『舟を編む』

 辞書でおもいだすのは、『舟を編む』著:三浦しをんである。


 関東のどこかにある野亜市――市役所職員の磯貝健吾は、突然の人事異動により、廃園に追い込まれそうな市立動物園の園長を命じられた。動物の知識のない新園長である彼は、歴代の園長たちにすっかり失望した飼育員たちによって「腰掛けの素人園長」と烙印を押されてしまう。彼を立ち直らせたのは、一人娘が描いたゾウの絵だった。存続に向けて園を立て直す決意を固めた彼に見えてきたのは、動物たちが抱える様々な問題とくせ者揃いの飼育員たちの一途な想いであった。お客や動物の立場になり、環境を変えていくことで改善しようとしていく『市立ノアの方舟』について、あーでもないこーでもないと、この動物園のその後が気になる物語……ではない。


 口下手なのに営業部員の馬締光也と、一見チャラ男だが辞書編集部員である西岡正志は、街中で出会う。

 中型国語辞典『大渡海』の刊行計画が進む出版社、玄武書房のベテラン編集者の荒木は、自身の定年間近を危惧し、後継者を探しに躍起になっていた。そんな中、西岡から馬締の話を聞き、彼をスカウト。辞書作りはスタートする。


 十五年もの歳月をかけて辞書編纂に携わる人々が描かれている。


 発売当初から興味があって読みたかったのだけれども、なかなか手にする機会がなく、借りることもできず、映画化の話がでた辺りでようやく読むことができた。

 この本を読む前から、辞書一冊をつくるのにものすごい手間と時間がかかるのは知っていた。いつだったか、どこの局だったか覚えがないけれども、そんな特集番組を見た記憶がある。

 辞書一冊ができるまでには、子供が志学となるくらいの歳月が必要だ。それを考えると、書店や図書館の棚に並ぶ広辞苑をはじめとする分厚い辞書、あるいは百科事典の類にはどれだけの編纂の時間が費やされてきたのだろう。

 紙一枚の薄さに比べて、本の厚さ、文字の数、一冊の重量はまさに携わった人間の歳月、そのものである。

 辞書だけではない。

 世に刊行されているすべての書籍は、ただの紙の集まりなどではない。かかわった人間の人生、その思いの具現化にほかならないのだ。

 そんなことを考えると、なんとすごいものを私たちは手軽に、ときに枕代わりにつかったりしてぞんざいに扱っているものだなと恐縮してしまう。


 本は文字や紙の集まりではなく、携わった人の思いと時間からできていることを今一度気づかせてくれる、そんな一冊だ。

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