2-14 静かなる反撃 ……ミカエル
枯れた森におぼろげな冬の陽が揺らぐ。
ミカエルを先頭に、総勢二千八百騎の
ミカエルは再び前を向いた。
「生きて帰還せよ」と言い残して父は去った。これからは長男であり後継者である自分が、ロートリンゲン家を、教会遠征軍を率いていかねばならない。しかし、それを思うたび心は震えた。それでもミカエルは前だけを見た。守ると誓った、その決意を胸にして──。
向かい風が冷たさを増していく。馬が小さく嘶き、体を震わす。そのたびに腰に佩く古めかしい直剣が小さく哭く。
ボルボ平原の戦いから三週間が経過した。父ヨハンの葬儀が済んだのも束の間、いい知らせと悪い知らせが届いた。
いい知らせとしては、ヴァレンシュタイン率いる教会遠征軍の第二軍との合流地点が決まった。こちらについては弟のアンダースが率先して動いてくれたおかげで、合流へ向けての行軍は思ったよりも順調に進んでいる。
一方の悪い知らせとしては、敵の追撃部隊がすぐ後ろまで接近していることだった。
悪い知らせが入った直後、ミカエルはすぐに軍議を開いた。
ヴァレンシュタインとの連絡に出ているアンダースと、行方不明のウィッチャーズを除く
「斥候に出ているアナスタシアディスから連絡が入りました。敵の主力が近づいています」
ディーツが地図上を指し示し、状況の説明を始める。冷静なその言葉が場の雰囲気を重くさせる。
「兵站を整えたのか、犠牲を顧みぬ強行軍かはわかりません。とにかく尋常ならざる速度です。このままではヴァレンシュタインとの合流前に追いつかれます」
追いつかれるという言葉に、父の部下である将軍らが一気に青ざめる。
「我々とヴァレンシュタインとの間隙に入り込まれた場合、分断され、各個撃破されるでしょう。少なくとも我らだけでは敵主力には太刀打ちできません」
ディーツの指先が地図を示す。ヴァレンシュタインとの合流地点付近、王の回廊上にあるボフォースという古い廃城にみなの視線が注がれる。
「ここで反撃します。敵の先鋒の出鼻を挫き、時間を稼ぎます。ヴァレンシュタインとの合流まではたったの一日。この一日に、我らの全てを懸けます」
ミカエルは頷いたが、諸将は固唾を飲むばかりで無言だった。総帥たる第六聖女セレンも幕舎の隅で体を小さくしていた。
負傷者はともかく、自らの武器すら投げ捨て逃げてきた落伍兵はもはや兵ではない。戦意もなく、ただ生き延びるために蠢き続ける烏合の衆、正直に言えば重荷でしかない。だとしても、彼らも〈教会〉の人間である。助けてやらねばならない。
誰もが縋りつく何かを求めていた。しかしもう父はいない。
序列でいえば、父の配下の副官、もしくは上位の将軍が元帥の後任となり、総指揮権を引き継ぐところである。しかし今は誰もが決断を迷っていた。
なし崩し的にロートリンゲン家の長男であるミカエルが父の役目を引き継ぐこととなった。階級上はミカエルも将軍ではあったが、それにも増して今回は家柄が優先された。
さらに話し合った結果、戦える者たちだけで戦うという方針になった。その決断はミカエル自身が下した。
第六聖女親衛隊と父の残存部隊は、ボフォースという古城に立て籠もる。野戦は厳しくとも籠城でなら耐え切れるだろう。そしてミカエルら
合流までの一日、先んじて衝撃を与えることで敵の注意を引き、軍勢を釘づけにする。そしてその一日をしのげば、分断さえ防げれば、ヴァレンシュタインとは合流できる。
たった一日──しかし、三週間前までは追っていた。今は追われている。
全てが曖昧模糊となる雪の中、ミカエルはいつの間にかその事実さえ忘れようとしていた。しかし再開した父ヨハンはその現実をミカエルに突きつけた。
弟が父を連れてきたとき、父はすでに冷たくなっていた。
葬送の儀は簡素に済ませた。父は日頃から「戦場で死んだときは、葬儀は簡単に済ませろ」と言っていた。なのでその言葉に従った。ただし元帥の死である。帰国すれば国葬級の葬儀が営まれるだろう。そのときにきちんと別れは告げるつもりである。
弟のアンダースは、やはり任務を優先させ、葬儀には参加しなかった。それ自体は悲しいことだったが、父との不仲を考えれば、無理強いはできなかった。
アンダースとは口論となった日以来、任務でしか顔を合わせていない。もちろん雑談など一切ない。ミカエルが話のきっかけを作ろうとしても、にべもなくそっぽを向いてしまう。昔から頑なに反発する点は徹底している。
アンダースはヴァレンシュタインとの連絡に出ているため、数日前から本隊を離れている。せめてこの日の戦いの前にもう少しだけ兄弟として話ができればと思ったが、今それを思っても仕方がなかった。
降り続く雪が、視界を、行くべき道を霞ませる。
父は道半ばで倒れた。教会遠征軍は一敗地に塗れ、もはや後退するしか道はない。それでも敵は追ってくる。
父が死んで多くの将兵が意気消沈していた。当然、ミカエル自身も。しかしアンダースだけは独り気を吐いていた。少なくとも、人前では決して弱々しい態度を見せなかった。その孤影は、悲しく、腹立たしく、羨ましかった。
黒竜旗が見えた。
騎兵の群れが枯れた森を抜けてくる。半甲冑の槍騎兵。前衛だけでも千騎以上の縦隊。しかしその足並みは無警戒で、バタついている。
急いでいるのか、こちらが反撃してくるなど考えてもいないのだろう。周囲に物見すら放っていない。考えることを放棄した、ただの前進である。
それでも、恐怖で心が震えた。それでも、ミカエルは剣を抜いた。
大剣を背負った
「いよいよですね。存分に剣を振るい、亡き元帥閣下の弔いとしましょう」
月牙の紋章が雪に輝く。アンドレアス・アナスタシアディスがそばで微笑む。
「騎士団長。いえ、ミカエル様。月盾の長にして、ロートリンゲン家の新たなる長よ。この身命は、最期まで共にありますぞ」
『高貴なる道。高貴なる勝利者』と、ロートリンゲン家の
多くの将兵が死んだ。いなくなった仲間もいる。父もすでに亡い。しかしまだ月盾の騎士たちは残っている。弟のアンダースもまだ生きている。
ミカエルの横で、旗手のヴィルヘルムが、騎士団旗を高々と掲げる。
月盾の騎士たちが静かに猛る。
戦うのだ。生きるために、守るために──ミカエルは黒竜旗に剣先を向け、馬腹を蹴った。
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