。馬の背に寄りかかる鋼の戦人バトルメタルのローペも、心臓を銃弾に貫かれ、絶命していた。


 戦闘はまだ続いている。しかしヤンネにできることはもうなかった。

 遠ざかっていく狂騒の片隅で、ヤンネは歯噛みし、落ちる夕陽を見ているしかなかった。

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