第4話 高い城の女
伏見城キャッスル・ランド、高度経済成長期に遊園地のシンボルとして築かれた鉄筋コンクリートの城である。その天守閣は洛中洛外図屏風に描かれた伏見城を参考にして五層六階建ての大天守と三層四階建ての小天守を再現した、いわばレプリカの城である。
諸行無常、この遊園地も時の流れに押し流され二十年前に閉園となったのだ。
戸部典子君、どうしてこれが作戦本部なんだ?
「作戦本部に改装するために、じっちゃんに買ってもらったなりよ。」
城を、買ったのか? じっちゃんとは何者だ?
疑問はいくつもあるが、戸部典子は伏見城を手に入れたようだ。戦国武将気取りの、なんとも浮世離れした話である。
「先生、お久しぶりです。」
駅の玄関に駐車している黒塗りの車の中から聞き覚えのある声がした。
自衛隊ドローン部隊の田中一尉ではないか。
運転席から降りてきた田中一尉はオレンジ色のつなぎの作業服を着ている。
「自衛隊は、先月、退官しました。」
辞めたのか。
それも仕方がないことなのかも知れない。伊波政権の下では、自衛隊の海外派兵が本格化し、昨年も十数名の自衛官が中東で戦死している。
「日本のために死ぬのは本望ですが、アメリカの戦争で死ぬのは納得がいかないものです。」
田中一尉は静かな口調で言った。
それで、転職して、再び歴史改変業務というわけか。
「どうぞ。」
田中一尉は後部ドアを開き、私と戸部典子は黒塗りの車に乗り込んだ。
車はゆっくりと坂道を登り始めた。
「あの頃の自衛隊は面白かったのにな」という私に、田中一尉は自嘲気味に答えた。
「一年前くらいから、自衛隊にも日本教徒が増えてきましてね。私たちのようなオタク系自衛官には居辛い組織になりました。」
そうなのか、この国では何もかもが変わってしまったんだな。
十分ほどで、車は伏見城の城門に到着した。この石垣と土塀の城門は新しく作られたもののようだ。田中一尉の車が城門にさしかかると、鉄の扉が自動的に開いた。
門内では田中一尉と同じオレンジの作業服を着た男たちが、敬礼で私たちの車を出迎えた。いや男だけじゃない、女性もいる。
遊園地の遊具が並べられていた敷地には、大型小型とり混ぜて七機のヘリコプターが並んでいた。車も乗用車だけではない、装甲車のようなものや特殊車両がいくつも並んでいる。城の上空ではドローンが飛び交い、模擬戦闘をやっているようだ。城自体が、まるで私設軍隊の基地のようなのだ。
戸部典子は天守閣に向かって歩いている。私はその後ろを、天守閣を見上げながらついていった。
天守閣の石垣には鉄の扉があり、戸部典子がスイッチを押すと開いた。ここが城の入り口だ。
内部はロビーになっていた。カンターには受付のお姉さんがいて、私たちを出迎えた。ロビーの壁面にはいくつものブースが並び、訪問者との面談はここでするのだと、お姉さんは教えてくれた。
「我が城へ、ようこそなり!」
戸部典子が天守閣を案内してくれるという。
ロビーの奥にはエスカレーターがあった。私たちはエスカレータで二階に上がった。二階は会議室をはじめ、沢山の部屋が並んでいた。いちばん奥が戸部典子の部屋だという。
二階からは、渡り廊下で小天守に行くことができる。小天守の二階は事務室になっており、総務課や経理課のサイン・ボードが天井から吊るされていた。まるで一流企業のオフィスのようだ。
小天守の三階は、社員食堂になっていた。厨房では調理のおばちゃんが後かたずけに忙しく働いている。
私たちは再び大天守の二階に戻った。ここからはエレベータだという。
三階。エレベーターの扉が開くと、そこは黒い壁に囲まれたエントランスになっていた。中央にある扉の両脇には戦国武将の鎧兜が飾ってある。
「先生、顔認証を登録するから、右上のカメラに顔を向けて欲しいなり。」
あれか、向けたぞ。
「顔認証、登録完了なり。」
