四通目 清風故人の候
【九月三日 手鞠より駒子への手紙】
拝啓 日暮れが少し早くなりましたが、暑さと胡瓜の季節はまだつづきそうですね。
駒子さん、ずっと気を揉まれていると思いますが、体調は崩されていませんか?
大切なご報告です。駒子さんのお探しの方が見つかりました。
静寂さんが上手に話してくださって、こちらの事情はすんなりと伝わりました。駒子さんのことも覚えていらして、大変恐縮していらっしゃいました。
お礼はいらないとのことでしたが、お願いして下宿のご住所を預りましたので、同封いたします。
駒子さんの念願が叶ったことはとてもうれしいのですが、三日でお相手が見つかってしまったことが残念でなりません。五日間探す約束をしていたので、わたしは勝手に五日間静寂さんに会えるものだと思っていたのです。
静寂さんは何度か見た制服姿ではなく、白絣に薄墨いろの袴姿でした。強い日差しが降り注ぐと、まっすぐに伸びたその背中はより大きくまぶしく見えました。三日間そればかり見ていた気がします。
静寂さんからいただいたジョーゼットを夜遅くまでかかって単衣に仕上げ、塩瀬の
駒子さんへの朗報にこんなしおれた気持ちちを書き添えてしまってごめんなさい。
駒子さんの事情に乗じて申し訳ないのですが、わたしはとても楽しかったのです。だからあと二日ご一緒したかった。
静寂さんとはいずれ夫婦になるのに、たった二日会えなくなったくらいで落ち込むなんておかしいですよね。でも会うたび余計に寂しくなるのです。
秋のせいでしょうか。
敬具
大正九年九月三日
手鞠
駒子さま
【九月五日 手鞠より静寂への手紙】
謹啓 先日は無理なお願いに付き合わせてしまい、申し訳ありませんでした。おかげさまで無事駒子さんに良い報告をすることができました。本当にありがとうございました。
とても楽しい三日間でした。静寂さんにいただいたジョーゼットを大急ぎで仕立て、さんざん悩んでアイスクリームいろの帯を締めて参りました。お会いしたら何て言ってもらえるのかたくさん想像したのですけれど、お気づきにならなかったようですね。
並んで電車に揺られている時間はとてもしあわせでした。景色など何も覚えていないのですが、ぜんぶ楽しかったのです。
できることならあと二日ご一緒したかったです。また会えるとわかっていても、お別れすることがいやなのです。
もっとたくさんお会いしたいです。
(廃棄)
*
謹啓 先日は無理なお願いを聞いていただき、また貴重なお時間を割いていただきまして、ありがとうございました。おかげさまで駒子さんに良い報告をすることができました。
心浮き立つような三日間でした。静寂さんはお気づきではありませんでしたが、いただいたジョーゼットの単衣を着て行ったのです。着心地もよく、とても気に入っております。
車窓を流れる街並みを一緒に眺められて、とてもうれしかったです。
静寂さんも電車で通学されているのですよね? 大学は見たことがないので、行ってもよろしいでしょうか。土曜日、学校が終わりましたあとに
(中断→廃棄)
*
前略 今日はいらしてくださって、ありがとうございました。
ちょうど先日のお礼をお伝えしようと、お手紙を書いていたところだったのです。思うように書けなくて、何度も書き直しているうちに遅くなってしまいました。
くり返しになりますが、無理なお願いにお付き合いくださり、ありがとうございました。駒子さんによい報告ができましたのは、すべて静寂さんのおかげです。
今日はまさかお会いできると思っていなかったので、びっくりして、うれしくて。お顔を見て泣いてしまったのはそういう理由です。おどろかせてごめんなさい。
ただ、いつも突然いらっしゃるので困ります。できればもう少し良い着物でお会いしたいのです。お出かけするならなおのこと。
