ぶつかり合う風

2-10 対立する月盾の兄弟  ……セレン

 見えるのは雪と死だけだった。


 セレンがその集落に辿り着いたとき、教会遠征軍の騎士たちは、月盾の騎士たちは、家々を焼き、人を吊るしていた。


 隊伍を組む親衛隊の隙間からセレンは頭上を見上げた。

 老若男女を問わぬ無数の首吊り死体が蓑虫のように揺れていた。男は重たそうだった。老人は枯れた枝のようだった。裸に剥かれた女と自分よりも幼い子供は単純にかわいそうだった。


「アンダース! これは一体、何事だ!?」

 月盾の長が駆けてくる。月盾騎士団ムーンシールズ本隊を率いるミカエルが弟のアンダースを怒鳴りつける。

「何って? 父上の弔いですよ。我ら教会遠征軍に土をつけ、我が父を死に追いやった憎き〈帝国〉、その北の蛮族どもに罰を与えているのです」

 誰よりも派手な軍装の騎士が飄々とした態度で反論する──青羽根の飾られた長つばの騎兵帽。胴鎧とマントに描かれた不気味な髑髏どくろの紋章。艶めく赤銅を湛えた刺剣レイピア──もう一人のロートリンゲン家の男、アンダースが兄のミカエルと向かい合う。

「何が罰だ! このような民衆の虐殺が許されると思っているのか!? 今すぐこのバカ騒ぎを止めろ!」

 月盾騎士団ムーンシールズの副官のディーツが、首吊りを指揮している小汚い傭兵に詰め寄る。しかしアンダースの部下と思しき傭兵はヘラヘラと笑いながら、「上官の命令に従ったまで」と言い訳をする。青羽根の騎兵帽をしきりに被り直すアンダースも特に悪びれる様子は見られない。


 ミカエルがなぜ怒っているのか、アンダースのしていることが悪いことなのか、セレンにはいまいちわからなかった。


 〈帝国〉は敵である。公には隠されているが、その帝国軍の攻撃によりヨハン・ロートリンゲン元帥は死んだ。アンダースの行いはその報復に他ならない。ちょうどこの〈第六聖女遠征〉がグスタフ三世の引き起こした〈黒い安息日ブラック・サバス〉に対する報復であるのと同じように……。


 ぼんやりとその顛末を眺めるセレンの前で、月盾の兄弟の視線が粉雪の間に交じり合う。


 不貞腐れるアンダースが溜息をつく。

「あの負け戦以来、部下たちは疲れきっています。少しくらい喪に服す時間を与えてやってもいいでしょう」

「これのどこが喪に服しているというのだ!? いい加減、自分の立場を弁えろ!」

「すいません。確かに、本当は息抜きみたいなものです」

 騎兵帽を被り直しながらアンダースがしたり顔をする。

「でも、このような汚れ仕事は私の仕事ですから。兄上は細かいことは気にせず聖女様を守っていて下さい」

「仕事だと!? 略奪と虐殺を正当化するな! このような行いが本当に父上のためになるとでも!? このような悪行が〈教会〉や我が家の名誉を貶めていることがなぜわからない!?」

 ミカエルの怒号が激しさを増す。しかしアンダースも引き下がることなく語気を荒げる。

「ボルボ平原での敗北後、誰が騎士団に物資を供給していると思っているので!? 誰が父上の残存部隊をまとめ、ヴァレンシュタインと連絡を取っていると思っているので!? たまたま道中にまともな敵がおらず、たまたま敵の追撃が緩いから助かっていると理解しているので!?」

 口汚い罵倒がどんどん暴力的になっていく。

「ここまで兄上は何をしてきた!? 何もしてない! せいぜい、そこの小娘の子守りだけだ! 都合よく敵を始末してくれるような、古の大魔法が本当に存在すると思ってるので!? 祈っていれば神が守ってくれるとでも!? 綺麗事ばかり並べあげつらうだけならその辺のバカでもできますよ!?」

 おもむろにアンダースに指差され、セレンは咄嗟にレアの背後に隠れた。アンダースのことは恐ろしかったが、レアの大きな背中は頼もしかった。親衛隊長を務める女騎士はセレンを守るように立ってくれた。


 父親のヨハン元帥が死んだというのに、血を分けた兄弟だというなのに、なぜここまで言い争うのか──生まれたときから孤児であり、家族を知らないセレンには全く理解ができなかった。


 兄弟の対立は、恐らくはそのやり方についての考え方の違いだろうか。しかしセレンはどちらを支持すべきか判断できなかった。


 ボルボ平原での敗北から一週間。昏倒したセレンの身を守ってくれていたのは月盾騎士団ムーンシールズのミカエルと、レアが指揮する第六聖女親衛隊である。しかしその裏で、アンダースの部隊は積極的に村落を攻撃し、物資を確保してくれた。北陵街道からの兵站が途切れた今、アンダースの収奪した物資が、王の回廊にいるヴァレンシュタインとの連携が、残存部隊の生命線であるのは明確である。

「父上亡き今、兄上は月盾騎士団ムーンシールズの団長というだけでなく、ロートリンゲン家の長でもあるのですよ! 指を咥えて何もしない、そんな無能者ではないはずだ!? 文句ばかり言ってないで少しは働いて下さいよ!」

