『博士の愛した数式』
記憶といえば、『博士の愛した数式』著:小川洋子である。
高校生の長谷祐樹は、いつも一人でいる藤宮香織と仲良くなろうと近づくも頑なに拒まれてしまう。なぜなら、一週間で友達との記憶を無くしてしまうから。それでもひたむきに香織との仲を紡いでいき、少しずつだが友達のことを記憶できるようになっていく。そんなある日、香織の小学校時代のクラスメイト、九条一が転校してきたことをきっかけに彼女は再び記憶を失ってしまう。実は小学生時代、彼と仲が良かったことで親友たちから非難を受け、ショックから香織は記憶を失ってしまったのだ。記憶喪失の原因を思い出し乗り越えたことで、記憶のリセットがなくなり、二人は改めて友達になるという「一週間フレンズ。」について、あーでもないこーでもないと線形順列で書かれた物語……ではもちろんない。
二〇〇四年「第一回、全国書店員が選んだ いちばん! 売りたい本 本屋大賞」受賞作品であり、小川洋子作品の初読み。
記憶障害の博士と家政婦と息子の話である。
流行りだからと本を手にすることはあまりないのだけれど、本作品は本屋大賞受賞作ときいて手にした記憶がある。
家政婦紹介組合からの派遣先は、八十分しか記憶がもたない元数学者「博士」の家だった。こよなく数学を愛する博士に、「私」は少なからず困惑する。
ある日、「私」に十歳の息子がいることを知った博士は、幼い子供が独りぼっちで母親の帰りを待っていることを居たたまれなく思い、次の日からは息子を連れてくるようにと言う。連れてきた「私」の息子の頭を撫でながら、博士は彼を「ルート」と名付け、以来三人の日々は温かさに満ちたものに変わってゆく。
さまざまなトラブルを乗り越えながら月日がたつ中で、博士の記憶時間は短くなり、施設に入れられることとなる。「私」とルートはその施設に通い続けるが、ルートが二十二歳のときに博士が亡くなるところでこの物語は終わる。
数学者をはじめとする学者が一番恐れるのは、論文が書けなくなることである。
理由は様々あるが、なにより恐ろしいのは、大好きな数学が考えられなくなることだろう。
博士は、交通事故で記憶が八十分しかもたなくなった天才数学者である。
何カ月、あるいは何年もかけてひとつの問題に取り組む数学者にとって、記憶が八十分しか持たないということは致命的だ。
フェルマーの最終定理の証明には約三百五十年かかり、数学界の超難問のABC予想の証明はおよそ三十五年かかった。条件をさらに狭めた「強いABC予想」はまだ証明されていないが、おかげで難問として名高いフェルマーの最終定理がすぐに従うこととなった。
八十分後には今のアイデアを忘れてしまう博士は、こまめにノートに書きとめ、思考を進めていくのだろう。つまり、たくさんのアイデアを頭の中で、あーでもないこーでもないと時間をかけて熟成発酵させることができないのだ。
高度で独創性のある仕事はできなくなったことを意味し、小説では創造的な仕事ができなくなったことへの彼の苦悩は描かれていない。
では、実際はどうだったのか。
想像するに、苦悩はしても、どこかであるがままを受け止めていたはずである。
それは諦めではなく、向上心を放棄することでもない。
あるがままの自分を大切に思うからこそ、向上心が湧きあがっていくのである。
他者への愛は、共通の体験と人間関係の蓄積によって育まれる。だから母と子は、記憶力をなくした博士を思いやり、どうやって彼を喜ばせるかを考える。
だけど、記憶力が持続せず人間関係を蓄積できない博士は、二人に対しての愛は持ち得ない。彼にあるのは、数学や美しいもの、小さいものや弱いものへの愛である。
母子の記憶に頼らざるを得ない一般の愛と、博士の厳然として永遠なる数学に対する愛が対比されている。
比になっているからこそ、数学者である博士にも、母子の愛は理解できたはず。
この物語は、数学者でなければならなかった。
物理学者や化学者ではだめだったのだ。
読みやすい文体に、さり気ない優しさや気遣い、細やかな表現がされている。
細部に拘りながら、飾りすぎず、さりげなく書けたらいいなと思えた作品の一つである。
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