私が鎧兜に顔を向けると、兜の中のセンサーが赤く発光し、扉が開いた。
「ここが作戦本部なり。」
作戦本部は、三階から五階までの吹きき抜けになっていた。
壁面には様々な計測機器が並び、正面には巨大なメイン・モニターが取り付けられている。その両サイドには二つのサブ・モニターだ。
メイン・モニターの下には様々な機器の操作パネルが並び、オペレーターたちが忙しく働いている。その光景は、私にアポロ宇宙船の管制室を思い出させた。
時空監視システムはまだ起動していないようだ。オペレーターたちは、その調整作業をしている。
私たちはオペレータたちを見下ろす一段高いデッキにいた。デッキの中央には大きなテーブルがあり、戦国武将たちのフィギュアが並べられている。こういところは戸部典子の趣味なのだ。
広さは上海ラボよりも一回り広いみたいだ。壁紙は黒で統一されている。照明も中間照明が主であり、おかげで落ち着いてはいるが、部屋全体が暗く感じられた。
碧海作戦の北京研究室や上海ラボに匹敵する規模である。いや、それ以上かも知れない。
作戦本部の指揮を執っているのは、三十過ぎの若い男だった。
「時空工学のキム・カンジュン博士なり。」
戸部典子に紹介されたのは、嫌みなイケメン野郎だ。
ジーパンにTシャツ、ラフな格好をしたイケメン野郎は、長い髪をしきりにかき上げている。Tシャツの胸には「The Dark Knight」のロゴがあった。痩せてはいるが筋肉質な体をしている。
戸部典子はキム博士に豆餅の袋を手渡した。
「おお、僕は甘い物には目が無いんですよね。」
爽やかな笑顔を浮かべたキム博士は、さっそく豆餅をほおばった。
私はキム博士と握手を交わし、「よろしく」と言った。
キム博士は、私の大ファンなのだと感激し、碧海作戦の着想を天才的だと言ってくれた。彼は、碧海作戦の記録を読み、歴史に大いに興味を持ったのだと私に伝えた。
「先生は、国境も民族も軽々と飛び越えてしまった。僕は韓国人である前に東アジア人であることに気づかされました。」
理系の研究者からこうも褒めそやされるのも面はゆいものである。
しかし、陳博士といい、キム博士といい、どうして最近の学者はイケメンばかりなんだ。
キム博士の顔は、雑誌で見たことがあるから知っている。
韓国の天才的物理学者にして時空工学の寵児、タイムマシン・テクノロジーのトップランナーである。
タイムマシンの理論を確立したインドのダルメンドラ博士の下で学び、今ではダルメンドラ博士の学問的なパートナーとまで言われている。
私がキム博士を褒めると、キム博士は首を横に振りながら、キザったらしく人差し指を立てた。
「パートナーなのは学問の上だけじゃないですよ。ダルと僕は精神的にも愛情的にもパートナーなんです。」
偉大なる理論物理学の天才ダルメンドラ博士を「ダル」と呼び捨てにするキム博士の態度に、私は違和感をおぼえた。キム博士の言葉の意味を、私は即座に理解することが出来なかった。
ダルメンドラ博士が時間航行の理論を打ち立てたのは二十年以上昔の話だ。博士の素性、年齢、容貌に関しては全て極秘とされていたが、私の中では老人のイメージしかなかったのだ。
キム博士は、右手の拳を握りしめて、力強く言い放った。
「ダルが時間航行理論を発見したのは、十三歳の時です。ダルこそ本物の天才です。僕のことを天才と呼ぶ人がいますが、ダルにはとうてい及びもつきません。しかし、そんなダルと愛し合うことができた僕は、世界一の幸せ者です。」
なんか、理解できたぞ。
ようするにキム博士とダルメンドラ博士はLGBTの人なのだな。
私の隣で、戸部典子がキラッ、キラと目を輝かせている。
そういえばコイツ、腐ってたっけ。
「この作戦本部の設備もすべてキム博士の設計なりよ。それからキム博士の亜空間理論による新型タイムマシンも建造中なのだ。」
タイムマシンまであるのか?
