2-17 再びの邂逅②  ……ミカエル

 極彩色の獣が冬に踊る。現れた強き北風ノーサーが討ち取った首を振り回しながら、悠々と雪原を駆け回る。


 冬の空気が凍る。今、教会遠征軍有利の空気は完全に一変していた。

 

 誰もが固唾を飲む中、強き北風ノーサーのオッリが、ハベルハイムの軍勢の前を、そして月盾騎士団ムーンシールズの眼前を駆ける。その背後には、百騎ほどの極彩色の馬賊ハッカペルの戦士たちが臨戦態勢で群れの主を煽る。

 強き北風ノーサーのオッリがただ一騎の殿軍となる間に、算を乱していた帝国軍は隊伍を組み直すと、負傷者を接収しつつ、枯れた森へと退避していった。

「おい! 誰か暇潰しに遊ばねぇーか!?」

 熊髭の大男があからさまな挑発を仕掛けてくる。続けて、一騎打ちを誘うように口汚い野次を飛ばしてくる。

 古めかしい直剣を握る手に怒りが籠る──できることなら嬲り殺しにしてやりたい──しかしミカエルは動けなかった。

 ミカエルと同じように、月盾の騎士たちも固まっていた。月盾騎士団ムーンシールズの誰もが、そのべらぼうな蛮勇を、比類なき強さを、身をもって理解している。攻勢を一瞬で挫かれたハベルハイムの騎兵も相当に警戒しているのだろう。後続の歩兵を待つように陣形を固めている。

「痛み分け……、ですかな」

 ミカエルの横で、ディーツが苦虫を噛み潰したように呟く。

「戦は我々の勝利です。迂闊に手出ししこちらに犠牲が出るのは避けるべきでしょう。このまま動かない方が得策かと」

「敵の大部分はもう逃げた。あの蛮族が強いとはいっても、所詮は一騎と、数百の金魚の糞。ハベルハイムと連携し、全軍で攻撃すればいいだろう」

 赤銅の刺剣レイピアに手をかけ臨戦態勢を取るアンダースの言葉に、ディーツが首を横に振る。

「全軍で包囲しようとしても、奴はすぐに逃げるでしょう。何より、一騎打ちを所望する一騎を寄って集って攻撃したとなれば、月盾の騎士の名誉に傷がついてしまいます」

「こんなときに何が名誉だ……」

 アンダースが呆れたように溜息をつく。弟は麾下の銃騎兵に待機を指示すると、それ以上は何も言わなかった。


 ボフォース周辺の戦闘において教会遠征軍の勝利は間違いない。帝国軍の前衛部隊は退却しており、大勢は決している。しかし強き北風ノーサーの再来により、局地的には振り出しに戻ってしまっている。

 一騎打ちで強き北風ノーサーのオッリを討ち取ることができれば、それはそれで朗報である。しかしディーツの言葉通り、もし一騎打ちでこちらに犠牲が出た場合、士気は完全に挫かれ、今日の勝利そのものが水泡に帰す恐れもある。


 風が静寂を運ぶ。

 ディーツも、配下の者たちも、誰もがミカエルの号令を待っていた。しかし騎士団最強の男は黙っていなかった。

 鉄塊の如き鎧を着込んだ人面甲グロテスクマスクのリンドバーグが闘志をたぎらせ大剣を抜く。

「リンドバーグ! 止せ!」

 ミカエルは叫んだが、人面甲グロテスクマスクの騎士は仲間たちを押し退け馬を進めようとする。

「再戦を望むお前の気持ちは痛いほどわかる! しかし今はまだそのときではない! 待ってくれ!」

 ミカエルはリンドバーグの前に馬を乗り入れ、その巨体を押し止めた。

 人面甲グロテスクマスクの奥から、歯軋りが聞こえる。ミカエルもまた、やり場のない怒りと恐怖を抑え込む。

 リンドバーグはなおも闘志を燃やしていたが、しかし仲間たちの制止する声に馬を止めてくれた。


 その様子を見ていたのか、強き北風ノーサーのオッリは遠巻きに一笑いすると、おもむろに馬上で矢をつがえた。

 風切り音が、冬空を裂く。

 放たれた矢が粉雪を切り裂き、飛んでくる。空を裂く一矢は、綺麗な放物線を描き、そしてヴィルヘルムの持つ月盾の騎士団旗を貫いた。


 軍旗を貫いた矢が、雪原に突き刺さる。

 騎士団旗を傷つけられ、旗手のヴィルヘルムが烈火の如く怒る。その一矢に、敵の嘲笑に、騎士たちもにわかに殺気立つ。乗り手の圧に当てられ、馬も激しく嘶き始める。怒り、憎悪、恐怖……、ない交ぜになるあらゆる感情が、高まり、渦巻き、燃え広がろうとする。

