第24話 静奈の長い話①



 もう、そんなことをする必要は何所にもなかった。

 むしろ喜々として、これからの事に考えを巡らせていた。

 私は今までの時間を無為に過ごしてきたわけではないことを真実だと伝えてくれているからだ。

 それは今この瞬間が――これだって、あれ程、分析的で客観的に物事を推し量ることの出来る一弥が何の疑問も持ち合わすことが出来ていないのだから。

 ある程度、私の能力は成功を収めているのだろう。

 それは私にとって驚嘆すべき内容だった。

 だが、それは今のところ事実だった。

 なんの問題も無い。

 その時、私は以前聞かされた静奈さんの話を想い出していた。



 彩加。一見堅硬そうに見える地盤でも、ほんの些細な綻びを放置して置くと後になって一定の条件が重なれば一気に土砂となって破綻してしまう事がある。

 それを見つけ出して補修する事によって、やっとその事象はまた少しだけ完全性というモノに近づくことが出来たと考えられるわけだ。

 だとすればその事象の寿命が仲びたという事に他ならない。

 それを如実に表わすのなら、例えば生物を考えれば捉えやすいだろう。

 しかもそれは一切の有象無象の悲願に他ならないモノだ。もっと端的に云うならば本能だとも言い換えられる。

 だとすれば、それは生き物だけに止まらず物体、理論、思想にさえ、本能的に備わっている事柄だといえるだろう。

 それは皮肉にも新しく生まれてきた先進的な論理的思想によって、以前の論理思想は過去に成り下がり流行らなくなる。

 それでも書物には大切に記録として保存されるだろうが、そうなってしまっては現実的に生きているとは考えにくい。

 考えても見ろ、我々が恐竜について思いを巡らせることと同じ事だ。

 だがね、その我々の中にも新しい何かが生まれてきたら、それが環境というモノに我々よりも適用できたのなら簡単に取って代わられてしまうんだろうよ。

 ああ、実感できないと云う顔だな彩加。

 それなら今度は社会体制を考えてみればいい。

 狩猟採取の時代から農耕を覚えた人類が、自ら王を作りだし、そして君主制を作り、今度は議会制をとりいれて、その絶対王政を破壊して権利を公平に振り分けた。それが民主主義だ。

 それが終わったら、今度はその体制を巡って様々な考え方をするグループに別れ、桔抗していればお互いに罵りあうだけだ。

 そして、いざその均衡が破れれば、瞬く間に革命が起こり昨日通用していた常識が一夜にして変わってしまうことになる。

 合法、非合法は知らないけどね。

 だがそれも歴史的なスケールで計れば瞬く間の一過程に過ぎない。   

 ――ああ、長くなったが詰るところ、絶対的なモノはこの世には存在しないというのが私の結論だ。

 絶対的に見えるモノさえ絶えず変化して環境に最も適したモノだけが存在しているだけと云うことになる。

 それは物事の総てに死という寿命を内包しているという事が前提だからだ。

 つまり自分で変化し環境に適さなければ淘汰されてしまう。

 ここらで本題に戻るが、お前の兄の一弥はその綻びを見つける天才なんだ。

 それが完璧であればあるほどに、奴はその概念の盲点を突いてくる。

 しかも無意識にだぞ。

 これは才能と云ってしまえばそれまでだが、なかなかどうしてやりにくい。

 お陰で私は一弥に、今でも完璧な術法を造ることを暗に要求されているという寸法さ。

 だが、その為により完璧なモノに近づくのか、遠ざかるのかなんていうモノは、もう既に客体自体の問題に移行しているのだと、私は思うがね。

 そう彼女は最期に付け足して事務所の隠し部屋にある錬金工房で苦笑していた。



 この記憶を白昼夢のように見終わると車は停車して信号機の充血した緋色の瞳を見続けていた。

 ――ふふふツ。

 これは、もはや術理を通り越して魔法の領分だろう。

 あの人の言うとおりだ!

 もう静柰さんに伺いを立てるまでもない。

 ――私は、もう無敵に違いないんだから。

 すべてが自分の思いのままに進んでいくわ!

 私をもう誰も止められやしない!

 私は自分の唇の両端が自然といやらしく持ち上がって行くのを感じた。ともかく、その頃になれば私の行動を妨げるモノは取りあえずこの世には存在しないのだと、半ば確信していた。

 ――あとはこの甘い無色透明な秘薬を紅茶にシロップとしてブレンドすれば良いわけだ。

 私の目は細められ唇は白然と利き顎の方だけが持ち上がった。

 そうして走り出した闇を写す車窓は、私の欲求を満たす歪な嗤いを貼り付かせた横顔を映り込ませる。

 私は、それを満足そうに眺めていた。




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