 高まる緊張の中に殺気が走る──ミカエルが古めかしい直剣の柄に手をかける。アンダースも歯輪式拳銃ホイールロックピストル革袋ホルスターに手をやる。

「兄上はいつもそうだ! 正しいだの正しくないだの、臭い物にはすぐ蓋をして、綺麗事ばかり並べて! 何が悪行だ!? 何が罰当たりだ!? 何が恥知らずだ!? 俺は必要なことをやってるまでだ! 本来ならば兄上が負うべき仕事を俺が代わりにやってるんだ! むしろ感謝しろよ!」

 怒り、侮蔑、羨望──ない交ぜになったアンダースの感情が爆発する。


 アンダースは両手を広げ、剣を抜けと言わんばかりに凄んだ。しかしミカエルは、剣の柄を握り締めたまま、耐えた。


 結局、ミカエルが剣を抜くことはなかった。しかし背後では互いの部下たちが臨戦態勢を取っていた。ミカエルの方が味方は多かった。ディーツやレアが明らかにミカエルの味方をするのに対し、アンダースの方には麾下の将校らしかいない。

 ただ、状況を見守っている者も多かった。ヨハン元帥配下の将官らは兄弟の間で困惑している。さらに、戦場では並外れて勇敢な月盾騎士団ムーンシールズの上級将校リンドバーグも争いからは距離を置いている。その表情も人面甲グロテスクマスクに隠れ窺い知れない。


 睨み合いの静寂に雪が舞い落ちる。張り詰めていく緊張の糸が血の臭いを漂わせる。このままでは、やがて本当に血が流れる。


 二人ともやめて──セレンは兄弟の争いを止めようとしたが、しかし思いは声にならなかった。


 代わりに仲裁に入ったのは、月盾騎士団ムーンシールズの上級将校であるアンドレアス・アナスタシアディスだった。

「お二人とも落ち着いて下さい」

 誰もが鼻息を荒げる中で、アナスタシアディスの声は落ち着いていた。

「確かに、弟君は誰もが嫌がる汚れ仕事を率先して果たされています。本来なら私やウィッチャーズがやらねばならぬことですし、それについては感謝しています。しかし兄君に対する態度はとても褒められませんよ」

 諭すアナスタシアディスにアンダースの怒りが揺らぐ。

「兄君は騎士団の上官であり、ヨハン元帥亡きあとの後継者です。序列を無視しては軍の瓦解は免れません。それをお忘れにならぬように」

 アナスタシアディスはすんなりとアンダースの矛先を収めると、今度はミカエルに向き合う。

「ミカエル様も悩んでばかりではいられませんよ。この危急で先頭に立つのは大変でしょうが、それでも貴方は月盾の長です。立たねばならぬお方なのです」

 アナスタシアディスはミカエルにも遠慮しなかった。ロートリンゲン家の外戚で、〈教会五大家〉のティリー家から妻を娶る上級貴族だけあり、その存在と発言力はやはり大きい。

「もっと仲間を、我々を信じて下さい。我らはあなた様の剣であり盾なのですから。もちろん、弟君も力になってもらいますからね。さぁ、これにて兄弟喧嘩は手打ちとしましょう」

 アナスタシアディスはあくまで中立の立場をとって兄弟の争いを収めた。

「申し訳ありません。アンドレアス殿」

「ありがとう。アンドレアス」

 アナスタシアディスに向ける言葉にも兄弟の違いがはっきりと表れていた。血を分けた兄弟でどうしてこうも違うのか、セレンは不思議で仕方なかった。


 言い争いが終わると、アンダースはすぐに去っていった。だが、去り際にセレンに向けられた青い瞳にはまだ憎悪が満ちていた。

 一瞬の邂逅だったが、得体の知れぬ憎悪の残滓はしばらく消えなかった。

 セレンは困惑した──その憎悪は、ミカエルに向けてのものなのか、それとも自分に向けれらたものなのか? アンダースは何に対して怒っているのか? ──考えたがセレンには何もわからなかった。


「見苦しい姿を晒してしまい申し訳ありません、セレン様。弟の非礼をお許し下さい」

 苦渋の表情を浮かべ、ミカエルが跪く。

「顔を上げて下さい。私は気にしていませんから……」

 セレンは気遣ったが、ミカエルは俯いたままだった。

「それよりも、ヨハン元帥と、死者の方々にお祈りを……」

 この状況下で、セレンは神に祈りを捧げることしか思いつかなかった。最も真摯なる者と呼ばれはするが、それしかできぬ自分が少しだけ情けなかった。


 セレンは司祭らと神に祈った。しかし、吊るされた死体も、家々を焼く炎も、降り続く雪も、何も変わることはなかった。


 セレンは疲れていた。目覚めて以来、ほとんど眠れていない。束の間眠りに落ちても、白い闇にうなされ、ぐっすりと眠れない。これならば昏睡していた方がまだマシな気がした。


 何もかもが冬の色に染まっていく。誰も彼もが、冬に狂う。きっとここは地獄だ。だからといって死を受け入れたくはないし、穏やかな眠りが訪れないのであれば、多分ここで生きていくしかないのだろう──疲れ果てた頭で、セレンはそんなことを思った。

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