「そうなりよ。まほろば作戦は物量においては碧海作戦に及ばないなり。けれど、あらゆる装備において中国を凌駕しているのだ。」
私はただただ言葉を失った。これほどの設備を用意する力とは、いったい何なんだ!
「サブ・モニター・オープン」
戸部典子の指示で、サブ・モニターに映し出されたのは、人民解放軍の軍服を着た女性の姿だった。階級章は少佐である。
李博士ではないか。軍服姿も素敵だ。
この凛々しさのなかに、そこはかとない色気があるのだ。
「先生、ご無沙汰しております。人民解放軍もまほろば作戦には影ながら御助力さしあげますわ。また、先生とご一緒出来て光栄です。」
李博士が敬礼するので、思わず敬礼のお返しをしてしまった。
しかしだ、戸部典子君、李博士は京都に来るんじゃなかったのか?
「そんなことはひとことも言ってないなり。」
確かにそうのとおりだが、私は・・・
李博士がサブ・モニターの中で笑っている。
「先生、そのうち京都にもお邪魔することになるかも知れません。その時は、また友情を確かめ合うことができますわね。」
友情かぁ。
いや、ここで諦めてはいけない。お友達から始めるのが基本だと、この間読んだ本には書いてあったぞ。「女性攻略マニュアル・基本編」という本だ。
マニュアルに従うとすれば、まずは食事だ。食事に誘うのだ。
しかし、私には「こんどメシでも食いましょう」というセリフが言えないのだ。なんかテレてしまうのだ。
だが、さっき思いついたセリフがある。
これなら、さりげなく言える!
「李博士、京都の鯖寿司は絶品ですよ。」
私はマニュアルに書いてあったとおり、大人の余裕を漂わせながら言った。
「ええ、ご馳走になりますわ。」
やったー、李博士と満寿形屋の鯖寿司を食うぞー。
顔がニヤけてしまうではないか。戸部典子に気付かれたら何を言われるか分からんん。ここは歯を食いしばってでも、厳めしい顔を取り繕わなくてはならない。全身に力を込めて足を踏ん張るのだ。
イテテテ、捻挫だったことを忘れていた。
これが新しい歴史改変チームなのだ。
まだ慣れないが、一流の人材が集まっているのは肌で感じられる。
私と戸部典子は天守の最上階へ上がった。
ここからは、京都盆地が、そして遠くに奈良盆地と大阪平野が見渡せる。
川の方角から吹き渡る風が、私と戸部典子の頬を撫でた。
鴨川は伏見の地で桂川と合流し、さらに十数キロ下流の大山崎で宇治川と木津川を合わせて淀川の流れとなる。
「こうした高いところから人々の暮らしを見下ろすと、なぜか優しい気持ちになるなり。」
戸部典子は地上を眼下に見下ろしながら言った。
「先生、これがまほろば作戦の作戦本部なり。」
しかし、これほどの設備、いったい資金はどこから出ているんだ。
「もう教えてもいい頃なりね。岩見獣太郎記念財団なりよ。」
なんだと、岩見獣太郎記念財団が資金源なのか。お前の言う「じっちゃん」とは岩見獣太郎氏のことか!
「一か月前、じっちゃんはこの天守に来たなり。じっちゃんは長い間、高いところから見下ろす人生を送ってきた人なり。あたしが『優しい気持ちになる』と言ったら、悲しそうな顔をしたなり。じっちゃんは優しい気持ちを知らない可哀そうな人だったなり・・・」
岩見獣太郎、かつて日本の
政商、武器商人、拝金主義者。
岩見獣太郎氏の評価は様々だが、そのどれもが悪評なのである。
そして彼が設立した慈善団体「岩見獣太郎記念財団」を、誰もが侮蔑を込めてこう呼んだ。
「けもの財団」と・・・
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