強き北風の再起

2-19 荒れる冬の夜  ……ヤンネ

 北の空に夜のとばりが落ちる。


 幕舎に吹きつける吹雪が激しさを増していく。冬の夜風が吹き荒れるたび、天幕が、ロウソクの灯が、浮かび上がる人影が、虚ろに揺らめく。


 その夜はいつも以上に荒れていた。


 帝国軍第三軍団の宿営地。軍議を執り行う大幕舎の中に第三軍団の諸将が整列する。赤毛のエイモット幕僚長、歩兵隊長のヘッグに砲兵隊長のフリーデン、そして騎兵隊長のマクシミリアン・ストロムブラードなど、軍の中核を担う顔ぶれが一堂に会する。


 上官のストロムブラード隊長に従い、ヤンネもその末席に並んだ。

 皿型兜ケトルハットを外し跪くと、いきなり怒鳴り声が響いた。

 頭上から聞こえる罵詈雑言が絶え間なく続く。跪く騎兵隊の士官たち、その先頭のストロムブラード隊長に向かい、上座のキャモラン軍団長が怒鳴り散らす。

「何が騎士殺しの黒騎士だ!? いつどこで騎士を殺したのか知らんが、大層な肩書きのわりに何の手柄も立てれぬ無能が!」

 第三軍団を統括するキャモラン軍団長は怒っていた。

 成金趣味の、見てくればかりに気を使った貴族。貧相な体に不釣り合いな軍装。流行りの装飾が施された甲冑には傷一つなく、忙しなくブーツを揺するその様は、いかにも小物で、尊大である。

 キャモラン軍団長はその地位を金で買ったと噂されるだけの、完全なるお飾り将軍である。皇帝と名家の王侯貴族にはへつらい、下位の者は露骨に見下す、ある意味でわかりやすい男である。上の連中がどう思っているのかはともかく、兵士からの人気はまるでない。

 馬面のハゲ野郎だの、能無しのバカだのと、父はキャモラン軍団長を罵倒していた。普段はその口の悪さに閉口していたが、今は父の気持ちも少しだけ理解できた──お飾りの将軍が偉そうに──ヤンネは心の中で悪態をついた。


 戦功報告の際、普段なら黒騎兵オールブラックス副官のニクラス・リーヴァが場を取り成し、事なきを得ている。しかし今夜はそれでは収まりがつかないようで、部下とはいえ、自分より上位の貴族であるエリク・アーランドンソンの仲裁さえ受けつけないでいる。

 こんな剣さえ握ったことのなさそうな軟弱男を、対〈教会〉強硬派で、武闘派と名高いグスタフ帝が将軍位に叙しているのは謎だった。しかしこんな輩でも、皇帝に軍資金を提供し、後援を担うと約束さえしてしまえば、簡単に出世できてしまう。それは不条理で不公平だが、ヤンネはストロムブラード隊長のように極力気にしないよう心がけていた。


 世の中は公平なんかじゃない──そんなことは〈東の覇王プレスター・ジョン〉の末裔として生を受けたときから理解している。


 軍団長やその取り巻きがいくら喚き散らそうが、腕っ節では決して負けない。むしろ弱い奴らを守ってやっているぐらいだ──そう思うと、心にもいくらか余裕ができた。


 キャモラン軍団長が怒鳴るたび、その部下であり第三軍団の実質的な指揮官であるエイモット幕僚長が宥める。冬だというのに額からはダラダラと汗が垂れている。

 本来なら軍議を行う時間である。いつまで経っても終わりそうにない罵詈雑言にほとんどの将官たちは呆れている。一緒になって責め立てるのはキャモラン軍団長の取り巻きの護衛たちくらいである。

「貴様らのような無能のせいで、私がどれだけ恥をかいたか! わかっているのか!?」

 怒り狂うキャモラン軍団長の前でストロムブラード隊長がひたすらに頭を下げる。感情を押し殺した声、無表情の横顔は、本気で謝罪しているのか甚だ疑問だったが、表面的には慇懃無礼に見える。しかしそれでも軍団長の怒りは収まらない。

