第10話 事務所の中には?

 事務所に入ってみると、閉め切られた事務所の中で誰かの呻き声が聞こえた。

扉を閉めると真っ暗だった。

 一切の光りが入ってこない。

 だが、その奥に蒼白く光る場所を見つけた。

 私は恐る恐る近づいていくと一弥の後ろ姿があった。

「一弥。大丈夫? こんなに暗くして……」

 肩に手を乗せると目を血走らせた一弥が頭を抱えて何ごとかを呻いていた。

 だが声は小さすぎて聞こえない。

「……った」

「一弥」

「今日までだっ……たんだ」

「ヘッ?」

「長かった……やっと終わった。やっと終ってくれた――ガク」

 そう一弥は讃言を残して崩れ去る。

「兄さん。兄さん。一弥、お兄さぁん!」

 私はドラマチックに強く揺さぶったけど一弥が起きることがなかった。

 まあ、原因は単純に睡眠不足だし問題無いか。

 だが急に始まるキュイーーンって音にはビクっとした。

 力尽きる前に一弥が行なった右クリックが溢れ出てくる紙の水脈を豪快に掘り当ててしまったのだろう。

 見渡せばコピー機から溢れ出てくるプリントの濁流が絶えることなく溢れ出して辺りを呑み込んでいた。

 白い濁流を避けるように一弥を抱きかかえ仮眠できるソファーに運び毛布をかけた。

 これは一ケ月前からこの事務所に存在する。

 静柰さんがどこからか貰ってきたらしい海外の古めかしいアンティーク調のソファーだった。

 これは事務所の中では珍しく有益な代物だった。

 それに寝心地がとても良い。

 開接照明を点灯させると、その暖かい光りに包まれて、今が昼であることを忘れさせられてしまう。

 先ほどには見えなかった棚の上に置かれた白い飾り皿も仄かな光りに染まりきってしまう。

 私は膝枕にするとその寝顔をじっくりと覗き込む。

 始めは頻りに唸り声も混じっていたが、それも徐々になくなり、その寝顔にも安らいだ表情が見え始めてきた。

 そのリズミカルな吐息。

 その唇。

 なんだか幸せそうな顔をして一弥は眠っている。

 ふふふツ。

 口元からョダレなんかたれちやって。

 お行儀が悪いわよ――一弥。

 私は微笑みながらハンカチでョダレを拭いてあげる。

 あはッ。なんだか赤ちやんみたい。

 嬉しい夢でも見てるのかな?

 そう思って微笑むと今度はうわごとを言い始めた。

 ドキドキしながら聞き耳を立てると

「う~ん。れ、玲奈。そんなのダメだよ。うふふ。あはは……」

 そんなこの世が終わるような単語を幹也は幸せそうにぶちまけた!

 ギリ。

 ギリギリ……

 ギリギリギリ……。

 私の眉毛の皺が深く刻み込まれ、それに連動するように奥歯が割れるような勢いで噛み締められる。

 私の顔は飾り皿のなかで数秒か、数分か、数時間――そのまま鬼の形相が映り込んでいたが、時間を忘れて怒るだけ怒ったら、たぶん今日は日が悪いのだと諦めて真っ直ぐ藤倉神社に帰宅した。 

 一弥は今も多分眠っている。

「あれ藤倉さん。あなた今日は星乃宮に行くんじゃなかったの?」

 本条駅の改札口で担任の水谷先生に出逢った。


「もう良いんです。もう今日は終わったんです……今日は大人しく寝ます」

 私の顔が酷かったんだろう。

 水谷先生は余程驚いたのか言葉を無くし私を抱き締めてくれた。

 私の顔色が余りに蒼白からって心配して、何でも話して欲しいって言われた。

 なんだか涙が出るほど嬉しかった……。


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