2-25 戦場を望む二人の男  ……オッリ

 黒騎士が、強き北風ノーサーが、雪原を駆ける。


「どこ行くんだよ?」

「その辺だその辺」

「護衛は連れてこなくてよかったのか? あの愛人ぐらいは連れてきたっていいんだぜ?」

 オッリはすぐ横を駆けるマクシミリアンに訊ねたが、当人はまともに答える気もなさそうだった。

 普段なら必ず護衛が追従するが、今日はいない。マクシミリアンが個人的に雇っている、異教の南部女である無口な影スーサイド・サイレンスも今はいない。もしかしたら見えないところに潜んでいるかもしれないが、現状気配は感じられない。


 雪に白んでなお、二人の影ははっきりしていた──漆黒の胸甲騎兵と、極彩色の軽騎兵──随分悪目立ちする格好だとオッリは改めて感じた。


「敵とか殺し屋に襲われたらどーすんだよ? 俺に守れとか抜かすなよ?」

「そのときはそのときだ。死ぬときは死ぬ」

「昔からだけど、お前、自分だけは死なないって思ってんだろ? そんなんだから命を大事しろってユーリアちゃんが怒るんだよ」

 お節介で口うるさいマクシミリアンの妻を思い出してオッリは苦笑したが、黒騎士の口数はやはり少なかった。


 営倉への禁固処分とその刑期がすぐ終わったのは、恐らくはマクシミリアンの根回しのおかげだった。この男は旧権力と呼ばれる王侯貴族たちには蛇蝎の如く忌み嫌われている一方、皇帝派ないしそれに近い諸家には意外と顔が利く。

 上官であるキャモラン相手にあれだけ派手に暴れて何のお咎めもなしだとは思っていなかった。最悪、処刑される可能性もあったが、そのときは何人か道連れにまた暴れるつもりだった。だが結局それは回避された。なので営倉への禁固処分は素直に受け入れた。

 しかし、驚くほど早く禁固は終わった。営倉で暇を持て余す間もないうちに釈放されていた。

 釈放されると、マクシミリアンが迎えに来ていた。そしてそのまま野駆けに誘われ、現在に至る。


 こうして二人で原野を駆けるのは久しぶりだった。しばらくすると、雪帳ゆきとばりの向こうに古ぼけた城が浮かんできた。

「城が見えるか? あそこまで行こう」

「いいぜ! じゃあ競走だ!」

 オッリは手綱を握り直し、馬腹を蹴った。

 雪を蹴る馬蹄。風に哭く馬の嘶き。軽快なリズムを刻む人馬の鼓動。冬の風が、雪の舞いが、勢いを増す。

 久しぶりに、ただ風に身を任せ駆けた。疾駆は気持ちよかった。ここ最近、腹立たしいことばかりが続いていたが、今は忘れることができた。

 振り返る。少し遅れて、マクシミリアンが追従する。オッリはさらに拍車を入れた。もう一度振り返ると、黒騎士の姿は雪に溶けていた。



******



 二十年前、出会ったばかりの若い頃は、暇を見つけてはこうして共に野を駆けた。

 馬術でも、競走でも、馬上試合でも、いつも勝つのはオッリだった。マクシミリアンに負けたことは一度もない。

 大抵の帝国人騎兵は、蛮族と侮る相手に勝てないと理解するや否や、拗ねて消えた。しかしマクシミリアンだけは残った。

 別に第一印象はよくなかった。だがお互いに、逆境に抗い、戦い続けた。そしていつの間にか友になっていた。

 やがて出世し、それぞれに部隊を指揮するようになると、共に遊ぶ時間は目に見えて減った。しばらくは軍務での付き合いだけが続いた。

 ヤンネが、オッリの子供たちが、二人を繋いだ。子供のいなかったマクシミリアンとユーリア夫人レディ・ユーリアは親身になって子供たちに接してくれた。

 オッリは騎馬民としての生き方しか知らない。だから部族の伝統に従って育てた。しかし〈帝国〉の旗の下で生まれたヤンネは反発した。生きる道が違う以上、いや親子である以上、遅かれ早かれ殺し合いには発展した。

 マクシミリアンがいなければヤンネは同じように育っただろう──いつか破滅するとわかっていても、刹那に生きる己のように。

 しかしそうはならなかった。帝国人として生きようとする息子は、しっかりと道を踏みしめ、その先を見ていた。刃を交えたとき、その覚悟は痛いほどわかった。ヤンネは一人の男として、すでに真っすぐに育っていた。



*****



 勢いのままに駆け、朽ちた古城に辿り着く。雪に呑まれ、ただ朽ち果てるのを待つだけの古城を見て、思い出す──ここは以前、オッリが月盾騎士団ムーンシールズとやり合おうと訪れた場所だった。

 少しして、ようやくマクシミリアンも追いつく。心なしか、息は上がっているようにも見えた。

 かんぬきすらかかっていない城門を潜り、城内を散策する。塔、城壁、主郭、礼拝場、居住区……、外観と同じく、城内の風景もまた、殺風景なものだった。ここに籠城していた教会遠征軍はすでに去っており、帝国軍も部隊を駐留すらさせていない。

