秘匿いクラウド
心が乱れる
1章、こころなしかひとらしく
掃除屋
人を喰ったような、という慣用的表現は私よりもむしろ
人を食い物にしているのはどちらも同じだけれど、血肉を喰らうのと精神を蝕むのでは性質の悪さの方向性が違う。
生理的嫌悪感に関しては屍肉漁りが勝るとしても、言ってしまえばそれだけだ。
見つからないように努力もしている。誰にも迷惑を掛けずに、人知れず死んだ人間を掃除しているだけ。
こういう私の細々とした食生活をビジネスに利用しようと考える澄雨こそが、私には化け物に見えた。
どの口が言うんだ、と何度も人を喰った口で呟いたのを耳聡く拾って、澄雨は全てお見通しだとでも言わんばかりに微笑む。
「そう自分を責めるものでもありませんよ、
「最近は単純に生きるためとも言えなくなったんだよ。あなたのせいでね」
「生きるためにお金を稼ぐのですよ? 当然のことだと思いませんか?」
屁理屈だ。
私はともかく澄雨は普通の人間なのだから、こんな方法で生活の糧を得る必要は一切無い。
金策の手段を選べる立場で、わざわざ人を喰って生きようとするなど気が狂っているとしか思えなかった。
「私のことはどうだっていいのです。それよりも死体のお話がしたいですね」
「死体がどういう人生を過ごしてきたかなんて興味ないよ。人は死んだらただの肉だ」
「んー、死体の話というのは御幣がありました。正確にはこのお肉ができるまでの話です」
「同じことだよね、それ」
「違います。私だってお肉の人生に関心はありませんし。面白そうだと思うのはですね、このお肉が特殊な状態だからですよ」
そこはかとなく死体を小馬鹿にした物言いには、嫌悪を通り越して尊敬すら覚える。私もこれくらい厚顔になれたら、いくらか楽だったのかもしれない。
もっとも、客観的には私のほうが死体の尊厳を否定しているのだけれど。
「……私でもあるまいし、少しは死体に畏まったらどうかな」
「ではお肉様とでも呼びますか」
「舐めてるよね、あなた」
「嫌ですね、死体なんて舐めませんよ。先輩でもあるまいし」
お得意の悪意をむき出しにした煽り文句も、最早私は気にならない。
「この死体、外傷がないんですよね」
気にしていない私を意にも介さず澄雨は言う。
私は死体を見慣れてはいるけれど、見慣れすぎた弊害なのか、細かい差異や異常性は指摘されなければ気付けなかった。
毎朝食べるトーストの焦げ目が同じに見えるような感覚だと思ってもらえば概ね正しいだろう。
澄雨も私ほどではないにせよ死体には縁があるけれど、これは単なる食べ物か否かの違いだ。
私は生理的な欲求で死体を見て、澄雨は金銭的な欲求で死体を観ている。
お腹が空けば判断力は鈍るし、誰だって金が絡めば目聡くなるという、普通の話でしかない。
「添加物、たとえば毒や麻薬などが死体に混じっていた場合、月谷先輩はどの程度の精度で判別できますか?」
「そうしなければ死ぬ、というだけでおいしいと思って食べてるわけではないんだから、そもそも味わってなんかいないし何がどれだけ混じっていたかなんて判別不可能だよ」
むしろ、死体に関しての認識は常人のそれよりも数倍鈍感だろう。
嫌悪感を感じずに口を付ける為に、本来あるべき感覚を捨て置いてきたのだと思う。
「そういうものですか。使えないですね」
「ただの枷だよ。基本的にプラスに働くことはないと思って良い」
「しかし先輩、食べても気付かないということは毒に対する耐性があるということでしょう? それはプラス要素と考えて良いのではないでしょうか」
「毒が効かないっていうのは、薬が効かないってことだよ。病気に掛かったら寝込むしかない」
「なるほど。いかにも不健康そうな食生活ですし――不謹慎な食生活ですし、差し引きゼロどころかマイナスですね、それは」
態々言い直すあたりに性格の悪さが滲み出ているが、私の悪食は事実不謹慎だ。
同族食いのスカベンジャーなどという、人類の敵とされてしかるべき存在に病院を利用する資格はない、とまで自分を卑下するつもりは無いが、薬の有効無効を抜きにしても病院を利用するべきでないことは確かだろう。
私の身体は普通ではない。身体検査は是が非でも避けなければ。
「でしたら、我々素人には毒殺か否かの判断は出来ませんね。これまでの依頼の殆どは、死体処理を任せる前提で雑に殺してあるか、珍しいケースでも弾みで殺してしまったかでしたし、外傷が無い死体というのは何気に初めてでは?」
「私一人でやっていたときには何度かあったと思うけど」
よく覚えていない。
正直な話、澄雨がいう『これまでの依頼』の内容もおぼろげだった。
酷い話だ。我ながら吐き気がする。
「この死体と同じで、特におかしいと思ったことは無いよ。私のことだから、忘れているだけかもしれないけれど……まあ、忘れるくらいなら際立って異常だとは思わなかったんじゃないかな」
「月谷先輩が言う死体に関しての記憶は当てになりませんからね。片腕がない死体を見ても気付かない程度には、感覚が麻痺してるイメージです」
流石に片腕がなかったら気付くはずだ。指の一、二本だと怪しいところで、傷の有無まで行くと意識することも無いだろう。
澄雨に指摘されて異常箇所を異常だと気付けている内は、私に人間性が残っているのだと信じたい。
「考えていても仕方ありませんし、そもそも死因を調べるのは私の趣味でしかありませんので、先輩はお気になさらずどうぞ召し上がってください」
「食事するところを、あまり見られたくは無いんだけど」
「それを見るのも私の趣味ですので」
悪趣味極まりない女だ。人間性が欠如しているのは私よりもむしろ澄雨なのではないか。
見ると言ったら梃子でも動かないので、私のほうが我慢するしかない。
普段は率先して摂食シーンを見たがるわけでもないので、よほどこの死体に興味があったのだろう。
そして、結果として澄雨の勘は正しかった。
外傷の無い死体は、しかし傷一つ無い死体ではなかったのである。
「ねえ、澄雨」
「はい、どうしました?」
「人間の死体って、骨と内臓の判別がつかないほど中身がドロドロになっていても、原型を留めていられるものなの?」
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