2-13 枯れた森の攻防③  ……ヤンネ

(こんな顔もするのか……)

 上官の表情にヤンネは素直に驚いた。初めて見るその表情は、騎士殺しの黒騎士でも、穏やかな父親の顔でもない、子供のように屈託のない笑顔だった。


 独り驚くヤンネをよそに、二人の騎士が言葉を交わす。

「はぁ……。それにしてもしつこい野郎だな、お前も……」

「だから言っただろ? ボルボ平原の戦いが終わったら、すぐに来た道を引き返せって」

 薄汚れた月盾の騎士、ジョー・ウィッチャーズが溜息をつく。対する黒騎士、マクシミリアン・ストロムブラード隊長は声を弾ませる。

「俺だけ勝手に逃げれるわけないだろう」

「律儀だなぁ……。まぁ、戦の流れはこちらにあるとはいえ、よくここまで粘ったと思うよ」

「嫌味か? 口の悪さは変わらんな」

 二人の将は顔を見合わせ、頬を緩ませた。その光景は戦場とは思えぬほど、つい先ほどまで殺し合いをしていたとは思えぬほど和やかである。

「お前、帝国騎士になってから随分経つのに、まだその悪趣味な家紋を使ってるのか?」

「悪趣味でもかっこいいだろ?」

 ストロムブラード隊長がマントに描かれた焼かれた騎士の家紋をウィッチャーズに見せびらかす。

「そっちも今はロートリンゲン家の月盾の騎士だろ? 家紋は何にしたんだ?」

「考えるのが面倒だったから、主家の家紋を借りた」

 今度は、ウィッチャーズが月盾の徽章を示す。

「何だよ。せっかくなんだから、ちょっとはこだわれって……」

 吐く息が白く立ち昇る。ストロムブラード隊長は面白くもないといった顔で溜息をついたが、しかし黒い瞳は変わらず笑っていた。


 雪が静かに舞い落ちる。冬の風はいつの間にか止んでいる。


 何だこの会話は? ──それがヤンネの率直な感想だった。

 二人の指揮官の会話は戦とはまるで関係ない方向へと逸れていた。二人が知り合いだとは聞いていたが、これはほとんど友人同士の会話だった。

「ところで、その若いのは?」

「オッリの子供のヤンネだ」

 唐突に隊長に紹介され、ヤンネは軽く一礼した。ヤンネを見るウィッチャーズはどこか遠い目をしていた。

「なるほど。見たことのある顔だとは思ったが……。立ち振る舞いがあまりにしっかりしてるから、他人の空似だと思った」

「顔や体格は若い頃のあいつにそっくりだろ? 長男で、極彩色の馬賊ハッカペルの正当な後継者だよ」

「本当かよ……。あの筋肉バカ、意外と子供の面倒見はよかったのか? どうやってこんな真面目そうな子供に育てたんだ?」

 あの親父は生みの親だが、育ててもらってないし、まして顔も似てなんかいない──ヤンネは内心不満に思ったが口は挟まなかった。二人の和やかな雰囲気を壊したくはない。

「ま、〈帝国〉の風土と気候が合ったんじゃねぇのか?」

 育ての親であるストロムブラード隊長が自慢げな微笑みを浮かべると、ウィッチャーズは不思議そうな顔をした。隊長は自身とユーリア夫人レディ・ユーリアがヤンネの育ての親であることについては言及しなかった。


 ひとしきり談笑が済むと、ストロムブラード隊長は馬上で姿勢を正した。

「さて、これからどうする? どうせ教会遠征軍は泥舟だろ? 昔みたいに一緒に戦わないか?」

 口調こそ軽いが、その黒い瞳には軍人らしい鋭さが戻っていた。一方、再びの降伏勧告にウィッチャーズも瞬時に目の色を変える。

「悪いが傭兵家業は廃業した。今は〈教会〉に、月盾騎士団ムーンシールズに仕える騎士だ。昔のような根無草ではないし、ヨハン・ロートリンゲン元帥には恩がある。裏切ることはできん」

 ウィッチャーズは即答すると、それ以上の言葉は遮断した。

「……変わったな、お前」

「お互いにな」

 互いの眼光が鋭く光る。微かな笑みが雪の間に交わされる。そして二人の騎士の会話は終わった。 


 その後、両指揮官は互いの幕僚を呼び寄せ、正式に降伏交渉、撤退交渉を始めた。

 この戦場から離脱するウィッチャーズには、騎士団本隊と合流するまでの交戦禁止と、人質として将校一名の提供が課せられた。第三軍団騎兵隊は、人質となる情報将校の引き受けを済ませると、ウィッチャーズの部隊への追撃を即時中止、さらに撤退用に物資を一部提供することを約束した。

