三通目 夏雲奇峰の候

【八月一日 手鞠より英家への葉書】


暑中お見舞い申し上げます

 炎暑厳しき折、みなさまお変わりありませんでしょうか。

 早々に軽井沢にご出立だそうですね。

 あちらは過ごしやすいことと思いますので、ごゆっくり羽を休めてくださいませ。

 道中くれぐれもお気をつけて。


大正九年盛夏

春日井 手鞠

英家御一同様




【八月一日 手鞠より菜々子への葉書】


暑中お見舞い申し上げます

 炎暑厳しく、課題もやらずに、麦湯の中でおどる氷の音に耳をかたむけております。

 菜々子さんはピアノのお稽古に励まれていることと思いますが、あまり根を詰めすぎず、お身体いたわってくださいませ。


大正九年盛夏

春日井 手鞠

滝口 菜々子さま



【八月一日 手鞠より静寂への葉書】


暑中お見舞い申し上げます

 麦湯の中で氷が立てる、かろんという音に夏の風情を感じます。

 もうすぐ顔合わせですね。いまから胸の中が落ち着きません。

 お会いできるのをたのしみにしています。


大正九年盛夏

春日井 手鞠

久里原 静寂様




【八月四日 手鞠より静寂への手紙】


謹啓 女学校は今月から暑中休暇に入りました。終わりのわからなかった梅雨もいつの間にか明けて、夏空が痛いくらいです。

 暑さはつらいけれど洗濯物はよく乾くので、今日は母と義姉と一緒に、十月から着るあわせの洗い張りをしました。着物をほどくのも洗うのもそれほど苦労しませんが、布を板に張りつけるのは本当に大変なものですね。どうしてあんなにいちいち曲がってしまうのでしょう。一見まっすぐに張れても、物差しをあてると見事にななめなのがまたいら立ちます。とくに木綿が!

 けれどみどり濃い庭に、きれいに洗われた着物がとりどりのいろをあやなすさまは壮観です。それはこの苦労ゆえに一層あざやかさを増すのでしょう。糊がききすぎて少しごわごわしているけれど、さっぱりとした着物に袖を通して迎える秋は格別と思います。

 気分よく夕餉の支度をしましたら、かれいの煮つけがいままででいちばんおいしくできました。今日は小石川の方に住んでいる次兄が甥っ子と姪っ子をつれて遊びに来ているので、みんなで食べたあと庭で花火をしました。

 お日様を浴びた芝の匂いと硝煙の匂いが混ざると、夏の夜が身体のすみずみまで染みわたる気がしませんか? 花火はもちろんきれいなのですが、わたしは昔からこの匂いの方が好きなのです。来年の夏は静寂さんと一緒に花火ができるでしょうか。

 実はさっきまでがんばって早く寝ようとしていたのですがなかなか寝つけず、有明行灯の明かりでこのお手紙を書いています。久しぶりにお顔が見られると思うと、なぜか眠れないのです。

 あと四日。このお手紙が届くころには、もうお会いできているでしょうか。

敬白


大正九年八月四日

春日井 手鞠

久里原 静寂様


やっぱり眠れません。




【八月九日 手鞠より駒子への手紙】


拝啓 こちらでは風鈴も暑中休暇中なのか、動く気配がありません。軽井沢はいかがですか?

 縁側がとくに暑いので、ちよさんが「つるをはわせて簾代わりにしましょう」と先月何か植えていました。わたしは西洋朝顔がよかったのですが、ちよさんは「朝顔は食べられない」と言うのです。「昼顔なら食べられるそうよ」とお願いしたのに、にっこり笑って胡瓜きゅうりを植えてしまいました。

みどりいろの簾は確かに目にもやさしく、きいろい花もかわいらしいけれど、休暇が開けるころには一家全員河童になっていると思います。

 わたしは昨日、久里原家との顔合わせに臨みました。そこでじかに静寂さんにお尋ねしたところ、日記のような手紙でも一向に構わないそうです。ぜんぶ読んでくださっていたのですが、忙しくて返事を書けなかった、と直接お返事をいただきました。

