2-16 再びの邂逅①  ……ミカエル

 頬を切る風が血の臭いを帯びていく。

 振り下ろす古めかしい直剣が血を浴びて赤く濁る。

 舞い散る雪が血飛沫となって冬を染める。


 月盾騎士団ムーンシールズの馬群が雪原を駆ける。渾然一体となった馬蹄が雪を蹴り上げ、一筋の道を作る。ミカエルを先頭に、月盾の騎士たちが〈帝国〉の黒竜旗に襲いかかる。

 対峙する半甲冑の槍騎兵が、雄叫びを上げ、その槍の穂先を前に突き出す。それらを躱し、弾き落し、切り伏せる。槍も、兜も、甲冑も、向かってくるものは何であれ、まとめて叩き潰す。

 一振りに、全ての力を籠める。そして勢いのままに命を貫く。

「我が剣に、月盾の軍旗に従い駆け続けろ!」

 ミカエルは叫び、先頭で剣を振り続けた。


 まず一撃、敵が戦闘態勢を整える前に出来る限り叩く。まとまろうとする部隊間の連携を断ち、足並みを乱す。兵の殲滅よりも、衝撃を与えることに重点を置いた攻撃である。

 一度戦端が開かれた以上、騒ぎを聞きつけた敵は次々に後続を投入してくるだろう。しかし、こちらで野戦で戦えそうな部隊は月盾騎士団ムーンシールズしかいない。全体として劣勢になるのは目に見えている。ゆえに、とにかく戦の主導権を渡さないことが重要になる。

 やり方はボルボ平原で帝国軍が行ったことと同じである。まず問答無用で頭をぶん殴り、衝撃を与える。敵の注意を引きつけ、考える時間を奪う。いずれは親衛隊らが立て籠もるボフォースの古城も包囲されるだろうが、常に先手を取り、動き続けていれば、少なくとも主導権は握ったままでいられる。たった一日耐えるだけならそれで充分である。


 突撃が、雄叫びが、ぶつかり合う。しかし月盾の騎士の勢いは止まらない。

「我らが月盾の長に続け!!」

 騎士たちの咆哮がミカエルの背中を押す。

 ミカエルの直営部隊を先頭に、部下のリンドバーグ、アナスタシアディスの両部隊も果敢に動く。リンドバーグの苛烈で強靭な、アナスタシアディスの冷静で的確な一撃が敵軍を薙ぎ、群れを打ち砕く。


 まず、前衛の敵騎兵を退ける。しかしそれも束の間、すぐに後続の騎兵、そして歩兵の群れが、枯れた森から続々と姿を現す。


 息つく暇もない。それでもミカエルは即座に攻撃の命令を発し、新たな敵に向かった。

 こちらの接近に気づいた敵銃兵がマスケット銃を構える。無数の火蓋が切られ、硝煙が雪原を白く濁らせる。

 撃ち鳴らされた銃弾の風はほとんど感じなかった。距離は離れているし、弾幕も薄い。敵はまだ完全に戦列を組み切れておらず、銃撃自体は脅威にならない。

 馬に拍車をかける。敵の二列目が装填に手間取る間に、一気に距離を詰める。

 銃兵を守ろうと敵の長槍兵が隊形変換に動くが、長槍パイクの林がまともな陣形を組む前に、リンドバーグの重騎兵が殴り込む。

 人面甲グロテスクマスクが吼え、その大剣が唸りを上げる。巨大な鉄塊が肉轢き機となり、歩兵の群れをすり潰す。

 たった一撃。しかしその衝撃に、敵歩兵は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。こちらを包囲しようとする敵騎兵も、歩兵との連携が取れず二の足を踏んでいる。

 それでも黒竜旗の波は止まることを知らない。敵は次々に部隊を投入し、月盾騎士団ムーンシールズに攻撃を仕掛けてくる。

 そのたびに、それを跳ね返しつつ、悟られぬよう古城に誘因した。

 すでに敵兵力は五千以上になりこちらを上回っている。しかし思惑通りに事は進んでいる。このままいけば、主導権を握ったまま一日を終えられるかもしれない。つまり、勝てるかもしれない──そんな淡い期待がミカエルの脳裏を過る。


 しかしその直後、帝国軍は予想外の動きをし始めた。

 次々に現れる後続の内、まとまった数の敵歩兵が月盾騎士団ムーンシールズやボフォースの古城を無視し、尋常ならざる行軍速度を保ったまま東進を始めたのである。


 突然の強引過ぎる動きにミカエルは焦った。

 合流までの一日、先んじて衝撃を与えることで敵の注意を引き、軍勢を釘づけにするというのが当初の目標であった。だが無視された場合、多勢に無勢のミカエルらには行動を抑制する術がない。ゆえにわざと危険を冒し、野戦に打って出たのである。

 ヴァレンシュタインとの間に潜り込まれても、形として挟撃は可能である。しかし敵は目に見えている人数だけではないし、兵の練度も疑いようはない。強引な一手であろうと、まとまった兵力に勢いのまま分断されれば各個撃破は免れない。


