第13話 一週間後の休日
一週間後の休日、私は事務所を訪れると、茫然と立ち尽くしていた。
目まぐるしく記憶が私の中で空回りしてる。
静柰さんの久しぶりに忙しい掛かり付けの仕事が一段落したという情報を私が一弥から受け取ったのが丁度一ケ月前。
この数ケ月、静柰さんは柄になく仕事に打ち込んでいた。
だから通常――月に二度は必ずある講義も最近は久しく行なわれていなかった。
そんな風だったから私は僅かでも修行をして貰おうと思ったのだ。
それで何かと忙しい師匠に、錬金術で作成する作品の納期が終えたのを見計らって講義の予約を入れたが二週間前。
そして最終確認をしたのが三日前……。
そんでもって、今が約束の当日。
ついでに約束の時間まであと5分。
もうすぐ近くの時計台から18時の鐘が鳴る。
あとは師匠が来るだけだった。
もちろん私は静柰さんを信じている。
そして弟子とはそうであらねばならぬ。
師弟関係とは信頼だ。
そう信じている。
――五分経過。
あれ、もしかしたら今日は左から靴を履いたからだろうか……。
いや、ジンクスなんて迷信だ。
あんなの後付の都合の良い言い訳なのだ。
確実な予想なんて、この世には存在しない。
それは株式投資を見れば明らかだ。
所詮、あてになるモノでは無い。
それに確率など持ち出すということは相手を信じない無粋な考えだ。
あんなモノなど信頼さえ確実なら取るに足りぬものだろう。
そんな無粋は我々のような互いを信頼する師弟関係では語るべき事柄ではない。 そ、それに時間も、そんなに過ぎていないじゃないか!
人はそれを希望的観測だと呟いて笑うだろうが、もう一度云おう。
私は静柰さんを信じている!
そう拳を力強く握りしめた。
笑いたい奴は笑わせておけばいいのだ!
――ふと携帯が鳴った。
正しくはバイブレーションの震えを感じたのだった。
私は眉をひそめながら見詰めると白然とその着信色で、師匠からの電話だと推測された。無論、私は反射的に耳にあてがう。
「すまん。彩加! いろいろと云明を聞いてくれないか。いたいことがあるとは思うが、しかし、私の説明を……聞いて欲しい……」
そう実にすまなさそうな声がする。
だが実際には話ではなく説明と断っていることで話の内容は大まかには理解できてしまっていた。
むしろ、理解できなくては弟子としては問題があるだろう。
もちろん弟子の意志の介在などあり得るはずの無いことが大前提だ。
「……はい」
私は幾ら最悪の予想をしていたとは云え、こんな風では本当に落胆に沈みこんでしまう。
そして諦めに似た低い凍えるような冷徹な声を漏らす。
その一言にこの世のすべての不幸が詰め込まれたような恨みがましい言霊が乗ったことだろう。
その受け入れがたい私の暗雲たる気持ちが彼女に鋭く突き剌さったと思う……。
「くうツ。彩加、そんなに底深い井戸から絞り出したような暗い声を出さなくても良いじやないか……。私も悪かったとは思っているんだ。だがしかし、これはある種の吉報だと思って云うのだが、非常に希少な掘り出し物があったんだ。あれは、ギリシャ時代の短剣なのだが、所持していた人物が大物でね。それは大層な代物なんだ……」
彼女の抑えがたい欲求が言葉を綴っているのが手に取るようにわかった。今の披女は彼女であって彼女ではない――別物だ。
私は諦めるように次の言葉を繰り出した。
「それで……今、どこに居るんですか?」
「ああ、今はカイロ……」
私は携帯の電源を切った。
瞬間、投げ捨てようかとも思った。
だが、どのみち今日は無理なのだ。
そんな事をしても結局無駄なのだ。
一時の感情に身を任せても、それは刹那の快楽に身を委ねることと何一つ変わらない馬鹿々々しいことだ。
不毛だ。
こんな事を考えるだけエネルギーの無駄使いだ。
どうせ、何も出来やしないんだ。
なら、不貞寝してやることにした。
今日の講義を除いたら私に他の予定なんてもともとありはしないんだから。
ふう。
私は一息人れて思考を巡らす。
一体何が悪いんだろう?
今日は黒い猫が前を横切ったから?
やっぱり日々のおこない?
それとも突然の罰ゲーム?
もしかして静柰さんが馬鹿だから?
いやいや、それは短絡的な判断だ。
もっと冷静に分析した方が良い。
しっかりと考えなきや。
ふう――目を閉じてのぼせた頭から熱を意識で冷やす。それは氷のイメージだ。巨大な氷河を頭の上から徐々に下に下ろしてゆく。
そうすれば熱は足元から発散されるだろう。
これは冷静になるときのお呪いだ。
これで少しくらいマシな考えが頭の中に巡るだろう。
私は目を閉じると長椅子に腰掛けて根本的な問題を整理しようと反芻してみた。
まず、静柰さんが有能なのは間違いない。
それは本当の事だと思う。
だが彼女の行き当たりばったりの金銭感覚と、こんな時に現われる突然の優先順位の変更には正直困る。
もっとも、このようにすべてに破綻をもたらすような彼女の劣悪な性癖は通常では発揮されるものではない。
普段、彼女は沈着冷静で優先順位も常識的だ。
だが、いったん彼女の中で、この一貫した呪いのような電源が入ってしまった後先なんて、この様に不幸な結果しか残ってはいないのだ。
だが仕方ないとも思う。
だって世には、彼女が欲しいと、何としても手に入れたいと欲する崇高な代物が数多く存在するらしいのだから。
それは何ごとにも代え難い彼女の本質的な欲求であり、今の件では転じて物欲に、蒐集癖へと転化されてしまう。
そのようにして集められたコレクションの数々は既に一種の魔境であって、それらは蒐集家を生き地獄に陥らせ、果てには深遠なる奈落の奥底に誘うのだろう。
このような状況に彼女が白ら望んで埋没すれば、このように不毛な理不尽さが、常に彼女についてまわるものらしい。
さぞ一弥は大変だろうなぁ……。
どんな世であれ給料日に部下にお金をせびる上司なんて聞いたこともないから……。
そう目を細めて天井を仰ぎ見る。
だが私は次の瞬問、目を見開いて呟く。
でもね。私――藤倉彩加はどうあっても私はこの雨宮静柰という人物が好きなのだ。
それはもはや私の中で一種の憧憬にまで成長してしまっている。
確かに彼女が仙術師であり錬金術師という意味付けは大きいのかも知れない。
魔道――それは非日常的であり、常識では計れない禁忌としての性質を帯びていた。
それが私を彼女の性質と共に酷く惹き付けたのだ。
だが、それも正確には披女の一部に過ぎない。
この私が木当に惹かれてしまったのは彼女の生き方そのものだったんだ!
