最後の騎士 ～第六聖女遠征の冬～

2-11 枯れた森の攻防① ……ヤンネ

　冬の風が、戦いの音を運んでくる。

「アーランドンソンさんの部隊が戦闘に入ったのかな？」

　ヤンネの隣で、副官のサミが呟く。

「総員、戦闘が目視できる位置まで移動。音を立てるな。命令するまで交戦は回避しろ」

　サミに目配せし、ヤンネは命令を発した。

　二百騎の麾下が、ゆっくりと動き出す。

　雪をまとい、地を這うようにして馬群が駆ける。馬蹄も、嘶きも、呼吸の音さえもが、雪に融けていく。

　降り続く雪が白く濁っていく。すぐに、黒竜旗と漆黒の胸甲騎兵の姿、そして月盾の騎士の姿が見えてくる。

　銃声、剣戟、馬蹄──枯れた森の開けた場所で、人馬が入り乱れる。

　戦っているのは、アーランドンソンの指揮する黒騎兵（オールブラックス）の部隊である。距離はあるが、ヤンネの視力なら遠眼鏡なしでも視認できる。

　ヤンネは行軍を止め、二百騎の麾下を散開させその場に潜んだ。形としては、伏撃する敵の背後を取った。二重埋伏である。

　駆ければすぐにでも戦いに向かえる。しかし今は、戦う友軍を遠目に、待った。

　ボルボ平原の戦いから二週間が経過した。

　皇帝率いる帝国軍主力の王の回廊へ東進はうまく進んでいない。進軍予定の中継地が軒並み敵に略奪されて物資が確保できていないのと、後衛戦闘を行う敵部隊の妨害のためである。もう一つ、降り続く雪も多少は影響しているだろうが、自国で戦う以上そちらは言い訳にはできない。

　敵より早く動き出していれば、あるいは、中継地点の村落に予め守兵を配しておけば……。だが、作戦の杜撰さを指摘しても致し方ない。それを考え実行するのは皇帝以下、軍司令部の高官たちの仕事であり、ヤンネは口を挟める立場ではない。

　現在、第三軍団騎兵隊は教会遠征軍本隊の残党で唯一後衛戦闘を行っている月盾騎士団（ムーンシールズ）の捕捉を命じられている。まずは与えられた命令を遂行しなければならない。

　恐らく、対象の敵兵力は千名にも満たない。しかしこの小勢は敗勢の中でも尋常ならざる士気と統制を備えていた。

　彼らの戦い方は徹底していた。奇襲、一撃離脱、攪乱。狙った部隊の指揮官、情報将校を優先的に狙い、すぐにその場から離脱する。兵站部隊は輜重だけを焼き払い、森の兄弟団（コルピクラーニ）のような斥候は、通訳を殺害してすぐに消える。部隊を大小に散開させ、同時多発的な襲撃を繰り返すことで、居場所を攪乱する。足跡を偽装し、まともな規模の軍勢とは、決してまともにぶつかり合わない。まるで悪党か山賊のような連中である。ただ、情報がないわけではない。確保した捕虜から聞き出した情報によると、敵将の名はジョー・ウィッチャーズ。月盾騎士団（ムーンシールズ）の上級将校で、ストロムブラード隊長の知り合いでもあるらしい。

　ヤンネは内心、その敵を見下していた。誇りある騎士の戦い方ではない。しかし一方で、そんな戦い方をする騎士がいるというのは新鮮な驚きでもあった。

　雪の舞う土煙と硝煙を前に息を潜める。待機する騎馬の影を雪が覆う。

　しばらくして、敵の戦闘集団から伝令と思しき影が数騎飛び出す。

「コッコ！　敵の伝令を捕らえろ！　絶対殺すなよ！」

「任せろ！　行ってくるぜ！　期待しとけよ！」

　声を潜め、互いの拳を突き合わせる。

　コッコが仲間を連れ、敵の伝令を追走する。人馬の影は、音もなく木々の合間を縫い、すぐに見えなくなった。

　ヤンネは再び待った。

　コッコには悪いが、先ほどの伝令は恐らく囮である。これまでの戦い方を見ても、この敵を捕捉するのは容易ではない。ただ追いかけるだけでは分散されて見失ってしまうだろう。本命の獲物、指揮を執る月盾の騎士を捕らえるには、まだ我慢しなければならない。

