第2話 愛国者、戸部典子

 戸部典子と私は、中国のチベット弾圧に抗議して碧海作戦チームを辞めたことになっていた。

 帰国した際、私たちは愛国英雄として称えられたが、私は真っ向からこれを否定した。

 戸部典子は、否定も肯定もしない。彼女の発言は微妙だったが、日本国民は戸部典子を愛国のシンボルとして祭り上げようとしていた。

 彼女は、かつて国会で徴兵制推進を訴え、碧海時空において織田信長の中国侵攻を成功させた立役者なのだ。さらに、台湾の役においては真田信繁や伊達政宗を助けて戦い、十字作戦ではローマ教皇をぶっ叩いて、キリスト教徒の領土的野心を打ち砕いた実績がある。


 戸部典子の発言は決して右翼的なものではないし、時としてリベラルである。ただ、愛国者という虚像が肥大化し、彼女の発言の真意を誰もが問おうとしなかった。

 伊波俊三もそのなかの一人である。

 伊波政権は日本教に支えられている。日本教の教祖は堂本大旺という老人である。この二人には華がない。国民を引き付けるような魅力に欠けるのだ。

 そこで戸部典子だ。彼女を伊波政権の旗印にすることが出来たなら、国民の心を掴み、一気に独裁体制を打ち立てることができる。

 総理大臣・伊波俊三、日本教団教祖・堂本大旺、そして愛国者・戸部典子。この三者が一体となったとき、日本という民主主義国家は、ファシズムへと舵を切るはずだった。


 ところが戸部典子というのは、そんなに簡単な奴ではないのである。

 要するに、めんどくさい奴なのだ。

 伊波政権は彼女にラブ・コールを送り続けているのだが、戸部典子はどこ吹く風である。

 彼女には彼女なりの正義があり、矜持がある。

 中国や韓国に対する批判に対しても、そこに政治的な正当性が無い限り、彼女は決して認めない。移民に対するヘイトに対しても、彼女は真っ向から非難した。

 戸部典子の発言は常に、日本人の正義を説いていた。

 世界から尊敬される日本人を体現しているのが戸部典子なのだと、多くの国民が信じていた。

 いや、戸部典子を批判するということは、すなはち反愛国的行為であるという奇妙な同調圧力が働いていたというべきか。

 この奇妙な現象が、戸部典子をして伊波政権の暴走に歯止めをかけていたと言っていい。


   *   *   *   *   *   *


 「今日は、真の愛国者、戸部典子さんをお招きしました。」

 あるテレビ番組に戸部典子が出演した。インタビュアーは亀野耕司というお笑い芸人だ。コイツも伊波首相の太鼓持ちみたいな奴だ。

 くだらん番組だ。どうしてこんな知能指数の低い芸人のインタビューなんか受けるんだ。

 だが、戸部典子はそんなことは百も承知らしい。

 常ににまにま笑いを絶やさないのだが、右耳がひくひくと動いている。

 イライラしてる証拠だ。

 そんな彼女に亀野耕司が問いかける。

 「戸部さんからは、日本人としての誇りをビシビシ感じますね。」

 「あたしにはあたしの誇りがあるなり。日本人としての誇りなんて必要ないなり。」

 「しかし、戸部さんは日本人ですよね?」

 「あたしが日本人じゃなかったらどうなりか? あたしがたとえ中国人でも韓国人でも、あたしがあたしであることに変わりはないなり。」

 戸部典子は亀野耕司をギロリと睨んだ。

 「日本人には、良い日本人と悪い日本人がいるなり。中国人も韓国人も同じなり。亀野師匠は、悪い日本人と、良い韓国人のどっちが好きなりか?」

 亀野耕司は冷や汗をかいている。この質問に答えるわけにはいかない。

 この調子で戸部典子の仕掛けた罠にはまり、多くの芸人が消えていったのだ。

 逆に、戸部典子を愛国者のプロパガンダにすることができれば、例えクソ面白くないも芸人でも、政権の庇護のもとテレビに出演し続けられる。

 これが、権力に魂を売ったお笑い芸人の仕事だ。


 亀野耕司は、無理やり話題を変えた。

 「でも戸部さんは、日本のことが大好きですよね。」

 「日本のことが好きだから、日本の歴史や文化を勉強してきたなり。」