 交渉は驚くほど早く終わった。降伏勧告の文書に書かれていた軍旗の掲揚や武装解除などの形式的な話は結局ほとんど行われなかった。


 交渉を終えると二人の騎士は再び握手した。しかし最初に見せた屈託のない笑みはどちらにもなかった。


 別れの挨拶を済ませたあと、去り際にウィッチャーズが振り返った。

「そういえば、オッリは元気か?」

「寝てる」

 父に関する会話は、それだけだった。ストロムブラード隊長はそれしか言わなかったし、ウィッチャーズもそれ以上は何も訊かなかった。しかし敵将はその言葉と表情だけで何かを察しているようにも見えた。


 黒騎兵オールブラックスが包囲を解く。ウィッチャーズ率いる五百騎の月盾騎士団ムーンシールズが隊伍を組み整然と去っていく。月盾の騎士たちの後ろ姿は、製材所を抜け、すぐに枯れた森へと消えていった。


「よかったんですか? 戦っても大多数は捕虜にできたはず。なのにむざむざ見逃して……。知り合いとはいえ、交渉も甘すぎですよ」

「俺は友達が少ないからな。友達は大切にしないと。それにあいつには借りもある。だいぶ昔の話だが」

 ヤンネが尋ねると、冗談なのか本気なのかわからない口調でストロムブラード隊長がぼやく。

「でも、命令はあの部隊の捕捉です。このことがバレたら、キャモラン軍団長に怒られるんじゃ……」

「あんな現場も知らんハゲのお飾り、何したって文句しか言わんのだから放っておけばいいのだ。それに稼ぎ頭を切った場合、困るのは奴自身だ。何を媚びへつらう必要がある?」

 確かに、第三軍団のキャモラン軍団長はその地位を金で買ったとさえ噂されている、どうしようもない人物ではある。前線に出ることはないのに口だけはうるさく、幕僚や兵士たちにもまるで好かれていない。ヤンネも正直言って嫌いである。

 それでも立場上は上官である。にも関わらず、ストロムブラード隊長は露骨に軍団長を見下していた。不仲ということを差し引いてもその対応の仕方は徹底していた。

「ずっと気になってるんですけど、何でそんなに軍団長と仲悪いんですか?」

「逆にあれと仲いい奴なんているのかよ?」

 愚問だと言わんばかりにストロムブラード隊長が笑い飛ばす。

「騎士だの、軍団長だの、元帥だの……。そんなものはただの肩書きに過ぎん。窮屈で退屈な……。アホらしい……」

 鼻で嗤うその言葉の節々にうっすらと憎悪が滲む。

「そんな夢のないこと言わないで下さいよ」

「悪い悪い。お前は騎士に憧れてたもんな」

 帝国騎士を示す竜の徽章ドラゴンフォースにヤンネが目をやると、ストロムブラード隊長は静かに微笑んだ。


 ヤンネはずっと騎士に憧れていた。卑賎の身から世界に抗い、栄光を駆け上がった不屈の黒騎士のようになりたかった。


「でもな、騎士なんて大したもんじゃない。騎士になっても、称号そのものには何の意味もない。給金も増えんし、いらん責任ばかり押しつけられる」


 一方で、憧れの人である騎士殺しの黒騎士ははっきりと騎士という存在を憎悪していた。


「そんなつまらん肩書きに縛られるような男にはなるなよ。お前はまだ若い。騎士になんかこだわらなくても、どんなところにだって駆けて行ける」


 隊長の言葉は何か大切な言葉にも聞こえたが、真意はわからなかった。


 白い風が雪原に吹く。翻る黒竜旗が白く霞む。近くて遠い間、微かなささくれも、滲んでいた憎悪も、何もかもが雪に溶けていく。


 確かな冬だけが、目の前に広がる。


 二人は待機する自軍へ馬首を向けた。

「あーあ、皇帝はいいよなぁ。あの人は何をやらかしたって英雄だ……。はぁ……、〈黒い安息日ブラック・サバス〉が懐かしい……」

 ヤンネの前を行く黒騎士が、またぼやく。

 育ての父であり上官でもあるこの人は、普段から肝心なことは口にしないし、何を考えているかもわかり辛かったが、今日はいつもに増してそれが目立った。しかしその横顔は、四十年間の苦労を想像させるには、充分な横顔だった。


 若き日、帝国騎士であった実父を殺害して家督を簒奪し、その後はその異名に違わぬ戦いぶりで栄光の階段を駆け上がった騎士殺しの黒騎士は、雪をまとってもなおどす黒く見えた。その影は、どれだけ冬の色が濃くなろうと決して消えることがないように思えた。

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