 無理しなくていいと自分で言ったので期待していなかったのですが、いざいただいてみるとうれしくてうれしくて、しばらく開けることもできずに封筒を眺めていたほどです。

 しろい簡素な便箋にはうすく葉の透かしが入っていて、まるでやさしい木漏れ日のように見えます。

 昨日いただいてから、すでに何度も読み返しました。胸の高鳴りのせいで寝つけず、月あかりの中でも読みました。達筆とは違うけれど、おおきくやわらかく読みやすい字を書く方です。その文字を指でたどると、ぬくもりが残っているような気さえします。

 改めてお手紙を出すお許しを乞うたら、「待ってる」と言ってくださいました。お手紙にも「楽しく拝読しています」「また手紙をください」とありました。

 読みづらくてごめんなさい。文字が歪んでいるのは、動悸が速いせいでペン先がふるえているからです。

 静寂さんへのお返事は、少し気持ちを落ち着けてから書きたいと思います。

 ところで駒子さん。やはりお悩みがあるのではないですか? 駒子さんが最近元気がないのは気づいておりましたが、聞いても「何でもない」とおっしゃるので、立ち入ってよいものか迷っていました。けれど今日菜々子さんからお手紙が届いて、「駒子さんは何か気落ちしているの?」と尋ねられました。あの筆無精な菜々子さんがわざわざお手紙をくれたのです。心配しているのはわたしだけではありません。

 菜々子さんは縁談の悩みではないか、とおっしゃっていました。菜々子さん自身不本意な縁談にお困りのようで、今度ゆっくりお話をうかがって参ります。

 卒業まで一年と六月となり、わたしたちにとって進路とも言える縁談は最大の関心事のひとつです。華族様の結婚ともなればわずらわしいことも多いかと思います。わたしでは何のお役にも立てませんが、お話を聞くくらいはできますので、いつでも話してくださいね。

敬具


大正九年八月九日

手鞠

駒子さま




【八月九日 手鞠より菜々子への手紙】


拝復 菜々子さん、胡瓜はお好きですか? ちよさんが縁側に日陰を作ろうと、先月から何かのつるをはわせていたのは知っていましたが、わたしはお願いした通り昼顔だと思っていたのです。胡瓜でした。みどりいろの簾はたしかに日差しをやわらげてくれますが、毎日胡瓜ばかりでわたしの心は沈みがちです。

 わたしは昨日、久里原さまとの顔合わせに臨みました。一向に返事がないことを菜々子さんはいぶかしく思い、また「ただの日記では返事のしようがない」なんてひどいこともおっしゃっていましたね。

 けれど静寂さんは直接お返事をくださり、そこに「楽しく拝読しています」「また手紙をください」と書いてありました。これまでもすべて読んでくださっていて、日記のようなお手紙でもまったく構わないそうです。

 とてもうれしくて、文面を覚えてしまうくらい読み返し、枕元に置いて寝ています。

 お手紙を書くことがあまり得意ではないそうですが、菜々子さんのように「面倒くさいからお電話で」ということでもないようです。

 ずいぶんご心配をおかけしましたが、お会いしてみてやはり誠実でやさしい方だとわかりました。文字からもそのお人柄が伝わってきます。だからどうかご安心ください。

 わたしよりも駒子さんや菜々子さんの方がずっと心配です。

 駒子さんにはお手紙を出しまして、菜々子さんが心配していることもお伝えしました。お返事がありましたらまたお知らせします。

 それからお約束の日ですが、十四日で問題ありませんので二時にお邪魔いたします。胡瓜をたくさんお持ちしますので、買わずに待っていてくださいね。

拝答


大正九年八月九日

手鞠

菜々子さま




【八月十日 手鞠より静寂への手紙】


謹啓 当家では胡瓜の花が見ごろを迎えています。女中のちよさんが、日除けのため縁側に胡瓜のつるをはわせたのです。わたしは西洋朝顔を植えたかったのですが、ちよさんは食べられない植物には興味がないのです。せめて昼顔を、とお願いしたのに、育ってみたら胡瓜でした。

