『五分後の世界』

 つぎに村上龍といえば、「五分後の世界」である。


 平凡な高校生・白綾大和は謎の占い師から不思議な腕輪をもらう。「たった一度未来に行って現在に帰ってこられるがいつの未来に行けるかは誰にもわからない」腕輪を使って跳躍すると、巨大な仏像たちが人々を虐殺する惨劇がはじまる未来にタイムリープしてしまい、腕輪を使って過去に戻って惨劇を救おうとするが、見てきた未来は現在から五分後の世界だった。たった五分間で世界を救うために奮闘する少年の姿を描いたSFサスペンスホラー作品「五分後の世界」について、あーでもないこーでもないと熱く語り合う……わけではない。


 福田宏の描いた漫画「五分後の世界」ではなく、村上龍の「五分後の世界」である。


 AV制作会社社長の小田桐は、休養中の箱根でジョギングをしていると突如、見知らぬ土地で見知らぬ集団の中に混じって、わけもわからず行進をしていた。パスすると準国民になれる検問で、疑わしいと判断され、独房に入れられる。数日続いた監禁のあと、連れて行かれたのは日本なのだが、私たちの知る歴史とは別の未来を進んだ日本だった。

 わずか五分のズレでたどり着いた、いくつもある可能性のうちの一つの日本。

 ……という具合に、いまで言えば異世界転移ものに当たるかもしれない。

 どちらかと言えば、パラレルワールドのSF、架空戦記ものに近い作品である。

 架空戦記物とは、過去の戦争に関連した歴史や転換点となった戦いが「史実と異なっていたらどなっていたか」、あるいは史実の延長線上の未来の戦争をシミュレーションする小説や漫画作品のことだ。

 たとえるなら「日本が第二次大戦で勝利するような作品」や「戦国時代にタイムスリップして織田信長に天下を取らせるような作品」であり、ライトノベルによくみられる。

 そのため、仮想戦記やIF戦記、バーチャル戦記などとも呼ばれる。


 だからといって、本作品はそのような仮想戦記とは趣が異なっている。

 異世界ではなく、日本や日本人が描かれている。

 なぜ本作品を読んでみようと思ったのか。

 そもそもわたしは、仮想戦記に興味はなかったし、その手の小説を読んだことすらなかった。タイトルの「五分後の世界」とはなんだろう、と興味を惹かれて手にとってみただけだった。


  第二次世界大戦において原爆投下後も降伏せず、追加で広島の後に、小倉、新潟、舞鶴へも原爆が落とされ本土決戦へと持ち込んで敗戦。アメリカ、ロシア、イギリス、中国からの侵略を受けて分割統治されてしまい、国土を地下に移すことを余儀なくされた日本は、長野の地下にアンダーグラウンドと呼ばれる組織を形成し、世界に名だたるゲリラ組織として連合国と戦争を続ける様子が描かれている。

 

 彼のエッセイには、五分後の世界の戦闘シーンを書くために、昔の戦争映画の映像をくり返しみたことが書かれている。なので延々と続く戦闘描写は圧倒的である。とはいえ、好みの分かれるところでもある。


 ポツダム宣言を受け入れて欧米の奴隷と成り果てる現実の日本に暮らす私達に対して作者は、おびただしい犠牲を払ってでも徹底抗戦して日本人としての誇りを保ち続ける姿を本作品で描くことで、現代を生きる私たち日本人に対して痛烈に皮肉をいっているのだ。


 ラストで主人公は、五分遅れていた時計を進めて終わる。

 つまり主人公は、彼が元々住んでいた私たちが暮らす現実の世界を捨てて、五分後の世界で生きる覚悟を決めたのである。

 その選択に至った理由は読んでもらえばわかるとして、なぜこのようなラストなのだろう。

 彼のエッセイに、映画には二つの作品があると書いてる。一つはトンネルに入って抜け出る作品。もう一つは、トンネルに入ってさまよい続ける作品。

 小説も同じことが言え、本作品は後者である。

 多くの作品は前者でできている。

 日常シーンからはじまって、非日常の中でなんやかんやあって、最後は日常へと帰還する。そうすることで、読者は作品から現実へと帰ってこれるのだ。

 後者であるなら、読み終えても現実に帰ってこれず、作品と現実とのギャップからフラストレーションがたまって、もやもやしてスッキリしない。

 本作品は、現代の私たち日本人はどこかしら怠惰に生きていることに皮肉をいうためにも、このような形をとったのだ。

 作品に出てくるアンダーグラウンドの人達の潔さ、矜持をもって生きているような人は、現代社会の日本にどれほどもいないであろう。

 コロナ禍の中、多くの人は秩序ではなく同調圧力による空気感でなんとなく行動しているだけだ。

 こんな世の中だからこそ、なにが大切でなんのために行動するのか、矜持をもってもらいたいからトンネルの中を彷徨うような作品になっているのだろう。


 読むのに襟を正すことを要求される作品の一つに違いない。



 

 

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