『センセイの鞄』
恋愛小説といえば、『センセイの鞄』著:川上弘美である。
求人広告に応募してきた青年が、私の事務所に現れた。だが、その広告は半年以上も前に出したものだった。事情を尋ねると彼は大きな鞄を指さし、「この鞄の重さが行く先を決めた結果」来たと答えた。奇妙な問答の末、鞄を持ち込まないことを条件に採用してやり、下宿さがしのために電話してやる。青年は下見に出て行き、鞄が残された。
鞄を持ち上げて歩いてみると、重さで肩や腰にきて、急坂などでは容易に進めないばかりか事務所に引き返そうとしてもうまくいかない。とにかく歩ける方へ歩いていくも、どこを歩いているのかも分からなくなる。だが、鞄が導いてくれていると感じれば、不安も迷いもなく自由だった安部公房の『鞄』についてあーでもないこーでもないと、嫌になるほど自由に語った物語……ではもちろんない。
三十七歳OLの主人公ツキコこと大町月子は、いつもの行きつけの居酒屋で、三十歳離れた高校の恩師で古文の先生だった、センセイこと松本春綱に再会する。憎まれ口をたたき合いながらセンセイと肴をつつき、酒をたしなみ、キノコ狩や花見、あるいは島へと出かけた。二人が訪れた島はセンセイの奥さんが亡くなるまで住んでいた島。ツキコと一緒にお墓参りをするためにやって来たのだ。その夜、なにか進展があると期待するツキコだったが、結局なにも起こらぬまま二人は島をあとにする。帰ったあと、センセイはツキコを避けていたが、ある時センセイから電話があり「恋愛を前提としたお付き合いをして下さい」と交際を申し込まれる。
恋人として過ごして三年後、センセイは亡くなった。天井のあたりからセンセイの声が聞こえてきそうな夜、遺品として貰った鞄を覗き込んだツキコは、広がるぼんやりとした空間を見つめるのだった。
恋愛小説を書こうと思い、図書館を物色していた時に見つけたのが本作である。
であるが、この作品を知ったのはもちろん、ラジオドラマだった。
芥川賞作家であるので、名前は存じ上げていた。
文体は読みやすく、おもしろい。
手にとって読んだ時は、まさにこれだっ、と感極まってむせび泣きそうになるのをひしと堪えて本を抱きしめながら受付カウンターへ、ソソラソラソラ と口づさんで踊りかけたが、ここは図書館だったとすぐさま思い出しては自身を戒め、おずおずと借りた日のことを憶えている。
この本をきっかけに、彼女の作品をかたっぱしから読みはじめ、エッセイにも手を出していくことになる。
川上弘美の作品は、いつも幻想的でぼんやりとした雰囲気が特徴だ。
本作に関しても、ツキコやセンセイの情報が開示されていないとこに現実離れした感じがでている。また、二人の私生活もほとんど明かされていない。センセイの普段の様子も書かれていない。ツキコの勤め先もくわしくわからない。
情報の明言を避けながら、二人の世界を描いているところに幻想が生まれ、作品の良さになっている。
こののち、川上弘美の作品やエッセイを好んで読み倒していくことになるのだが、最初に手にした時はそんな事思いもしなかった。
こういうのを書きたいと思った作品の一つである。
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