 危惧していた事態に嫌な汗が滲み出る。

「ディーツ! あの部隊の足を止める! 誰か回せる者は!?」

「アナスタシアディスの部隊を当たらせます! ですが、こちらへの圧力が強まるのは覚悟して下さい!」

 三千騎にも満たない月盾騎士団ムーンシールズをさらに分散するのは明らかに危険だったが、しかしこのままでは作戦そのものが破綻する。

 ミカエルは伝令を飛ばすと、アナスタシアディスの千騎を即座に切り離し、強行する敵軍に向かわせた。


 すぐに目の前の敵が攻勢が強める。敵歩兵隊に随伴する野戦砲も現れる。砲声が轟き、剣戟が、銃声が、激しさを増していく。


 雪が、硝煙が、血飛沫が、視界を曇らせる。干戈が交わるたび、雪原に、敵の死、味方の死が、ひたすらに積み上がっていく。


 冬の風が肌を刺す。息が上がる。甲冑は重みを増し、手綱を握る手にも、剣を振るう手にも、力が入らなくなる。馬の足腰もふらつき、馬腹を蹴る拍車も空回りする。それでも、心だけは折るまいと戦い続ける。


 一体どれほど戦ったのか? どれほどの時間が経ったのだろうか? 全てが曖昧模糊とした冬に溶けようとしていたそのとき、一発の銃声が旋風となり、冬を切り裂いた。


 銃声の先──青羽根の騎兵帽に、髑髏の紋章の胴鎧──誰よりも派手な月盾の騎士が、歯輪式拳銃ホイールロックピストルを手に駆けてくる。

「兄上! ご無事ですか!?」

 騎兵帽の長つばを傾け、アンダースが一礼する。それに続き、アンダース率いる銃騎兵隊が火縄式マッチロックマスケット騎銃カービンの弾幕を敵に浴びせる。

「助かったぞアンダース! しかしなぜここに? ヴァレンシュタイン元帥のところに行っていたはずだろう?」

「こちらに戻る道中、騒ぎを聞きつけましてね。これだけ派手にやり合ってれば誰だって来ますよ」

 拳銃に弾丸を装填しながら、アンダースがいつものように軽口を叩く。

 ロートリンゲン家の血脈を示す青い瞳が、ミカエルの緊張を和らげる。正直なところ、わだかまりはまだ残っている。恐らくは弟も同じだろう。ゆえに、この状況で応援に来るとは思っていなかったし、それだけに駆けつけてくれたことは素直に嬉しかった。


 アンダースの部隊に続き、深海の玉座の軍旗が雪原に姿を現す。

 深海の玉座の軍旗を掲げる三千騎ほどの騎兵隊が、猛烈な勢いで黒竜旗をなぎ倒していく。

「あの軍勢は? ヴァレンシュタイン元帥の援兵か?」

「あちらは弾丸公ことハベルハイム将軍です。後続の歩兵も間もなく到着するでしょう」

 アナスタシアディスの部隊が対応していた敵軍にハベルハイムの騎兵が襲いかかる。

 弾丸公の異名に違わず、ハベルハイムの攻撃は強烈だった──ただ一撃で勝負を決める──ボルボ平原の戦いで黒騎兵オールブラックスが教会遠征軍本陣を陥落させたときと同じような衝撃波が雪原を震わせ、黒竜旗を貫く。

「ご覧下さい! 敵が退いていきます!」

 騎士団旗を持つ旗手のヴィルヘルムが、ハベルハイムの軍勢を指差し叫ぶ。

「ヴィルヘルム。旗手として、よく務めを果たしたな」

 ミカエルが労うと、ヴィルヘルムが満面の笑顔で敬礼する。

「アンダースもよく来てくれた。お前の助けがなければ危なかった」

 ミカエルは弟にも声をかけたが、アンダースは騎兵帽のつばで目線を隠すと、照れ隠しか、返事もせずそっぽを向いてしまった。


 ハベルハイムの援兵により流れは一変した。敵はもう進軍を諦め、全面的な退却を開始した。


 逃げる敵と、それを駆逐するの深海の玉座の軍旗を見ながら、月盾の騎士たちが歓声を上げる。遠くボフォースの古城からも勝利を讃える歓声が聞こえてくる。

 ミカエルは剣を握り締め、高々と掲げた。

 安堵感と達成感が心を満たした。父を失い、ボロボロの状態ながらも、何とか持ち堪えることができた。生きるために戦い、そして生き延びることができた。

 〈神の依り代たる十字架〉を、教会遠征軍を、月盾騎士団ムーンシールズを讃える歓呼が冬に轟いた。僅かな時間だったが、誰もがこの陰鬱とした北の大地で忘れかけていた、勝利の味に酔いしれていた。


 そのときだった。突如、一陣の強き北風ノーサーが雪原を薙いだ。


 矢が唸り、貫かれた首が粉雪をまといながら宙を飛んだ。

 狂猛な笑い声が、血飛沫とともに雪原を駆ける。鼻先を挫かれたハベルハイムの軍勢が、もんどり打ってその足を止める。


 あり得ない──遠眼鏡越しに覗くその姿に、ミカエルは目を疑い、そして戦慄した。


 三週間前、ボルボ平原の戦いで確かにその背に傷を負わせた男。しかしその男は、至って平然とそこにいた。


 忘れもしない姿──血塗れのウォーピック。殺意に満ちた弓矢。他を圧倒する筋骨隆々の巨体。王侯貴族から奪ったとされる戦利品で装飾された毛皮と革鎧。両腕に走る冒涜的な刺青。狂猛な笑みを隠そうともしない熊髭。〈帝国〉の犬になり果てた蛮族〈東の覇王プレスター・ジョン〉の末裔。時代錯誤の単騎駆けさえ笑って済ませる、冬に踊る極彩色の獣。


 ミカエルの眼前で、再び強き北風ノーサーが吹き荒れる。


 強き北風ノーサーのオッリは、今再び、冬の戦場に現れた。

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