『夜は短し歩けよ乙女』

 京都といったら、「夜は短し歩けよ乙女」著:森見登美彦である。


 もともとイタリアのヴェネツィアで歌われていたという里諺(小歌)を、デンマーク人のアンデルセンが半自伝的作品『即興詩人』に取り込み、そのドイツ語訳を森鴎外がやや恣意的に日本語に訳したものを元に焼き直して作られた詩が、ロシアの文豪イワン・セルゲーヴィチ・ツルゲーネフが書いた小説『その前夜』を西暦一九一五年(大正四年)日本の島村抱月率いる芸術座が松井須磨子主演により帝国劇場で舞台上演する際に劇中歌『ゴンドラの唄』(吉井勇作詞・中山晋平作曲)として用いられたその詩、「いのち短し、恋せよ、少女おとめあかき唇、褪せぬ間に、熱き血液ちしおの冷えぬ間に、明日の月日のないものを」について、あーでもないこーでもないと心の炎が消えるまで語り尽くした物語……ではもちろんない。


 とにかく天然で、好奇心の強い「黒髪の乙女」にひそかに想いを寄せる冴えない大学生の「先輩」は、夜の先斗町に、下鴨神社の古本市に、大学の学園祭に、彼女の姿を追い求めた。けれど先輩の想いに気づかない彼女は頻発する偶然の出逢いにも「奇遇ですね!」と言うばかり。先輩の気持ちにも全く気づかず、本人の意図しないところで周囲を巻き込んでいろんな珍事件の数々を起こしていく。

 京都大学らしき大学や周辺地域を舞台に、さえない男子学生と無邪気な後輩女性の恋物語を二人の視点から交互に描く恋愛ファンタジーである。

 ヒロインの不思議系少女がつかう擬音もまた面白く、かわいらしい。

 タイトルはもちろん、吉井勇作詞の「ゴンドラの唄」の冒頭からとられている。

 古典的でリズムカルな言葉遣いや、擬音を使った独特の文体で、不思議な世界観が書かれている。

 また「緋鯉」「ダルマ」「招き猫」「電気ブラン」「ジュンパイロ」「古本」「りんご飴」など純日本的でレトロなものが多数登場する。

 電気ブランとは、大正時代は電気が珍しかったため、最新という意味でつけられたブランデーのこと。

 ジュンパイロとは、「岸田劉生の娘の、麗子さんのエッセイで、実家で飲んだ風邪薬、ジュンパイロがすごく美味しかったとあって、小説に出したくなったんです」と作者は語っている。

 おそらく、ジュンパイロとは、潤肺糖漿じゅんぱいとうしょうという、清時代の鄭梅澗著『重楼玉鑰』巻上に「養陰清肺湯」として記されたものを原典とするシロップだろう。喉の痛み、せきに効果がある。これをジュンパイトーショー、ジュンパイトー、ジュンパイロといった具合になっていったのかしらん。


 京都を舞台にした話を書こうと考えていた際、出会ったのが本作品だった。

 同じ理由で、万城目学の作品にも出会った。

 くらべることはしないけれども、京都を舞台にした作品はどういうわけか、奇妙奇天烈摩訶不思議な世界観になるものが多いと感じる。そうでない作品も存在することは重々承知しているけれども、主観として何となくそう思う。

 同作家の「太陽の塔」「四畳半神話大系」「きつねのはなし」「たぬきシリーズ・有頂天家族」なども、京都を舞台にした作品である。

 もちろん、それらの作品も読破した。

 太陽の塔を読むと、この作品から、以後の作品は派生していったのかしらと思えてくる。


 奇抜さもさることながら、擬音や純日本的な名称選びが独特の世界観を作り出すことを知れた作品の一つである。

 

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