 ディーツやアナスタシアディスは群れを押し留めようとしていたが、ミカエル自身は揺れ動いていた。馬の手綱を、古めかしい直剣を握り締める手には力がみなぎっていた。月盾の長の肩書きがなければ、このまま、衝動に突き動かされるまま、駆け出してしまいたかった。


 そのときだった。再び放たれた矢が、また空を切り裂いた。


 放たれた矢は綺麗な放物線を描き、そして極彩色の一騎の頭上に降り注いだ。


 強き北風ノーサーはウォーピックを振り、返された一矢を弾き飛ばした。事もなく捌いたその笑顔には、はっきりと怒気が滲んでいた。

 強き北風ノーサーが目の色を変え、矢を放った者を睨む。その視線の先、月盾の騎士たちの合間では、安物の革鎧を着た小汚い中年男が弓の弦をのほほんといじっていた。


 一触即発の空気が冷たさを増していく。


 しかしそれが臨界点を迎える前に、強き北風ノーサーのオッリは自ら馬首を返して去っていった。

 熊髭を歪ませ、唾を吐き捨て去っていく強き北風ノーサーに続き、百騎の極彩色の馬賊ハッカペルも、踵を返し去っていった。やがて〈帝国〉の黒竜旗と極彩色の獣たちは姿を消し、雪原には静寂が戻ってきた。


 帝国軍が去ったが、何とも言えない空気感が漂っていた。ミカエルは矢を放った者を呼び、問い質した。

「何者だ?」

「我が部隊の将校、ルクレールです」

「どうも閣下。お見知りおきを」

 アンダースに紹介された中年男性が軽くお辞儀する。その薄汚い恰好と締まりのない顔つきを見て、ミカエルは思い出した。この男は、アンダースが行く先々で虐殺を行った際、民衆の首吊りを指揮していた者であった。

「傭兵出身者か?」

 感情を気取られぬよう訊ねると、ルクレールは二つ返事で「はい」と頷いた。

 月盾騎士団ムーンシールズを構成する騎士や従士の多くは、ロートリンゲン家の門閥か、縁故のある貴族の子弟である。基本的に、紹介された者を父やミカエルが選抜する方式で入団する。ウィッチャーズのような貴族でもない傭兵上がりは稀である。

 しかしアンダースの部隊は例外だった。弟は騎士団に参加するに際し、麾下の士官を自ら選び、取り立てた。その中には名もない下級貴族や流れ者、ルクレールのようなどこの馬の骨とも知れぬ傭兵もいた。

「その弓は?」

「自前のです。若い頃、東部入植地で騎馬民からぶん捕った物ですけど」

「先ほどは見事な一矢だった。しかし君は下級将校だろう。勝手な行動は慎みたまえ」

「すいません。ちょっと空気が重かったんで、気晴らしになればと」

 ミカエルの叱責にもルクレールはどこ吹く風といった感じだった。その態度は弟のアンダースに似ていた。

「もしあのままあの化け物と一騎打ちになっても、元傭兵の下級将校が一人死ぬだけですし、大勢に影響はないでしょう? ロートリンゲン家が誇る気高い騎士様方が蛮族一人にボコボコにされるよりはマシだったはずですって」

 軽口を叩くルクレールにミカエルは思わず眉をしかめた。この男は確かにロートリンゲン家の騎士を示す月盾の徽章をしているが、その人を食ったようなふざけた態度は全く好きになれなかった。隣にいるディーツも嫌悪感を露わにしていた。


 独断行動をしたルクレールの処分は部隊の上官であるアンダースに任せた。ミカエルはハベルハイムに伝令を出すと、セレンのいるボフォースの古城へと行軍を開始した。


 月盾の軍旗が静かにはためき、力なき馬蹄が雪原を駆ける。


 みな、無言だった。強き北風ノーサーの姿が消えても、少し前まで酔っていた勝利の感覚が戻ってくることはなかった。


 屈辱感、安堵感、様々な思いが去来しては心をささくれさせる。それでも、それらを秘め、たぎらせ、燃やす。


 静かな意志を胸に、ミカエルは第六聖女の天使の錦旗へと向かった。

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