第30話 玲奈の勝負



 駆け出してから数分後。

 一弥の携帯から着信があった。

 ――昨目までは電源が入ってなかったのに……。

 あたしは直ぐに耳に押し当てる。

「おい。大丈夫か一弥! 今どこにいる」

「うふふ。ご機嫌よう――玲奈」

 チッ。さっきのは夢じゃない。

 そう、あたしは心の中で毒づいた。

「おい彩加! こっちは忙しいんだ。さっさと一弥を出せ――時間がないんだ!」

「あら、玲奈ったら声を荒げたりして大人気ないな~。あれ、それともこれ嫉妬かしら」

「彩加。お前、一弥をどうした」

「どうもこうも無いわ。別に一緒にいるだけよ」

「お前、今日――公園で会ったよな」

「さあ。それはどうだったかな~」

「しらばくれるな。お前、絶対おかしいぞ。頭でも打ったんじゃないのか!」

「失礼しちゃうわね。私は私。他に誰がいるっていうのよ」

「何だその言い方は――気に入らねぇ!」

「そんなのどうでもいいじゃない。別に、あなたに気にいられる必要は良いんだし~」

「なら、一弥を出せよ!」

「それは出来ないわ。一弥はまだ完全じやないもの」

「なんだと一弥を拉致監禁しやがって! それで洗脳でもする気か!」

「まあ、玲奈ったら拉致監禁なんて人聞きの悪い。一弥は白分の意志で私の側に来たのよ。だから拉致も監禁も洗脳する必要もないのよ」

「彩加。お前、今ならまだ間に合うぞ。自首するなら罪も軽くなるんだからな!」

「それは一弥が嫌がっていたっていう場合の話でしょう。残念だけど一弥が嫌がっていないなら、そんなの成立しないわ」

「ああ、そうかい。それならこっちから出向いて一弥に聞いてみるだけだ」

「ええ、良いわよ。ただし私の所まで来られるかしらね」

「ふん。滑稽な物言いだなぁ。自分から隠れておいて今度は探してくださいか――笑っちゃうね。どうせ捕食披食の関係なんて距離が縮まることはあっても立場が逆転することなんてありえない。彩加、精々遠くまで逃げることだな。だが逃げ切れないぞ。あたしは地の果てまでお前を追掛けて必ず仕留めてやるからな!」

「これだから。相変わらず玲奈って野蛮で単細胞な馬鹿ね――やっぱり一弥には似合わないわ。その頭の中には野蛮な本能しかないのかしら。まあ、それなら私がレベルを下げて相手をしてあげる。今、一弥の家からパピヨンに向かって歩いてあげるから。そのコースをアンタが襲えばいい。これなら簡単でしょ。私たちは歩いているだけ。邪魔が出来るものならやって見せなさい!」

「はははッ。これは傑作だ。今ならまだ謝れば許してやれる。だが次は無いからな。これは最後の情けだ」

「お生憎様! どうせアンタは私たちに近づくことさえ出来ないんだから。精々、返り討ち合わない程度に気をつけることね!」

「――彩加。お前、ぜったい後悔するぞ。あたしは今まで獲物を逃したことがない。だから半殺しは覚悟しろ!」

「ええ。楽しみにしてますよ――雨宮玲奈!」

ツーツーツー。

 野郎――切りやがった!

 彩加の奴、馬鹿にしやがって。

 もう殴るだけじや許さないからな!

 泣いてもマジで打ち抜く!

 あたしはパピヨンに向かう秘密の最短ルートを駆け抜けてゆく。

 この道は猫を追い掛けていったら見つけた抜け道だった。

 ――数分後。

 前方に彩加と一弥を発見。

「あいつら腕なんか組みやがって~~~ッ!!」

 あたしは体勢を低くして全速力で大地を蹴る。

 はははッ。何が何も出来ないだ。

 それに気づいてもいない。

 おもいきり後頭部にラビットパンチを決めてやる。

「おい!」

 あたしの手が彩加の肩に触れる刹那。

 何かが視界の隅に入った。

 それが何か判別できない。

「くッ――」

 あたしは反射的に後ろに飛び去る。

 猛スピードのそれはあたしの鼻先を掠めた白い球体。壁に突き刺さったのは直径約5センチの球体だった。威力はコンクリートの壁に穴が空くほどだ。壁を見て茫

然としていると彩加たちの姿は既に遠くなっていた。

 あたしは走り出すと後ろにゴルフクラブをもった男が辺りを見回していた。

「くそッ。何だってんだ!」

 あんなのは偶然だ!!

 これ位で動揺するんじやない。

 あたしは冷たい汗を背中に感じながら進んでいった。

 もっとも前を行くふたりのスピードは緩慢で自然な歩行だった。

 これなら走る必要もない。

 ゆっくりと進むべきだ。

 オレはそう考え始めていた。

 しかし、ベッタリと胸を押しつけて一弥の腕にまとわりついた馬鹿女は、不意にこっちを振り向きながら、あたしの顔を窺っている。

 冷静を装うように、あたしは努めた。

 しかし彩加が微笑みながら、べーッと下を小さく出しやがった。

 もう勘弁ならねぇ。

 あの性悪娘にはキツ~イ仕置きが確実に必要だ!

 あの性悪は今のウチに叩き潰しておかないと二度と素直には戻らないからな。

 拳を握りしめて掌を思いっ切り打つ。

 これは、あたしの優しさだ。

 とくと味わえ!