着物と言えば、わたしがラムネ瓶の単衣を着ていたこと、気づいていらしたのですね。何もおっしゃらないから実は落ち込んでいました。だから「いいと思う」と言っていただけてとてもうれしいです。
ご馳走してくださったアイスクリームもとてもおいしかったです。かき氷と一緒だと食感が楽しいし、氷コップの中で溶けていく様子にも夏の終わりの風情を感じました。
だけど食べるところをずっと見られているのは恥ずかしいので、次からは机の木目でもご覧になっていてくださいませ。
お勉強の話やお友達の話など、静寂さんについて少し知れたこともうれしかったです。それから静寂さんのお小さいころの話も。とても大切なことを話してくださったのに、何も言えず申し訳ありませんでした。どうでもいい話ならたくさん出てくるのに、肝心なときに重くなる口がにくらしいです。
ご兄弟の中で静寂さんおひとりだけお母さまが違うことはうかがっておりました。静寂さんには何の非もないことですが、人の感情は理屈ではどうにもなりませんよね。
よくあること、と静寂さんは割り切った言い方をなさいましたが、よくあることでもつらいものはつらいです。何度転んで擦りむいても痛いことは変わらないように。
できることなら昔にもどって、小さな静寂さんの元に行きたいです。そして心が痛まないように包帯でぐるぐる巻きにしてしまいたい。
ですから淡雪さんがいてくださって本当によかったです。お名前のとおり雪も解けるようなあたたかさで、静寂さんを救ってきたのですね。
いまもきっとどこかでたくさんの方の雪を解かしていらっしゃると思います。そして必ずおもどりになります。
過ぎてしまった時に対してわたしは無力ですが、静寂さんのこれからが少しでもおだやかであるようにお手伝いさせてくださいませ。
草々
大正九年九月五日
春日井 手鞠
久里原 静寂様
【九月七日 手鞠より静寂への手紙】
謹啓
今日同じ組の
わたしもジョーゼットを着て行きたかったけれど、九月の空にラムネ瓶いろは明る過ぎる気がしてやめたのです。正解でした。もし着て行って通子さんに「季節感が……」などと嫌みを言われたら、喧嘩になってしまったと思うので。
またあたらしい六月が参りましたら、あの単衣に
それから、駒子さんが静寂さんにお礼をしたいそうです。お家に何かお送りしてもよいか聞いてほしいとのことでした。
菊田さんにもお手紙を送ったそうです。その話をする駒子さんのお顔が真っ赤で、菜々子さんが面白がって大変でした。
改めてお礼を申し上げます。
敬白
大正九年九月七日
春日井 手鞠
久里原 静寂様
【九月十一日 手鞠より静寂への手紙】
謹啓 今朝ちよさんがご近所から
駒子さんですが、菊田さんからお返事があったそうです。菊田さんがおっしゃるには、学校で静寂さんと行き合われたそうですね。そのとき菊田さんに改めてお礼を言ってくださったとか。わたしの友人のことでありますのに、お気遣いいただいてありがとうございました。
菊田さんはわたしも一目見てすてきな方だと思いましたが、やはり誠実で気性のやさしい方だったようで、駒子さんはおしあわせそうです。
今日はそんな駒子さんと一緒に便箋と封筒を買いに行きました。菊田さんに出すとなると駒子さんはなかなか気に入るものが見つからないようで、そのうち便箋を求めてまだ見ぬ秘境まで行ってしまいそうです。
わたしも友人に出すときは好きなものを自由に選ぶので、かわいらしい絵柄入りのものや花文様が多いけれど、静寂さんに出すための便箋はすっきりとした気持ちのよいものが目につきます。お手紙とは便箋選びから始まっているのですね。
敬白
大正九年九月十一日
春日井 手鞠
久里原 静寂様
【九月十六日 手鞠より静寂への手紙】
謹啓 先日の野分で、静寂さんやお家の方は大丈夫でしたか?
