変死体


 煮込みすぎたカレーは、具材が溶けきりルーへ混ざりこんでいくそうだけれど、例えるならばそういう状態だ。

 食べるための下準備として腹を裂いた瞬間に、血と肉と内臓と骨が混ざりあった半液状の中身が溢れてきた。

 一頻ひとしきり内容物を流すと、皮だけの死体は破れた保冷パックのように萎む。

 皮膚を裂いたのは私の爪だが、爪を差し込むまでは人間の死体らしい弾力だった。

 私の感覚は当てにならないけれど、これに関しては澄雨が検死を済ませている以上間違いない。


 「物理的にあり得ることなの?」


 「現にあり得てますから、あり得ることなんじゃないですか? 私は自分の目で見たものは信じることにしているんです」


 「いや、でも……」


 明らかにおかしいというか、辻褄が合わない。

 こういう死体があるということ自体は、事実として受け入れよう。

 しかし、溢れ出てきた中身に腐敗が進んでいる様子はない。新鮮と言っても良いだろう。

 骨まで溶けた死体が腐っていないというのは、一体どういう物理現象なのか。


 「月谷先輩だって、どれだけ普通の食事を摂ってもお腹が膨れないじゃないですか」


 「……まあ、そうか」


 辻褄が合わないのは、そもそも私の存在だってそうだ。

 自分のことなので実感が沸かないが、同族の屍肉食は人間として失格どころの騒ぎではなかった。生物としても理に適わない。


 「少し真面目な話をしますとですね」


 ウキウキの笑顔で人差し指を立て、胸を張りながら言う台詞ではない。

 誰に対してどんな状況でも対応を変えない澄雨の図太さは流石だが、自分に正直すぎるのは考え物だ。

 私の前でわくわくする分には構わないけれど、澄雨の場合は誰の前でも特に忌避することなく変死体の検分を進めるのだろう。

 死体も含めて、この場に人の心を持っているやつは一人も居ないのか。


 「そもそも私は月谷先輩が特別だとは思っていません。人食いが一人居るのでしたら、似た様な何者かが他にも存在する可能性は考慮して然るべきでしょう」


 私には無い発想だ。

 物心が付いたときから人間の死体を食べていた私には、自分を特別だと言える感性がない。

 今だって、中身の溶けた死体と私自身が同列の異常だとはとても考えられなかった。

 端的に言って、気色が悪い。


 「先輩のそれ、自分をメンチカツと一緒にしてほしくない、みたいな感覚だと思うと笑えますね」


 「笑うな。どう考えても笑い事じゃないでしょ」


 「まあしかし、究極的には同じことなんじゃないですか? 平常性に関して人間はメンチカツと同列ですよ。月谷先輩とドロドロのこれが異常性において同列であることも間違いありません」


 彼は死んでもただの肉にはなりませんでした、と澄雨は続けた。

 「常識で考えれば、これを作るには相応の手間や相当の設備が必要でしょう。不可能とまでは言いませんが、現実的ではないですね。なので、現実からは目を逸らします。幻想に目を向けましょう」


 「……待って澄雨。それは、超能力だとか魔法だとかの、ファンタジーな可能性を真面目に考えてみるということなの?」


 「先輩は逆に考えなかったんですか? 自分みたいな人食いの化け物がいて、学園能力バトルや魔法少女アニメ的展開に巻き込まれない筈がない、と」


 考えなかったといえば嘘になるが、それは子供の頃の話である。

 私の妄想における私は、決まっていつも倒される側のキャラクターだった。

 私の食生活が誰かに実害を与えているわけでもないのに、倫理観だけは一人前に自分を罰していたらしい。

 余談だけれど、蜘蛛は益虫の筈なのに不快だからと駆除されるケースがあるという。

 そう聞くとなんだか愛おしく思えてくるのは、私の感覚が狂っているからだろうか。


 「考えなかったよ。だって私は、17年間生きてきて両親以外の屍体食いを知らない」


 「先輩は嘘つきですねー。知らないことは考えない理由になりませんよ? 先輩は考えたくなかったのです」


 澄雨はクスクス笑いを零しながら、天井を差した人差し指を回す。

 室内の蛍光灯は、点灯していなかった。


 「少なくとも、このドロドロを作った何者かの存在は否定できませんよね?」


 目の前にある以上は否定するわけにも行くまい。

 目に見えて異常だけれど、匂いや音も伴っての現実味は凄まじかった。

 私にとって現実の味とはつまり人肉で、これは紛れも無く、かき混ぜられた人間の中身だ。


 「お肉様の前でいつまでも談笑しているのは気が引けますし、この話の続きは後日学校でしましょうか」


 まるで一流のウェイターが如き所作でお辞儀して見せる澄雨は、どうやら眼前のこれをさっさと片付けろと言いたいらしい。

 一々仕草が大仰なのは、いつものことだが。


 「さっきからずっと、やけに楽しそうだよね、澄雨。確かに変な死体だし、これを作った誰かが私程度にはヒトデナシなのもわかったけど、私の時より喜んでない?」


 「そりゃあそうですよ。月谷先輩に会って人生観が変わったのは確実ですけれど、今回のケースは確実に人生が変わる出来事ですもの」


 今日一番の笑顔を造って、澄雨は弾んだ声で言った。


 「二度あることは三度あるって言うじゃないですか。ここから始まるんですよ、私と先輩の青春冒険活劇が」


 青春も、冒険も、活劇も。

 何一つとして似合わない。

 死体の中身を啜りながら、私は苦し紛れに笑う。

 

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