　雪が、土煙が、硝煙が、さらに視界を曇らせる。

　ヤンネの視線の先で、戦闘が激しさを増していく。数では千騎を従えるアーランドンソンの部隊が圧倒的に有利だが、それでも一方的な状況には決してならない。

「モリオン兜を被った軽装の男が見えるか。ボロボロの羽飾りの奴だ。奴から目を離すな。指揮官だ」

　顔にまで刺青（いれずみ）を入れた古参兵の一人が耳打ちしてくる。その指差す先にヤンネも目を凝らす。

　剣と拳銃を手に、他の騎士たちと同じように戦う一人の男。月盾の徽章はしているようだが、周りの半甲冑の騎士と比べるとややみすぼらしい。指揮官というよりはその辺の傭兵に見える。

「なぜわかる？」

「周りの動きを見ろ。事あるごとに奴の周りに必ず人が集まる。それに他の奴より装具が汚い。いい指揮官は誰よりも汚れる」

　意外な返答にヤンネは驚いた。こんなとき、父やその取り巻きなら「臭いでわかる」などと意味不明な言動を自慢げにするものだが、この古参兵はかなり具体的に答えた。

「見た目で判断するな。うちと同じだ」

　そう言って、古参兵はヤンネのバフコートを軽く叩くと、自身の派手な軍装を見せびらかした。極彩色の馬賊（ハッカペル）伝統の騎馬姿は、見慣れたはずのその姿は、いつも卑下していたその姿は、なぜかわからないがどこか勇ましく見えた。

　また、敵が戦闘から抜け出す。まだ黒騎兵（オールブラックス）との戦闘は続いてるが、今度の敵はかなりまとまった数である。

　その集団の中に、先ほどの指揮官と思しき男もいた。

　あれが本命の獲物だ──ヤンネは残る麾下を連れ、動き出した。

　付かず離れず、ヤンネはその敵を追った。気配を感じているのか、敵は分散集合を繰り返し、こちらを撒こうとした。その都度、ヤンネもそれぞれに追手を放つが、本命の獲物からは決して目を離さなかった。

　枯れた森の中で、どれほど雪を蹴っただろうか──ヤンネや若い兵の息遣いが荒くなる一方、古参兵らは依然として音を殺して動き続けている。そのおかげか、敵に規模までは悟られていないようである。こちらを探る目にも、動きにも、未だ迷いがある。

　こんなにも頼もしい部族の大人たちを、蛮族だのと馬鹿にしていた自分をヤンネは恥じた。副官で、部族でも最年長の部類に入るローペが死んだことで、皮肉にも麾下の兵は引き締まっていた。老いも若きも、何かを自覚したのだろうか。みなヤンネに忠実になっていた。

　志を同じくする若い戦友たちだけではない。今は、部隊の大人たちが、歴戦の古参兵たちがついてきてくれる──独りではない──その感覚は、疾駆に力を与えてくれた。

　不意に、森の中に別の敵集団が現れた。馬を降り、明らかに何かを待ち伏せている。追いかけていた敵の指揮官と思しき男は、しきりに散れと叫んでいる。

　間違いない。あのみすぼらしく見えた男こそ、この後衛戦闘を指揮する月盾の騎士である。

「鏑矢（かぶらや）！　それに角笛（ホーン）を！」

　放たれた鏑矢（かぶらや）が、冬の空を切り裂く。風に哭く矢が、角笛（ホーン）の雄叫びが、狩りの始まりを告げる。

「アーランドンソン殿とイエロッテ殿に伝令！　敵の指揮官を発見！　増援を依頼！」

　伝令が駆け出す。

「本隊のストロムブラード隊長に伝令！　これより、そちらに獲物を追い込む！」

　ヤンネは再び伝令を走らせると、手に握る弓に矢をつがえた。