 「さすがですね。僕らも、日本のことをもっと勉強しなくちゃいけないですね。」

 「そうなり、日本のことを勉強もしないで、愛国心も何もないなり!」

 戸部典子は大きなポスターを取り出したのだ。

 ポスターには「愛国者検定試験」の大きな文字があった。

 「愛国者検定試験を全国で実施するのだ。愛国心のある人は必ず受験するなりよ!」


 愛国者検定試験。

 どうやら戸部典子が以前から準備していた企画らしい。

 彼女は「愛国心発揚のため」として、伊波総理にも協力を要請した。

 与党・保守党は、この検定試験を国家資格にすると閣議決定を下したのだ。

 伊波総理は戸部典子を何としても政権の中枢に取り込みたい。その戸部典子が愛国心の発揚を唱えている。この要請を拒否することは、愛国心そのものを否定することになりかねない。

 伊波俊三は、愛国者・戸部典子の提案に乗ったのだ。


 愛国心検定試験は日本の文化・歴史・地理を中心に出題される。出題範囲は小中学校の教科書の範囲である。義務教育の範囲内だから、難問・奇問は出題されない。

 誰もが愛国者に認定されるような易しい試験であると、伊波総理以下、閣僚の面々は思い込んでいたのだ。

 ところがこの検定試験を実施するのは愛国者認定委員会という民間組織なのである。もちろん理事長は戸部典子だ。


 小中学校の教科書を舐めてはいけない。

 例えばである。

 日本地図に都道府県の名前が書き込まれている。そのなかの二つが空白である。この空白を埋めよ。

 足利三代将軍と徳川三代将軍の名前を書け。

 源氏物語と枕草子、それぞれの作者は?


 確かに簡単な問題だ。小中学校時代にちゃんと勉強していれば誰でも答えられる。

 偏差値五十くらいあれば七割は正解できる。

 ただし、日本人の半数は偏差値五十以下なのだ。


 愛国心検定試験では、六十点以上でようやく下級愛国者と認定された。

 八十点以上で中級愛国者、上級となれば九十点を要求される。

 そして、六十点未満は「非国民」なのである。

 三十点以下には「日本を出て行ってください」という国外退去通告が届くのだ。

 七十万人の愛国者が検定試験を受験し、合格率は三十六パーセントであった。

 日本教の信者である自称愛国者のほとんどが、非国民であることが実証された。

 戸部典子にインタビューしていた亀野耕司は四十二点だった。

 受験者の点数はすべてネットで公開されていたのだ。堂々の非国民である。

 逆にリベラル志向のインテリたちが高得点を獲得し、愛国者認定委員会から上級愛国者の金メダルを送られた。金メッキに「I ♡ ニッポン」と描かれた安っぽいメダルである。

 このメダルが、検定試験に落ちた自称・愛国者たちの垂涎の的になった。

 愛国者メダルは、ネット・オークションで高値で取引されていた。


 この結果に驚いた伊波総理は、談話を発表した。

 「愛国心は全ての国民に宿るものであり、決して試験だけで測れるようなものでは無いと、私は信じて、信じて・・・ 信じていません。」

 伊波総理には「信じてみません」の原稿が読めなかったのだ。伊波総理の名誉のために言っておくが、「已」という漢字は当用漢字ではないので義務教育では習わない。

 伊波総理は身をもって勉強の大切さを国民に示したのだった。


 戸部典子もコメントを出した。

 「『日本が好きです』って言うだけで愛国者なら、口だけ愛国者なり。ちゃんと勉強して、努力してこそ本物の愛国者なり!」

 確かにそうだ、国家が発展する条件は、教育により優秀な国民を育成することなのだ。

 勉強は愛国的な行為に他ならない。

 戸部典子は愛国者検定試験の追試を企画し、三十万人が追試を受けたのだった。

 追試の受験料は五千円だから、大儲けである。


 愛国者認定委員会はこの収益を、「愛国奨学金」の原資とした。

 愛国奨学金は、貧しさゆえに進学を諦めかけていた若者たちの大学進学を補助することを目的に設立された。ただし、愛国奨学金を受けるためには、偏差値六十くらいが必要であった。