 緑陰の縁側は見た目にも涼しげで、陽を受けるみどりの葉蔭にきいろい小さなお花がちらちらのぞいている様子はとても可憐です。

 けれど、風が吹くたび胡瓜の匂いがします。

 静寂さん、河童はお好きですか? 申し訳ありませんが、祝言の日角隠しの下にいる花嫁は河童だと思います。

 さて、先日の顔合わせでは大変失礼いたしました。最初にお会いしたときやお手紙ではもう少し気軽にお話しできたはずなのに、『夫』として現れた静寂さんにどう接したらいいのかわからなくなってしまったのです。知らず無礼な態度を取っていたとしても、それは本心ではございません。

 一緒に歩きましたお庭もとてもすてきだったはずなのに、全然覚えていない有り様です。いまはただ、静寂さんの灰白色の単衣ひとえと、少し低いお声だけが思い出されます。

 また、お返事をいただきましてありがとうございました。実はわたしのお手紙はご迷惑だったのではないかと心配していたところだったのです。

 はじめて静寂さんにお手紙を書く前に、わたしだったらどんなお手紙をもらったらうれしいのか考えたのです。それで、わたしだったら何でもうれしいと思いました。学校のお勉強の話でも、食べた夕餉の話でも、近所の猫の話でも、静寂さんが目にしたものや聞いたことであれば、きっと何でもうれしいのです。そう思って日々の出来事を綴って参りました。

 けれど、駒子さんには「婚約者へのお手紙なら当然恋文であるべき」と言われましたし、菜々子さんには「ただの日記では返事のしようがない」とまで言われておりました。

 静寂さんが本当はどんなお手紙を好まれるのか、わたしは知りません。静寂さんのことはほとんど何も知らないのです。恋文を書こうにもそのような経験はございませんし、わたしが目にしたことのある恋文はあまりに奇妙奇天烈きみょうきてれつで参考になりません。

 ですから何かございましたら遠慮なくおっしゃってください。これから少しずつ静寂さんのことを学んで、気に入ってもらえるお手紙を書けるようになりたいと思います。

敬白


大正九年八月十日

春日井 手鞠

久里原 静寂様




【八月十八日 手鞠より菜々子への手紙】


拝啓 菜々子さんは毎日ピアノ浸けなのですね。「いやだ」「逃げたい」「ショパンの顔なんて見たくない」などと言うけれど、いつも「机に向かうくらいならピアノに向かいたい」と言っている菜々子さんのことです。充実している姿が目に浮かびます。

 わたしはいま、軽井沢にある英子爵の別荘に来ています。このお手紙も駒子さんと並んで書いています。

 こちらはとにかく風が気持ちいいです。そのせいか胡瓜の味も違って感じられます。

 菜々子さんが心配していた駒子さんの事情については、駒子さん自身のお手紙に詳しいと思いますので、そちらをお読みください。

 さて、こちらには姉と八束さまも来ているのですが、一緒にいるところをはじめて見ておどろきました。ふたりは時折みっしりと視線をからませるのです。まるで目に見えない何かで、お互いの輪郭、髪、肌の質感までもさぐり合っているようです。

 わたしと姉が目配せし合ったとしても、特別熱を持つことはなく、視線はさらりと流れていきます。わたしと八束さまならば、なおさら何かが生まれることはありません。けれど、姉と八束さまは違うのです。恋人というのはどなたもあのように濃密なものなのでしょうか。

 わたしは静寂さんと恋人ではなく親に決められた仲でありますが、瞳の奥に互いの姿を求め合うような、そんな関係になりたいです。軽井沢の風に吹かれながら、どんどん欲深くなっていく自分を感じています。

 菜々子さんは縁談のお相手にそんな想いを持ってはいないのでしょう? いやだいやだというショパンとは離れられないのでしょう?

