『りんごかもしれない』

 困ったときに手にしたのが、『りんごかもしれない』著:ヨシタケシンスケである。


 絶対不可能といわれた無農薬・無肥料栽培を成功させ、一躍時の人になった農業家木村秋則氏が語る、苦難の歴史と独自の自然観、米や野菜への展開を語るとともに農薬と肥料に依存する現在の農業のあり方に警鐘を鳴らす『リンゴが教えてくれたこと』について、あーでもないこーでもないと、自然が喜ぶようにお世話する物語……ではない。


 ある日、男の子が学校から帰ってくるとテーブルの上にリンゴが一つ置いてあった。そのリンゴを見かけた瞬間、ふと思う。

「……でも……もしかしたら これは りんごじゃないのかもしれない」

 男の子の「かもしれない」妄想が膨らんでいく。

 ――もしかしたら、

 大きなサクランボの一粒かもしれない。

 中身はブドウゼリーなのかもしれない。

 剥いても剥いても皮しかないのかもしれない。

 メカがぎっしり詰まっているのかもしれない。

 一度膨らんだ妄想は止まることを知らず、それどころか、妄想はあらぬ方向へと展開していく。

「そもそも なんで ここに あるんだろう?」

 かもしれないかもしれないの行き着く先で、男の子はりんごを食べるのだった。




 活字が読めなくなったことがある。

 正確には、文章が読みづらくて頭に入ってこなくなった。

 見出し程度の短さなら読めても、コラムやエッセイほどの長さは読めず、小説など論外だった。

 この場合、取るべき手段は二つ。

 本から距離を取るか、もしくはひたすら読むか。

 本を読まないようにしても、テレビやネット、巷には至るところに文字が溢れている。見ずに過ごすには無人島に行くしかない。

 なので、あえて本を大量に読む選択をした。

 このとき選んだのが、絵本である。

 漫画は読めるのだ。吹き出しのセリフを適当に飛ばしても、絵のおかげでなにをしているのかがわかる。ゆえに、絵本が読めないはずがない、と思った。

 文字のない絵本もいくつか読んでみた。でも、それではリハビリにもならない。文字が少なくて面白そうなものを読んでいく。

 その中で出会ったのが、本作である。

 子供らしい発想と空想力、着眼点は面白かった。

 いささかかうがったとこもあり、子供らしくない(書いてるのは大人)ところもあるような気もするが、ひとつの出来事にはべつの見方、「かもしれない」ができることを教えてくれるのが、この本の良さだ。


 これをきっかけに、彼が書いた作品を片っ端から読んでいくことになる。

 読みやすくて面白かったのが、何よりの理由。

 おかげで、少しずつ読む量が増えていった。


 図の場合、上面、側面、前面の三方向を書く。足らない場合は背面も書く。

 常に見方は一つではないことを思い出させてくれる、そんな一冊。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る