それは彼女の何者にも自分を妨げられるのを良しとしない完全な自我同一性の確立であり。
言い換えれば自己美学の確立だとも言えよう。
それらは木来、最期まで貫き通すべきもの。
それを行なうことそれが彼女の生き方の本懐そのものだ。それは例え僅かでもそれを歪められ、妨げられるくらいなら
『死んだ方がましだ!!』
――という絶対的な信念に通じる。
それはどんなに相乎が強大で絶望的な戦力差であろうと迷いなく立ち向かう研ぎ澄まされた刀身のような怯みなき精神。
それさえ折れなければ彼女には負けさえ存在しないのだ。
なんという強さだろう。
これを唯の言葉で表すのはたやすいが、彼女の場合には、このように高度な精神性だけでなく独白に練り上げた現実的な武力。
――つまり物理的対抗手段として常に披女の中で内包されている。
この何者にも縛られず何者にも屈しない精神性と物理性の高度な融合と言うべき 彼女の存在が、私の心を魅人らせ、この魂を虜にする所以だろうか。
それが私――藤倉彩加が目指す道に知らぬ間に成り代わったのも多分、偶然ではないはずなのだ。
やっぱり純粋な力というモノは我が値を通す力なんだろうか。
だとしたら、静柰さんは絶対的な力というモノを確立している。
こんな仕打ちを受けても私は憧れを持って犬のように彼女を待ちわびているんだから。
それなら私も力が欲しい。
誰よりも強い力!
絶対的な力が!
それさえあれば、つまらない常識なんて、もう必要ないんだ。
だったら私はそれを手にしたい。
この掌に掴み取りたいんだ。
――どんなことをしたって!
知らぬ間に握りしめた拳の中で長く仲びた爪は、掌を僅かに紅く染めていた。
はあ――もう考えるのはよそう。
今日は何だか変だ。
妙にネガティブな考えが頭をよぎる……。
私は溜息を付くと寝心地の良い革張りの長椅子に横になって目を閉じた。
するとなんだか良い香りに包まれてしまう。
少しだけ幸せな感覚を持ったが、その香りの正体があの泥棒猫の残り香だと刹那に気がついて、それが良い香りだと錯覚した事がとても悔しくて、情けなくて、悲しくて、なんだか泣きそうになった。
それにしても玲奈の奴。
あれからまた来てたのか。
ほんと懲りてないな。
だが事務所には一弥の姿はなかった。
でももしかしたら玲奈は一弥と逢ってたかも知れない。それに今頃、玲奈は一弥と何処かに出掛けているかも知れないじゃないか……。
玲奈の幸せそうな顔は私の額に深く皺を刻ませる。
そう勝手に想像するとほんとムカムカする。
私は目を閉じながら身体を握った。
だが横を向いてもこのフラストレーションは私から離れてくれなかった。
もう私は眠っているのか起きているのか厳密でない狭間で同じ思考を繰り返す。
ああ、もうムシャクシャする!!
ああ、思いっ切り何かモノをぶち壊したい。
もし、私に巨大な力があれば街ごと吹き飛ばしていることだろう。
そんな事が出来ればさぞ気持ちがスッキリするだろうに……。
ああ駄目だ。
今の私は感情のコントロールが壊れてる。
こういうヒステリーを誤魔化す為には手頃な敵をつくり出すのが一番だ。
それは凶悪で極悪人の方が良い。
思い浮かぶのは唯ひとり。
「玲奈――あんたは本当に嫌な奴だ」
そう唇から言葉が漏れ出した。
それが八つ当たりだとはわかってる。
だけど、あの泥棒猫は私の宿敵であることに違いはないのだ。
私の指先が意識とは無関係にソファーの角を爪が食い込むほどググッと力一杯握
りしめる。
ふと、跡が残るといけないと少しは考えたが、今の現状がどのような要因で導かれているかを思い起こして、より一層、指先に力が入った。
あとが残るなら残ればいい、これは記憶なんだ。
私の心に深く刻み込まれてしまえば良いのだ。
ふん。私を馬鹿にした奴らは、みんな罰が当たればいいんだ。
そう必死に堪えて不貞寝することに努めた。
だって他に方法がないじゃないか……。
終いには、このソファーを私の匂いで染めあげてやろうと私の脳が馬鹿な妄想を導いていた。
それが愚かしくも私のフラストレーションを徐々に薄めていった。
あとは、このソファーの素晴らしい寝心地が、私の肉体を優しく包み込んでゆく。
すると私の哀れな精神と魂も、最終的には、この安らぎの中に導かれ深く落ち込んでいった。
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