 でしたらやはり菜々子さんのしあわせはピアノと共にあるのだと思います。ものでも人でも、そんな風に心を傾けられる何かと出会えることは多くありません。

 菜々子さんが望む道に進めるよう、心から応援しています。

 お返事は気にせず、ピアノのお稽古に力を注いでくださいませ。

敬具


大正九年八月十八日

春日井 手鞠

滝口 菜々子様




【八月十八日 手鞠より静寂への手紙】


謹啓 わたしはいま、軽井沢にある英子爵の別荘からこのお手紙を書いています。蘭姉さまも一緒だからとお誘いいただいたのです。

 こちらは気温も少し低いのですが何より風があります。歩いておりましてもパラソルが邪魔なくらい風がよく通っています。

 先日、久里原呉服店より静寂さんからのお手紙とジョーゼット生地が届きました。夏の楽しさを思わせる、あまくさわやかなラムネ瓶のようないろですね。こんなすてきないろ、わたしに似合うでしょうか。

 もしかして静寂さんが見立ててくださったのですか? そうなら他のどんな生地より百層倍も千層倍もうれしいです。

 風にさゆらぐ駒子さんのワンピースを見て、間に合うならわたしもラムネ瓶の単衣を着て来たかったと残念に思いました。あのかろやかな袖にこの風を受けたら、さぞ心地よかったろうと思います。袖がすれるたびにラムネのはじける涼しげな音が立ちそうです。本当にありがとうございます。

 ご質問にありました恋文のことですが、わかりにくい書き方をしてしまい申し訳ありません。くだんの恋文はわたしがいただいたものではなく、ある方がある女性に出したものを拝見しただけです。いくら恋文にうといわたしでも、あれはひどい出来だったと思います。名誉のためお名前は伏せさせてくださいませ。

 わたし自身は残念ながらいただいたことはございませんし、今後もないでしょう。

 静寂さんは恋文を書いたり、受け取った経験はおありなのでしょうか?

 すみません。やっぱり聞かないでおきます。いやな気持ちになってしまうので。

 今日は少し休んでから、ふたりで課題をしました。わたしはお勉強があまり得意ではないので、駒子さんがいてくださってとても助かっています。

 気候もよく、食べ物もおいしく、充実しています。

 それなのにとても寂しい気持ちになるのです。

 敷地が広いせいなのか、こちらの夜は東京のそれより森閑としています。月の光が降る音まで聞こえそうです。

 そこで時折風が彼方に抜けて行くと、泣きたくなるのです。この風はきっと静寂さんのところまでは届かない。先ほどわたしの上に降った夕立は、静寂さんの上には降っていないでしょう。

 近くに住んでいるからといって、いつでもお会いできるわけではありませんが、ここに来てしまったら、静寂さんがワッフルを届けてくださることも、わたしが自転車で会いに行くことも絶対にできないのです。そう思うと、じめじめと風のない東京が恋しくなります。

 毎日胡瓜でもいい。夜寝苦しくて構わないから、同じ雨にあたる距離にいたいです。

かしこ


大正九年八月十八日

春日井 手鞠

久里原 静寂様




【八月二十三日 手鞠より静寂への手紙】


謹啓 気候のよいとろこにいながら家が懐かしくなりましたのに、いざ締めつけられるような蒸し暑さの中にもどると、やはりいやなものです。打ち水された土の上を歩くと、べったりとした湿気が太陽の熱をともなって、肌に巻きつくようでした。

 今日は浅草の親戚の家にお土産をお届けに行ったのですが、満員の赤札を下げた電車は人いきれで息苦しかったです。伺った先でいただいた麦湯が本当においしく感じました。

 静寂さんは夏の疲れが出ていらっしゃいませんか?