我が家はこれと言った被害はありませんでした。避難させた植木鉢で玄関か狭くなり、靴を履くときの便が悪かったことくらいです。風向きがよかったのか、庭木の枝さえ折れませんでした。
ただ、予定されていた運動会が中止になったことだけは少し残念でした。球技は苦手ですが、徒歩競争だけは自信があるのです。運動ぎらいで日々雨乞いに余念のなかった菜々子さんは、小躍りしていましたけれど。
世間では瓦が飛んだとか、飛ばされてきた鉢で窓硝子が割れた、などという被害も聞きます。九州の方はもっと大きな被害に遭われたようですね。まだ少し野分の季節は続きますから心配です。
学校では同じ組の子がまたひとり退学されました。来月ご結婚だそうです。婚約なさった方もまた幾人か増えました。
したしい方の婚約が決まると何かお祝いの品を贈ることが流行していて、わたしも駒子さんと菜々子さんからすてきなリボンをいただきました。おふたりのときには何がいいかあれこれ考えているのですが、ふたりともお心が別のところにあってまだお相手を決めるつもりはないようです。
その駒子さんですが、お礼をお断りする旨を伝えたところ、ご自宅にお送りすることが難しいなら外でお会いしましょう、と静寂さんへお誘いがありました。かつみ庵という甘味屋で何でも好きなものをご馳走してくれるらしいのです。
ご迷惑でなければいらしてくださいませんか? とってもおいしいお汁粉があるのです。あんの甘さがさらっとしていて、お餅は軽く焼き目がついているのですよ。こしあんもつぶあんもございますので、お好きな方を選べますから。
お返事は急ぎません。ご都合のよろしいときに。
かしこ
大正九年九月十六日
手鞠
静寂様
【九月二十一日 手鞠より静寂への手紙】
拝復 いただいたお手紙も雨の匂いがします。
今日は風もなく、家全体が雨に閉ざされたような窮屈さを感じていました。
ところがその中でちよさんが七輪で盛大に
香ばしさにつられて土間をのぞくと、ちよさんは
「たくさんいただいたから、雨がやむまで待っていられなかったのです」と必死に言い訳する姿がおかしくて、涙を流して笑ってしまいました。
七輪の上の秋刀魚はじゅわじゅわと脂の焼ける音がして、表面についた焦げ目の具合もとてもおいしそうでした。明日には活きも悪くなりますし、いま焼けたそれも食卓に並ぶ頃には冷めて固くなってしまいます。食べ頃は“いま”しかありません。
だからちよさんと一尾を半分ずつ、七輪の隣にしゃがんで食べました。定規で引かれた線のように、上から下へ真っ直ぐ落ちる雨を眺めながら、ふたりこっそり食べる秋刀魚は格別です。炭と雨と秘密の味わいがしました。
ちよさんは「嫁ぎ先では、こんな行儀の悪いこと、決してしてはいけません」と言いましたが、舌鼓を打ちながらではまったく心に響きませんでした。
それにわたしはいつか静寂さんと、このすてきな秋刀魚を味わいたいと思いました。静寂さんならきっと少しくらいの行儀の悪さは許してくださると思うのです。だって、塀にのぼることを手伝ってくださいましたものね。
静寂さんと食べる秋刀魚や茄子はどんな味がするのか、とても楽しみです。
さてかつみ庵のことですが、それでは十月三日にいたしましょう。駒子さんもそれでよいそうです。静寂さんはこしあんがお好みなのですね。わたしはどちらも好きなので、当日まで悩みたいと思います。
それから菜々子さんもご一緒して構いませんか? どうしても静寂さんに会いたいと言うのです。どうかよろしくお願いいたします。
拝答
大正九年九月二十一日
春日井 手鞠
久里原 静寂様
【九月二十二日 手鞠より菜々子への手紙】
こんにちは。
今日おふたりにせがまれてお見せした静寂さんへのお手紙ですが、あれが恋文なのですか? 雨と秋刀魚のことしか書いていませんのに。
気を抜くとあふれる気持ちをそのまま綴ってしまいそうになるで、できるだけ日々の出来事だけを書いているつもりなのです。それなのに菜々子さんには「直接的な恋文よりうっとうしい」などと言われてしまいましたね。静寂さんもそう感じていらしたら恥ずかしいです。
それから、静寂さんは菜々子さんの同席も許してくださると思いますが、くれぐれも余計なことは言わないでくださいね。お餅を頬張ったまま飲み込まないでいてください。
静寂さんと会えるのはうれしいし楽しみですが、本当はおふたりを会わせたくありません。おふたりに限ったことではなく、世の中すべての女性に会わせたくありません。
お手紙のことといい、戸惑うことばかりです。
大正九年九月二十二日
手鞠
おしゃべり菜々子さま
【九月二十七日 手鞠より静寂への手紙】
謹啓 力強く咲いていた花々も盛りを過ぎて、庭のいろもなくなって参りました。けれどお隣の庭に金木犀があって、涼しくなってきた風に乗ってはなやかな香りが届きます。
今日は割烹の時間にオムレツを作りました。だし巻き玉子とは違い、巻くのではなくふんわりとまるめるようでした。これはこれでむずかしいです。似たようなお料理でも和食と洋食ではずいぶん違いますね。
静寂さんは洋食はお好きですか? 次はチキンライスを教わるのですが、何かお好きなお料理があれば、先生に聞いてみたいと思います。
菜々子さんの同席も認めてくださり、本当にありがとうございます。ふたりともとても楽しみにしているようです。もちろんわたしも。
それでは、十月三日午後二時に当家へいらしてくださいませ。
お待ちしております。
敬白
大正九年九月二十七日
春日井 手鞠
久里原 静寂様
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