 もう前を向いた彩加の後頭部を睨付けるように、あたしは徐々に速度を上げた。

 もうあと一息の距離で躍りかかった。

「うッ!」

 すると足元がズルリと横に流れた。

 石か何かを踏んだようだ。

 あたしはバランスを崩して倒れるのを堪えるように足場を確保しようとするとマンホールがスッポリと口を開けていた。

「うっわッー!」

 たまらず、あたしは飛び退いた。

 要するに前方に転がったのだ。

 後は受け身を取れば何も問題は無かった。

 だが、その先にゴミ捨て場が見えた。

 そこに、あたしは頭から突っ込んだ。

 ゴミ袋はボーリングのピンのように辺りに飛び散り、気がつくと頭から生ゴミをぶちまけられていた。

「くそッ。なんだよ。これ! もう、わけわかんねぇ!」

 あたしは明らかに動揺していた。

 だが、彩加をこのまま行かせるわけには行かない。

 そんなこと、あたしは意地でもゆるさない。

 交差点を渡るふたりを追掛けてる。

 左右を見渡しても何も来ない。そ

 れだけ確認するとダッシュした。

 大丈夫、まわりに何も無い。

 走り出す肉体。

 その先にある目線はどこかで不規則な陰影を捉えていた。

 その陰影は走り出した肉体が進み出るべき場所を先読むように占めていた。

 刹那に脳が、いや本能だろうか、あたしは不途、頭上を窺った。

 頭上には三つ目が存在した。

 正確には落下した白動車用の信号機だというべきだろう。

 それはわかり過ぎるほどに良く見えた。

 既に色を失った三つの巨大な目玉はオレを愛おしそうに見開いて見つめている。

 あたしの脳はもう間に合わないと判断したのだろう。

 だが本能は既に三つ目の動きを捉えていた。

 本来なら見えにくい筈なのだろうが、もう関係はなかった。

 それほどのタイミングだった。もう出来るか出来ないかではない。

 死にたくないのなら肉体は総てを総勅員して動かなければならないのだ。

 斯くして巨大な三つ目は一文字に切り刻まれると鈍い音を立てながら左右に別れて落ちた。

 手には無意識に抜いた小太刀が握られていた。

 ふう。

 ――っと息を付いたのも束の間。

 後ろから音がする。

 それは車だった。

 わかりやすい展開だ。

 ダンプだとかいう巨大な四輪車。

 積載量が満載だから20トン以上はあるだろう。

 そこまで来ると呆れ果てて言葉も出なかった。

 あたしは軽やかに翻って収しきると、そのダンプは信号のない電柱をすり抜けて行った。

 それを茫然と見送ると、何故か背中が冷たかった。

 突如、消火栓が爆発したように水をまき散らして頭から水を披ってしまった。

 怪我をしてるわけでも無いので、きっとこれは運が良いのだろうなあ~。

 うぐぐツ。

 どこからか視線を感じた。

 坂の上から彩加が口元に手を当てて、こっちを上目線で見下しやがった。

 くそ、あたしは見せ物じやねえぞ!

 だが相変わらず一弥は後ろを振り向かない。

 ああ、曇陶しい!

 ――もう知るもんか!

 勝手にしやがれ!

 もうこんな馬鹿騒ぎなんかに付き合いきれるか! 

 あたしはそう毒づいた。

 帰ろうとすると彩加が先ほどの場所で腕組みをしながら、いつもまでもこっちを見続けている。

 一定の間隔で時計に目をやる行動がムカツク。

 ああ~ツ。彩加の野郎――本当にめんどくさい!

 舌打ちをすると仕方なく彩加の後ろ姿をゆっくりと追っていった。

 それからは物理的な行為は何も起きなかった

 しかし何故か突然100匹の猫に囲まれたり。

 大通りで歩道車の信号が壊れていたり。

 遠足園児の列が何百メートルも横切ったり。

 開かずの踏切に迷い込んで10分以上も待たされたりなどetc

 それは酷く馬鹿馬鹿しいモノだった。

 これだと強引にも突破できない。

 それで、あいつらにはちっとも近づけない。

 どれだけ足掻いても届かない。

 その僅かな距離が永遠と思えるほどに隔絶された絶対的な壁のように感じられて

しまう。

 あたしはボロボロになりながらも根性だけでパピヨンまで辿り着くことが出来た。

 だが、もう彩加たちは店内に逃げ込んでしまっていた。

 それでゲームオーバー。

 彩加は見せつけるように窓際の席を陣取りブルーベリーパイをふたりで食べてい

た。

 昨日と今日が連続でブルーベリーパイなんて幾ら何でも出来過ぎだろう。だが、これで彩加のささやかな復習は成ったというわけだ。

 相変わらず一弥は後ろ姿しか見えなかった。

 だが、とても楽しそうだった。

 彩加の笑顔に反応して一弥の肩やカップを持った手が大きく揺れる。

 なんだか、あたしは場違いのような気がした。

 店内に乗り込もうとしたが、あたしは自分の格好を見て諦めた。

「今は、お前の勝ちだよ彩加――でも、いつか殺す!」

 あたしはそう呟いて自分の部屋に向かって帰った。

 もう、西の空には赤らんだ斜めの光りが占めていた。



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