「何度も何度も手柄を取り逃がすだけに飽き足らず、この私に恥をかかせるなど! あの野蛮人の勝手で、私が第二軍団からどれだけ文句を言われ、陛下や宰相閣下から嘲笑されたか知っているか!? この屈辱、お前らにもわからせてやろうか!?」

 一応、名目上は第三軍団を統括するキャモラン軍団長はいつもに増して怒っていた。

 原因は大きく二つあった。

 一つ目は、ジョー・ウィッチャーズ率いる月盾騎士団ムーンシールズの後衛部隊をストロムブラード隊長が独断で逃がしたことについて。ボルボ平原の戦いのときも含め、目立った将官級の捕虜がいないため、軍司令部の目を惹くような戦功報告ができないと軍団長は怒っていた。

 二つ目は、父のオッリが勝手に野営地を抜け出し、あろうことか最前線で敵と交戦したことについて。戦闘中に横槍を入れられたと帝国軍の第二軍団から文句が入って恥をかいたと軍団長は怒っていた。


 一つ目についてストロムブラード隊長は、敵指揮官と縁故があったこと、任務である捕捉自体は達成したこと、そして一定期間の交戦禁止を約束したことを説明したうえで、指示を仰がなかったことに関しては謝罪した。

 二つ目については、父オッリを療養中させていたことを前置きしたうえで、騎兵隊長としての監督不行き届きは謝罪した。


 それでも軍団長の罵詈雑言は止まらない。

 〈大祖国戦争〉以前からこの二人の仲は悪かったが、ボルボ平原の戦い以降はその軋轢はより顕著になっていた。キャモラン軍団長は、隊長のことを戦功を逃してばかりの役立たずと罵った。一方のストロムブラード隊長は、軍務を丸投げするだけなのに現場に責任を押しつけるなと反発した。


 これは一体いつまで続くのか──会話にならない言い争いに疲労感だけが募っていく。なぜこんなにも怒鳴られなければならないのか──ヤンネは内心、呆れていた。


 一つ目はともかく、二つ目は完全なとばっちりである。寝ていた親父が起きるなり、勝手に暴れたのだ。こちらは作戦行動中で出払っており止めようもなかった。そしていつの間にか、敵将のヨハン・ロートリンゲン死亡の噂もなぜか黒騎兵オールブラックスの責任にされていた。

 騎兵隊の上官として頭を下げざるを得ないストロムブラード隊長は見ていて可哀そうだったし、申し訳なくもあった。いつもストロムブラード隊長に迷惑ばかりかける父が憎かった。父が好き勝手に暴れるせいで、今日も隊長はその尻拭いをさせられている。隊長だってこんな奴に頭を下げるのは屈辱的なはずである。それでも上官ゆえに下げざるを得ないのだ。

 ストロムブラード隊長は父を忌み嫌うなと言うが到底無理な話だった。二人は昔からの戦友らしいが、これでは全く対等ではない。今現在、ヤンネだけでなく、ストロムブラード隊長にとっても、父の存在は邪魔になっているとしか思えなかった。


 父への憎悪を募らせるヤンネの頭上で、キャモラン軍団長がまた怒鳴り散らす。

「あのバカは!? オッリはどこだ!? さっさと連れてこい!」

 ストロムブラード隊長が無表情で「謹慎させている」と告げると、それが気に入らなかったのか、軍団長はさらに怒った。

「能無しの野蛮人どもが! 私に何度も恥をかかせおって! 軍法会議にかけるまでもない! 今夜、私が処罰を下してやる! ストロムブラード! 貴様も同罪だ! この不始末は軍司令部に通達しておくからな! 覚悟しておけ!」

 キャモラン軍団長の言葉はもっともではあったが、それは理不尽かつ乱暴で、ヤンネにはやはり納得できなかった。

 一方、それを正面から受けるストロムブラード隊長は相変わらず無表情だった。少なくとも、一見すればそうとしか見えない。しかしヤンネにその感情がはっきりと見て取れた。その黒い瞳には、爛々とした憎悪が煮え滾っていた。


 幕舎の隅を吹き抜ける隙間風がその冷たさを増す。荒れる冬の夜はまだ終わる気配がない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る