『イリュミナシオン』
詩で思い出したのが、『イリュミナシオン』著:アルチュール・ランボーである。
ベトナム戦争時に拷問を受けた心的外傷後ストレス障害に苦しみ社会に適応できない元ベトナム帰還兵ジョン・ジェームズ・ランボーが、またま街を訪れたというだけで排除しようとする保安官と戦うディヴィッド・マレルの処女出版小説『一人だけの軍隊』の映画化作品『ランボー・シリーズ』について、あーでもないこーでもないと無駄に生きるか何かのために死ぬかについて語った作品……ではもちろんない。
公務員をしている幹田はノンケでありながら、浮気症で女好きの幼馴染、小矢に長年恋心を抱いていた。ある日、コミュ強のチャラいゲイの洲戸にナンパされ、そのまま抱かれてしまう。おまけに洲戸は小矢に、幹田を抱いたと告げてしまう……という、厄介でままならぬ三角関係を描いたヤマシタトモコの「イルミナシオン」のことでもない。
アルチュール・ランボーは、フランスが生んだ「早熟の天才詩人」とよばれている。一八八七一年(明治四年)、まだ見ぬ海を幻視した「酔いどれ船」をひっさげ、パリ詩壇に登場。「母音」「永遠」「尻の穴のソネット」など代表詩を出し一八七三年、ヴェルレーヌとの愛憎劇のなかで「地獄の季節」を完成し、一八七五年に散文詩集『イリュミナシオン』を脱稿する。
だが、ほどなく文学と決別。放浪の旅をつづけ、最後はアフリカの武器商人に転生。一八九一年、骨肉腫で右足を切断し、マルセイユで死去。享年三十七歳。
わたしがランボーの詩をはじめて読んだのは、イリュミナシオンではなく「永遠」だった。
彼が詩を描いていたのは一七歳から一九歳くらい。韻を踏んでいるわけでもないが、乱暴に書き出した感じ。なので若さが溢れている。そんな青さが目に止まったのかもしれない。
詩は曖昧模糊としている。ゆえに詩と散文は分けて考え、意味やメッセージではなく、「もっと音の面白さとかイメージの豊かさとか、そういうものを味わってもらわないと、詩の全体性というのはとらえられない」と詩人谷川俊太郎はいっている。
詩は絵の見方と共通する点があると感じたのもランボーの詩だった気がする。
音の面白さを、お話づくりの参考にしようと思った作品の一つである。
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