 そういう意味では、戸部典子もネオ・リベラリズム的であったのだが、彼女は自由競争を公正で、公平なものと考えていたようだ。

 生まれた家庭が裕福か貧しいかは本人の能力に何ら関係は無い。

 能力のあるものは高い教育を受ける価値がある。そして高等教育を受けたものは社会に貢献する義務がある。これが戸部典子流のノブリス・オブリージュ、高貴なる者の義務なのである。

 愛国奨学金の授与にあたり、愛国者認定委員会理事長・戸部典子は学生たちに、こう訓示した。

 「この奨学金の返済は必要ないなり。日本と世界に貢献することで返すなりよ!」

 なるほど。これが、本物の愛国だ。


   *   *   *   *


 六月十四日、関西地方をマグニチュード六・二の直下型地震が襲った。

 生駒山系を走る断層帯が震源地である。

 大阪市東部では震度六を記録し、多くの建物が倒壊した。

 陸上自衛隊に災害出動命令が出た。

 倒壊した建物の上空を、自衛隊の偵察用ドローン・シーガルが飛行している。

 私は、その様子をテレビ・ニュースで見ていた。

 カメラは自衛隊ドローン部隊の姿を映し出し、私は懐かしい顔に再開した。

 田中一尉に木場三尉ではないか。共に碧海作戦を戦った戦友である。


 痛ましい事件は震災の混乱の中で起こった。

 スラムと化した大阪のI地区で、移民たちが暴動を起こすとのデマが拡散し、デマを信じた男が移民たちの居住地に火を放った。

 火は老朽化した木造アパートに燃え広がり、三十七名の移民が焼死した。

 放火犯は。Aというスラムに居住する狂信的な日本教徒だった。日雇い派遣で糊口をしのぎ、未来に何ら希望の持てない生活をしていた。

 普段から移民に対する敵意を隠さなかったAだったが、焼け落ちるアパートから聞こえてくる断末魔の声に恐怖し、自らの精神を崩壊させた。

 Aは放火現場に呆けたようにニヤニヤ笑いながら立ち尽くしていた。

 家族を火災によって奪われ、怒りに我を失った移民の少年がAを撲殺した。バットで頭部を一撃されたAは、その場で絶命した。

 移民の少年は殺人容疑で逮捕され、マスコミは事件の成り行きを連日報道していた。

 政治家にもマスコミにも、火災で亡くなった移民たちに同情する論調はなく、なかにはAを擁護する論調もあった。

 私は日本が狂ってしまったのではないかと思った。


 戸部典子は、焼け野原になったスラムを訪れ、花を手向けた。

 デマによる放火によって、犠牲になった移民たちに哀悼の意を表明したのである。

 彼女は、日本人として正しい行動とは、かくの如きであると示したのだ。


 そして、突き止めたのだ。デマの発信源を。

 デマはSNSのツブヤイターから発生したものだった。デマを書き込んだアカウントは大阪市職員Bのものだった。

 Bは高校を卒業した後、大阪市に入職し、移民局の課長を務める公務員だった。課長の肩書はあったが、部下はひとりもいなかった。Bの仕事は、移民問題に関するクレームを処理することだった。

 Bもまた、日本教を信奉していた。ツブヤイターでヘイト発言を繰り返していたのだ。

 戸部典子はBのプロフィールを公開し、一言だけコメントを添えた。

 「卑怯なり!」と。


 それは総理大臣・伊波俊三が最も恐れていた言葉だった。

 かつて戸部典子は、この言葉で大物政治家を葬った実績がある。

 大阪市長はBを即座に更迭し、無期限の停職とした。

 伊波総理は、「亡くなられた移民の方々の冥福をお祈りする」との談話を発表した。


 この日を境に、戸部典子の姿はマスコミの報道から消えた。


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