「何が見える?」

 〈神の依り代たる十字架〉が描かれた礼拝場の前で、唐突に、マクシミリアンが訊ねてくる。

「はぁ? クソみてぇな神様だろ?」

 質問の意図がわからず適当な返事をするオッリを尻目に、マクシミリアンが空を見上げる。

「そうだな。俺たちが殺すべき相手だ」

 不敵な笑みを浮かべるマクシミリアンが、馬を降り、城壁の上へ登ろうと促す。

 暗く冷たい石畳の階段を上がる。焼かれた騎士の家紋のマントが前を進む。

 城壁の上に出る。降り続く雪に視界が白む。遥かなる地平線はどこまでも白い。

「さぁ。何が見える?」

「さっきから何なんだよ? もったいぶらずに言えよ」

「戦場だ。俺たちの日常、そして無限の可能性が広がっている、大いなる戦場だ」


 白く染まる地平線を眺めながら、マクシミリアンが語り始める。


「お偉方はこの戦争を〈大祖国戦争〉だ何だとか言ってるが、やってることはいつもと同じだ。グスタフ帝が何を思ってこの戦争に踏み切ったのかは知らんし、そんなことはどうだっていい。祖国を守るだの、信仰の在り方を正すだの、そんな下らん建前は豚にでも食わせとけ」

 それまで飄々としていた黒騎士の身振り手振りが、徐々に大仰になっていく。

「俺たちは金で官位を買えるキャラモンや、出世が約束されているニクラスやアーランドンソンのような上級貴族ではない。用済みになれば、すぐ使い捨てにされる程度の存在でしかない」

 仰々しい口調で語るマクシミリアンを見て、オッリはどこか懐かしさを感じていた──敗北し、従属を強いられ、蛮族呼ばわりされる〈東の覇王プレスター・ジョン〉の末裔と、没落貴族と軽んじられていた、何者でもなかった帝国軍人。支配階層を恨めしそうに見上げていたあの日。前だけを見て、遮二無二に戦場を駆けていた若き日。


「でも、戦争さえあれば……。戦場でなら、俺たちは英雄だ」


 そして、強き北風ノーサーの二つ名を皇帝から賜り、騎士殺しの黒騎士となった、あの日を──。


 この男はあの頃と同じだった──憚ることもなく、当然のように英雄になりたがっている。


「親父を殺したとき、焼かれた騎士の紋章を家紋にしたとき、俺は誓ったんだ。『天も、地も、人も、全てに仇なし、悉くを焼き尽くす』ってな。だから、敵は全部殺すんだ。教会遠征軍も、月盾騎士団ムーンシールズも。ロートリンゲン家のガキも、第六聖女とかいう小娘も。貴族も、王も、神も。ついでにキャモランのクソ野郎も……」

「そーいう小難しい言葉好きだよな、お前」

「お前らだってよく言ってるだろ? 『偉大なる〈東の覇王プレスター・ジョン〉のために。遥かなる地平線に血の雨を』って。言いたいことは一緒じゃないか? つまり、平和なんてクソ喰らえ、戦争万歳ってことだろ?」

 陶酔した表情で空を仰ぐマクシミリアンが小さく笑う。

「お前、ホント昔から変わんねぇな。もう四十だろ? いつまでガキみたいなこと言ってんだよ?」

「子供心を忘れていないだけだ。仮にガキだとしても、お前よりは分別のあるガキだろう?」

 黒騎士の黒い瞳が、雪をまとい歪む。それを見てオッリも頬を緩ませる。そして互いは顔を見合わせ、笑い合った。


「そういえば、どうだった?」

「どうだったって何が?」

「例の月盾の騎士だよ。お前の背中を斬った奴。この辺りで戦ったんだろ?」

「いや……。俺の背中に傷つけた金髪の若造も、そこそこ楽しめそうなデカイ奴も、びびってんのか誰も出てこなかったぜ」

「この戦いはまだ続く。もう一戦くらいでかい戦があるはずだ。そこで思いっきり暴れて、好きなだけ殺せばいいさ」

 マクシミリアンの声は普段の落ち着きを取り戻していた。つい先ほどまで仰々しさはもう鳴りを潜めている。

「だからさ……、ヤンネと喧嘩するのはしばらく止めてくれ」

 そして、ポツリと呟いた。

「お前は俺の保護者かよ? お節介な野郎だぜ」

「あいつは俺たちとは違うんだ。あいつなら、俺たちじゃ行けなかったところまで駆けて行ける」

「は? どこだよそれ?」

 オッリは訊ねたが、どこか遠くを眺めるマクシミリアンは何も答えなかった。


 冬の色が地平線を染めていく。


 雪帳ゆきとばりの向こうを眺めるマクシミリアン・ストロムブラードの黒い瞳は輝いていた。


 何もかもが懐かしかった。二十年の歳月を経て、数多の死線を越え、幾多の屍を築き上げた今でも、この男は何も変わっていなかった。騎士殺しの黒騎士は相も変わらず、ごっこ遊びに興じる無邪気な子供のように、戦争という日常を楽しんでいるようだった。

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