第15話 蒼いイヤリングとターニングポイント

「ふうん。なるほど、あんた静柰の弟子なんだ。でも、あんなの相手にしてて疲れないの?」

 私たちは来賓用のテーブルに向かい合って座っている。

 もう私は白分の身体に戻っていた。

 彼女はもたれ掛かるように椅子に身体を理めている。

「まあ、いろいろありますけど、でも基本的に彼女は私の師匠ですし、それに生真面目で、可愛いところだってあるんですよ」

「ふうん。ある程度は慕われているんだね」

 そう良いながら彼女が入れ立ての紅茶を口に含む。

「そうですね。ある程度は……」

 私も手元の紅茶に手を仲ばす。

 ――おいしい。

 私は、手に持ったカップに目を落とす。

「どう、美味しい?」

「はい。とても、こんな美味しい紅茶は初めてです」

「なら、よかった。どうやら上手くいったみただね」

 そう云いながら彼女はもう一ロ、紅茶を含んだ。

 私は知らなかったが、静柰さんには兄妹が居るらしい。

 それか近い血筋の人なんだろう。

 見ているとなんだか静柰さんとは、また違った印象を受けてしまう。

 彼女は凛として、とても知的に見えるし、長い髪も緩やかで、どことなく優しそうだ。

 なんだか、その表情は玲奈に似ていた。          

 組伏せられた時は、その言葉通りのイメージでしかなかったけど……。

 私は利き腕を決められて、反射的に折られたような音がして、これ――たぶんイメージだろうな。だって肉体じやないもの。

 気づいたら

『ねえねえ、君。大丈夫? 大丈夫?』

 ――って肩を揺すられていた。

 そうしたら目の前に必死な顔をした彼女がいて、その清純な瞳がとても真剣でしばらく見入ってしまった。

 その美しい長い髪が、私に彼女の匂いを運んできた。

 それはとても懐かしい香りがした。

 その薫風に安心するように、私はまた目を閉じて微睡みに帰っていったのだ。

 次に我に返ったときは、紅茶の香りが部屋を包み込んでいた。

 私は、ソフアーから起きあがると、利き手が動かせなかった。

 感覚はあるけど意志が通じないように、この腕は沈黙している。

 彼女が紅茶を運んでくると、私を見て微笑んだ。

「ゴメンね。なんせ咄嵯だったから、手加減ができなかったのよ!」

 そう彼女は私の前で手を合わせると上目遣いに微笑んだ。

 彼女の話だと、この腕はすぐに直るのだという。

 霊体、詳しく云うとそれはエーテル体というらしい。

 その一部を彼女に切断されてしまったのだろう。

 つまり遊離した私の精神体。

 けど、すぐに処置をしたから、しばらくすれば簡単に元に戻るらしい。

 そう、事もなげに話すあたり、彼女は只者ではなかった。

 それで私は確信した。

 彼女が正真正銘――師匠の血縁者であることを……。

 もし彼女が敵だったら、私は眠りから覚めることはなかっただろうな。

 もっとも彼女からは邪気は伺えない。

 だから少なくとも敵ではないのだろう。

「ほんとうにゴメンね。相談事なら何で聞くから……でもパピヨンのケーキって本当に美味しいのよね。ああ、でもこの部屋に入ったのは初めてだからあんまりよくわかんないけど……」

 そう言いながら、彼女は特製チーズケーキ頬張っていた。

 みんなの為に買ってきたケーキを勝手に冷蔵庫から取り出してパクパク食べているあたりは、あの姉妹にしてこの親類だと思う。

 それに何だか妙に手慣れてるし……。

 確実に、この部屋に不法侵入したのは、これが初めてではないだろう。

 彼女の動きは手慣れた無駄のない玄人の動きを思わせた。

 この古めかしい紅茶セットもどこからともなく彼女が持ち出したようだった。

 ならんだカップの調度や金細工は貴族の持ち物のように思えた。

 これだけ見ると静柰さんの趣味もあながち無駄ではないのかも知れない……。

 後から考えれば、私の心に僅かに邪心が宿ったのは、何となく宿命のような必然だと思う。

 いうなれば、今日は、この人に逢うべき運命が予め、予定されていたように……。

「なら、術を教えてください!」

 そう言葉を出すと楽しそうに動いていた披女の手が急になぜか止まった。

 なんだか先ほどまで私を暖かい瞳で見つめていた視線も在らぬ方向を向いてしまっている!

 あれ、なんだか嫌な気がした。

「う~ん。残念だけど。それは頼まれてもダメだわ。だって静柰とは流派が違うし、それに弟子を取れないのよね。術士は師をふたり持っちゃいけないのは知っているよね? あ、いけないって知らない……か」

 彼女は、急に私の方に満面の笑みを浮かべて、最後はバツが悪いのか視線を逸らしてしまう。私はちゃんと見た。彼女の瞳は明らかに私の視界から逸らされたのだ!

