2-18 雪に呑まれた古城 ……セレン
雪に呑まれたその古い城は、暗く、冷たく、重苦しかった。
雪に白む城門には
この石造りの古い城は、〈教会〉の首都である〈教皇庁〉や、その周辺の宮廷都市群とも、道中で見てきた新式の要塞とも、まるで違っていた。それは〈
寂れた城内はどこにいても寒かった。
ブーツに防寒布を巻いても足は冷たかった。聖女の
全身が痛かった。何をしても悪寒は止まらず、凍傷なのではとも思ったが、リーシュや軍医にはまだ凍傷ではないと言われた。
城壁に兵が配され、主郭に指令部が設営される傍ら、従軍司祭らが城内を練り歩き兵士たちに祝福を施す。それらの隅で、負傷兵が集められた礼拝場からは悲痛な呻き声が漏れ聞こえてくる。
寒さを堪えながら、セレンは城壁へ続く階段を上がった。
重苦しい薄闇を抜けると、目の前が開け、白い風が視界を覆う。古城の城塔に掲げられた〈教会〉の十字架旗と、第六聖女の天使の錦旗が風に揺れる。
セレンはヨハン・ロートリンゲン元帥麾下の将軍らに挨拶を済ませると、親衛隊隊長のレア、侍従長のリーシュとともに、雪の戦場に目をやった。
冬の風に軍旗が揺れる。その風の遥か先、白い地平線上で、月盾の軍旗と黒竜旗が干戈を交える。雪原に舞い上がる雪煙が、硝煙が、血の赤が、その色を徐々に濃くしていく。
戦のことはよくわからないが、
勇気ある決断だった。そのときのミカエルの決然とした青い瞳は、鉄の修道騎士と称された生前のヨハン・ロートリンゲン元帥を思い出させた──ただのお飾りである自分にはとても真似できない──セレンは尊敬の念をもってミカエルらに別れを告げると、その無事を祈った。
相変わらず、自分は祈ることしかできない──それでもセレンは祈り続けた。
戦場において、神への祈りは微々たる力しか持たないのかもしれない。しかしその信仰心が、ほんの少しでもミカエルらの意志の支えになればと思い、祈った。そして、最も真摯なる者と呼ばれる自らの心を支えるために……。
この数ヵ月で、この数週間で、この一日で、様々な事が起こった。目まぐるしく吹き荒れるその風は冬の嵐そのものだった。
全ての事の発端となった〈
しばらくの行軍ののち、秋が終わり、冬が訪れる。
ボルボ平原の戦いが起こり、教会遠征軍本隊の敗走が始まった。見知った者も、そうでない者も、多くが消えていった。同年で仲の良かった侍女のイリーナは火矢に貫かれ絶命。同じ侍女でさらに幼いシャナロッテは行方不明。実質的な総指揮官であったヨハン・ロートリンゲン元帥は会戦後に死ぬ。
そして今日、セレンが成す術なく流され続ける中、
ボフォースの古城に待機する味方からも大きな歓声が湧いた。初めて、それも間近で聞く勝利の雄叫びに、セレンも寒さを忘れ歓喜していた。
しかし突如として現れた極彩色の獣は、それら全てをかき消してしまった。
再び、悪寒で体が凍りついた。
雪原に浮かび上がる一点の派手な染み。古城からでは豆粒ほどにしか見えぬそれは、しかしセレンの全てを瞬く間に犯し、塗り潰し、そして支配した。
ボルボ平原で目にして以来、眠れぬ夜の白い闇を徘徊し続ける悪夢の元凶たる極彩色の獣。
その存在を前にセレンは膝から崩れ落ちていた。レアや親衛隊員に支えられ何とか立ち上がったが、体は震え、雪原に視線を戻すことはできなかった。
どれほど間、感覚が麻痺していたのだろうか──気づいたときには、戦いは終わっていた。
〈帝国〉の黒竜旗も、極彩色の獣も、雪原からは消えていた。近づいてくるのは
戻ってきてくれた──その感覚が、悪寒に震えるセレンの体に少しだけ火を灯した。
セレンはレアに抱えてもらいながら、城門へと向かった。
ボフォースの古城へと帰還した月盾の軍旗を、兵士たちの歓声が迎え入れる。血と泥に、そして雪に塗れた月盾の騎士たち──月牙の騎士アナスタシアディス、
その先頭、騎士たちを率いる月盾の長は、他の誰よりも戦塵に汚れていた。しかし馬上の姿は誰よりも雄々しく、力強く、逞しかった。
歓待するセレンらの前で、月盾の騎士たちが一斉に下馬し、兜を外して跪く。長つばの騎兵帽で表情は窺えないが、アンダースも隅で跪いている。
セレンはミカエルの手を取り、立ち上がるよう促した。ゆっくりと立ち上がったミカエルは微笑んでくれた。戦火を経てもなお、風に靡く金色の髪は美しく、青い瞳は澄んでいた。
降り続く雪は依然として深い。その色も、日に日に濃さを増している。
戦いはまだまだ続くだろう──でもこの人と一緒なら、きっと大丈夫だ──抱いた思い、ミカエルから伝わる意志は、セレンの胸中を満たし、温もりを与えてくれた。それは雪荒ぶ冬に浮かぶ、一筋の希望であった。
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