 さて、このところ駒子さんの元気がなかったので、わたしを含む友人たちは心配していたのですが、軽井沢でようやくその理由を話してくれました。

 暑中休暇に入る少し前のこと。駒子さんは知人のおうちへ行かれたそうです。ひとりで市電に乗って神田の方まで。

 帰りの電車は空いていて座席にもゆとりがありましたので、みんな少し間を空けて座っていたそうです。

 それなのに、ひとりの男が駒子さんのすぐ隣に座りました。電車の揺れに合わせて駒子さんは離れましたが、運悪くいちばん端の席でした。男は離れた以上に間を詰め、ぴったりと駒子さんにくっついてきたらしいのです。駒子さんはよほど怖かったようで、それ以上詳しいことは教えてくれませんでした。ただ、言葉の端々から想像すると立って逃げることもできないくらい怖い思いをなさったようです。話してくれたときでさえ、手が震えていました。

 うつむいてぎゅうっと両手を握りしめていると、視界の外からふいに男の腕を掴む人がありました。学生服姿の男性だったそうです。その学生さんは無言で男を引っ張って行き何か言ってくれたようで、男は次の駅で降りて行ったということです。

 駒子さんは立ってお礼を伝えたかったらしいのですが、まだ恐怖の余韻がいろ濃くて脚が動きません。学生さんは「怖かったでしょう」「気にしなくていいので、そのままゆっくり休んでいてください」と言って、離れた席に座りました。自分自身も男性だから、近づかないように気づかってくれたのでしょう。

 降りる駅に着いて駒子さんが振り返って会釈すると、学生さんも笑顔でうなずいてくれたそうです。

 こんな話を駒子さんの許可を得て静寂さんにしましたのは、お願いがあるからです。静寂さん、わたしと一緒にその学生さんを探してください。

 駒子さんはどうしてもその方にお礼がしたいのですが、どこの誰とも知りません。同じ時間に同じ市電に乗れば見つけられるかもしれませんけれど、そこはやはり怖い思いをした記憶があたらしく、勇気が出ないのだそうです。会いたい気持ちと怖い気持ちの板挟みで、駒子さんは悩んでいます。

 ですからわたしが代わりにその方を探したいと思います。

 けれど、学生さんを見つけたとして、女のわたしがひとりで声を掛けることはためらわれます。駒子さん本人でもないので、相手の方も不審に思われるでしょう。

 彼は静寂さんと同じ大学の方だと思うのです。お知り合いとは限りませんが、少なくともわたしが突然話し掛けるよりも、静寂さんがいてくださった方が相手の方も安心なさるのではないでしょうか。

 大学は九月に新学期が始まるのですよね。学校が始まってから同じ時間帯の市電に乗ったら見つかりやすいと思うのです。

 一週間がんばって、それで見つからなければあきらめます。どうかお付き合いくださいませんか?

 無理を承知でお願いいたします。

頓首


大正九年八月二十三日

春日井 手鞠

久里原 静寂様様様




【八月二十八日 手鞠より静寂への手紙】


拝復 アントワープで行われていた五輪で、先日日本人選手がテニスでメダルを獲得したとか。三月の株価暴落を始め、今年は暗い話題が多かったので、あかるい話はよいですね。

 静寂さんは運動はお得意ですか? わたしはテニスも何度か経験しましたが、ボールにきらわれていて思うようになりません。駒子さんの「憎い人の頭だと思って打ちなさい」という助言が、むしろ脚を引っ張っているように思います。

 たったいま、ちよさんが西瓜すいかを切ったと呼びに来ましたけれど、寝たふりをしてやり過ごしました。このところお茶請けが毎日西瓜なのです。たくさんいただいたから当然なのですが、そろそろ瓜とは縁を切りたいです。それでも夕餉の胡瓜からは逃れられないでしょう。

 お願いしました件ですが、静寂さん、本当に本当にありがとうございます。まさかこんなお願いを聞いていただけるなんて思いませんでした。

 ご推察どおり、引き受けていただけなければ、わたしひとりで探すつもりでした。ですからとても心強いです。

 お付き合いいただく条件はもちろんすべて尊守いたします。

 一、九月一日から日曜日を除く五日間にします。

 一、ひとりでは行動いたしません。

 一、静寂さんの指示に従います。

 一、静寂さんから離れません。

 ちよさんがもう一度来て、起きていることが見つかってしまいました。仕方がないので西瓜を食べて参ります。

 では約束の九月一日、お待ちしておりますので、よろしくお願いいたします。

頓首


大正九年八月二十八日

春日井 手鞠

やさしいやさしい静寂様






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