燃える冬の夕景

1-8 強き北風  ……オッリ

 冬の哭き声。血の道標。落ちゆく者の残り香──そして、獣たちの笑い声。


 北限の峰から吹きつける強き北風ノーサーが戦場に吹き荒れる。その風をまとった〈帝国〉の黒竜旗の殺意が、〈教会〉の十字架旗を蹂躙する。


 黒騎兵オールブラックスの突撃を機に教会遠征軍の戦列が崩壊していく中、極彩色の馬賊ハッカペルが毒々しい花を咲かせながら戦場に現れる。東方にルーツを持つ騎馬民族のまとう毛皮の服や軽装の革鎧を、王侯貴族からの略奪品で装飾した千騎の弓騎兵が、餌の臭いを嗅ぐようにして戦火を窺う。


 そして燃える十字架旗目掛け、極彩色の馬賊ハッカペルが駆け出す。


 笑い声が燃える雪原を駆ける。わずかに踏み止まる〈教会〉の騎士たちに、極彩色の風が襲いかかる。

 馬上から放つ矢が白煙を切り裂く。唸る矢が、騎士たちを次々に射抜いていく。

 騎射に続き、けたたましい鼓笛と獰猛な喊声が轟く。鉈、蛮刀、戦鎚など、各々得意の近接武器に持ち替えた極彩色の馬賊ハッカペルの戦士たちが、勢いのまま敵中に殴り込む。


 ぶつかると同時に、極彩色の風が血飛沫を巻き上げる。その群れの先頭で、強き北風ノーサーが咆哮する。


 振り下ろしたウォーピックの一撃が、騎士の兜を穿ち、頭蓋を砕く。顔中の穴という穴から、冗談のように血が噴き出す。生温い返り血が、極彩色の装具を、両腕の刺青いれずみを、鮮やかな赤に染めていく。

「我らが父祖! 偉大なる〈東の覇王プレスター・ジョン〉よ! その杯に大いなる血の雨を! 遥かなる地平線に、我が血の雨を!」

 偉そうな〈教会〉の騎士たちを殺しながら、オッリは先祖の名を叫んだ。二百年前、〈東からの災厄タタール〉で大陸を恐怖と混乱に陥れた始祖、〈東の覇王プレスター・ジョン〉の伝説と、〈帝国〉の皇帝グスタフ三世の戦いぶりを重ね、オッリは狂喜した。


 自らを燃える心臓の男と称し、この戦争を〈大祖国戦争〉と呼んだグスタフ三世は、三ヵ月にも及ぶ遅滞作戦ののち、ここボルボ平原でついに反撃に討って出た。そして一撃で大勢は決した。

 皇帝自らが指揮を執ったボルボ平原の会戦は帝国軍の圧勝だった。動員兵力は五万と同等だったが、戦略的撤退により温存されていた帝国軍は、兵の質、士気ともに精強であり、長期行軍により疲弊していた教会遠征軍を鎧袖一触で蹴散らした。鉄の修道騎士と称される教会遠征軍の総指揮官ヨハン・ロートリンゲンも、噂と違い大した相手ではなかった。反攻の直前に到来した冬も帝国軍に味方し強襲を後押しした。

 帝国軍第三軍団騎兵隊の友軍である黒騎兵オールブラックスの突撃により、教会遠征軍の本陣は呆気なく陥落した。そして勝敗の決着と同時に燃え始めた炎は、瞬く間に教会遠征軍の野営地を覆っていった。


「おー、あいつも派手にやってんな」

 オッリの視界の先で漆黒の胸甲騎兵が駆ける。戦友であり上官でもあるマクシミリアン・ストロムブラードが率いる黒騎兵オールブラックスが、炎をまとい躍動する。

 黒騎兵オールブラックスの突撃前にはすでに着火していただろうか。味方が攻勢を強める合間、オッリらが退屈しのぎに飛ばしていた火矢が火薬にでも引火したのだろうか。気づいたときには炎は盛大に燃えていた。会戦の勝敗が決した一方で、炎の勢いは止まることを知らず、教会軍の本陣は敵味方入り乱れ大混戦に陥っている。

 ただ、組織的な抵抗は疎らだった。教会遠征軍の総指揮官、ヨハン・ロートリンゲン元帥の生死に関わらず、態勢の立て直しは誰がどう見ても不可能であり、帝国軍の部隊の多くは追撃戦へと移行している。


 勝敗は決した──このあとは極彩色の馬賊ハッカペルにとって何より楽しい時間、狩りの始まりである。


 極彩色の馬賊ハッカペルの戦士らはみな笑顔だった。

 敵を完膚なきまでに叩き潰し、逃げ散る背中に気の赴くまま矢を射込む。従軍司祭を嬲り殺し、偉そうな騎士の首を刈る。十字架旗を奪い、放火し、敵兵を生きたまま炎にくべ、焼き殺す……。一見すれば、和やかに狩りに興じる笑顔溢れる戦場である。

 しかし笑顔の裏で、男たちは飢えていた。オッリも同胞たちと同様、飢えに飢えていた。小競り合いを除けば、三ヵ月もの間まともに戦ってなかったのである──まだまだ戦い足りない。奪い足りない。殺し足りない……。


 白煙の中に浮かぶ獲物に狙いを定め、オッリは舌舐めずりをした。夕景に落ちていく、十字架を奉る天使の錦旗──〈教会七聖女〉の一人であり、教会遠征軍の旗印を務める少女、第六聖女セレン。


 目的は女である。ヨハン・ロートリンゲンのような王侯貴族のお偉方は身代金か射撃の的にしかならない奴隷にも劣る畜生だが、女は違う。年端もいかぬ第六聖女の周りには、その世話をする侍女や、親衛隊の女騎士ら、美しい子女が大勢いる。それらを捕らえ、嬲り、犯す。孕ませ、産ませ、その子らは〈東の覇王プレスター・ジョン〉の末裔として、騎馬民族の子として、極彩色の馬賊ハッカペルの戦士として育てる。

 要は、〈東の覇王プレスター・ジョン〉がかつて大陸を蹂躙したときの生き様である──戦場を縦横無尽に駆け、勇者を寸刻みに殺し、美女を好き放題に犯し、金銀財宝を略奪する──オッリの母親も大陸東部の亡国の女、妻も戦地で略奪した女である。極彩色の馬賊ハッカペルの男たちにとって略奪した女は最高の戦利品であり、美しく高貴な血を犯し孕ますことは戦士として最高の栄光なのである。


 ただ、日没は間近に迫っている。反撃も許さぬ大勝利を得た以上、グスタフ帝は夜戦までは仕掛けないだろう。つまり日没までの残された時間で、もう一戦果、最上級の獲物を仕留めたい。


 沈む夕陽が影を増し、炎が宵闇に燃える。


 オッリは力任せに敵兵の頭部をねじ切ると、それをあぶみに縛りつけ、そして馬腹を蹴った。


 聖女を地面に引きずり倒し、その血を〈東の覇王プレスター・ジョン〉の杯に捧げる。遥かなる地平線に、必ずやこの血を刻みつける。


 燃え滾る血がオッリを衝き動かす。日没までの時間など関係ない。戦いはまだ終わっていない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る