 そう思うと何故かその満面の笑顔すら作り物のように見えてしまう。

「あ、今――目を逸らした!」

「な、何いってんのよ」

「あやしい……」

「むう。な、何を、何を云ってるのかしら、この娘は」

「絶対に嘘だ! 師匠もそんな事いってなかったし!」

「ああ。もう、うッさいわね。そんなの面倒臭いからに決まってるじやない」

「あ、本音がでた!」

「ふん。なんで私が見ず知らずのアンタに術なんか教えなきやいけないのよ」

「えッ~、何云ってるの、もう私たち見ず知らずじゃないじゃない。腕とか析られたし!」

 そう感覚の戻りつつある腕を振ってアピールする。

「そ、そんなの事故じゃない!」

「ならこの腕をちゃんと見なさいよ」

 彼女は厭そうな顔をして眼を逸らそうとする。

 だがこんな事ではすまされない。

「ふん、なら事故でも何でも良いわよ。でもね事故ったら、加害者は彼害者に誠意をもって謝るもんよ。それから入院してる病院に果物持って見舞いにくるのが筋ってもんでしょ!」

「何、勝手いってんのよ! ああ、もう最悪だわ。今日は久しぶりに玲奈に逢ってから帰ろうと思ったのにさ……。台無しじやない」

「それは、こっちの台詞だわ! ああ、今日は一弥が来るはずなのに。腕は動かないし、こんなの格好悪いじやない。それに玲奈とか聞こえたけど、アンタあの泥棒猫の知り合いなの!」

「へ、泥棒猫? 玲奈が? う~ん?」

 急に彼女は黙り込んで、こめかみを押さえながらブツブツと何かを呟いていた。

「なるほど。玲奈も女の子なんだな。それはそれでめでたいな」

「それで困っているの」

「ふむ。あの男嫌いがね。これは本気かもな」

「せめて一太刀でも打ち込めたらな」

「静奈のやり方じゃ時間がかかるわね」

 彼女が呟くと間髪無く、私が溜息を付ながら合の手を入れる。

 それは実に簡単な事実だった。

 もう私たちの前には空になった皿も片付けられていた。

 ふたりともケーキを二個ずつ体内に吸収していた。

 昨日までは五つあったけど披女が見た時には既に四つだったという。

 まあ、だれぞが食べたんでしょうね……。

 私は静奈さんに対して少しだけ懐疑的になったが、別に余らせて腐らせるよりは誰が食べても同じだと結論づけて追究しようとは思わなかった。

「それで一弥って誰のこと?」

「それは……」

 ――私は目の前の人物に安心したのか魅了されたのか日頃思っていることをベラベラと話してしまった。

 彼女はフンフンと興味深そうに私の眼を見て話を聞いてくれたからかも知れない。

 彼女は私の話から玲奈を分析し始めた。

 話を聞いていると随分あっていないそうだ。

 分析をし終えると、玲奈は典型的な構ってちやんだと看破し、そのクールな性質ですら疑問視した。

 つまりクールに思える言動や行動は、彼女にいわせれば擬態だと感じるらしい。

 その素直でない性格ゆえに一弥がコロリと騙されたのだと。

 この指摘には私の考えも激しく同意見だった。

 思い当たる節が多く、なるほどと納得したためだ。

「ふう。だいたいの事は理解ったわ、それでどうするの?」

「それは……」

「いや、どうしたいの?」

 私は口ごもる。

 ある種の不安があった為だった。

 一弥に気持ちを伝えることで、今の関係状態が終ってしまう事を本能的に恐れたためだろう。

 一弥という人物にはそういった分別がある。

 拒絶される公算が多いに決まっていた。

「でもさ、あんたは今の状況を打破したいんでしょ。なら行動に打って出るべきじゃないの?」

「そんなの簡単にはいきませんよぅ」

「そうなの?」

「相手は玲奈、あいつは化け物ですよ」

「化け物?」

「そうよ、あんなのまともに相手にできないわよ。だいたいあれは本物の戦闘狂なのに……なのに一弥は!」

 私の手は思わずテーブルを叩いていた。

 それは私が弱いからだ。

 それを知らず知らずのうちに、否――知っている。

 そんなの絶対に知らないはずはない。

 ああ、私は本当に意気地無しだ。

 そう気がついて唇を噛み締める。

「まあ、そんなに考え込まないでもね」

「ああ、私は薄幸で運の含有量がもともと少ないのよ」

 すべてを玲奈のせいにしていた。

 私は星の下に生まれた憐れな娘なんだと……。

「う~ん。まあ貴方、確かに運が悪いかもね。本来なら努力が足りん! 甘えるな! ――って言って突き放すだろうけど。まあ相手はあの玲奈だから、しかも、一弥君のお陰で何か吹っ切れて本性がでたみたいだし。それだと少しだけ同情はしても良いかもね。それにアンタには借りがあるから。それに……」

 彼女は私の腕を鋭い瞳で見つめながら最期にとんでも無いことを口走ってニンマリ微笑んだ。

 それは衡撃的な言葉だった。

 そんなこと考えたこともなかったからだ。

 それが何故か私の未来を決定づけたと思う。

 たぶん私の中で何か科学変化でも起きたのだろう。

 そうして私の中の分別という代物も少しの間だ棚上げされてしまった。

 手には彼女から貰った蒼いイヤリングが握られていた。





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