第一章 北の埋み火なり
第1話 諸行無常
人類が手に入れた時間航行のテクノロージーは、それがたとえ限定的だったとしても、神の領域に属するものだと言って過言ではない。
神の力を行使した政治家たちは、歴史改変実験を権力の玩具にし、歴史をプロパガンダに利用しようとした。
ところが、歴史は人間の思う通りになるほど生易しいものでは無い。
歴史はあらゆる事象の交錯であり、偶然と必然の積み重ねであり、原因と結果の連鎖である。
ここに、明快な方程式はなく、一定の公理もない。
ただ、歴史にはたったひとつ、誰にも異を唱えることのできない法則が存在する。
それは、「諸行無常」ということだ。
私が碧海作戦のアドヴァイザーを辞してから一年が経とうとしていた。
中国から帰国した翌年から、私は京都学院大学で歴史社会学を学生たちに教えてきた。
碧海作戦を通じて私が得た教訓は、歴史を私たちの社会の中に捉え直すということだった。その結果が、歴史社会学という学問なのである。
この仕事に何ら不満はなく、むしろ京都という歴史の街で、若者たちと共に学ぶことは、まさに学者冥利に尽きると言わねばならない。
この頃、碧海作戦によって生み出された歴史空間を「碧海時空」とする呼び名が一般的となっていた。
中国がアメリカと交わした密約により、中国政府の歴史介入は事実上行われていない。代わってタイム・マシンを保有する西欧諸国が碧海時空に調査名目で様々な介入を試みていた。
西欧諸国の思惑とは裏腹に、碧海時空における信長の帝国は盤石であり、十七世紀においてもめざましい発展を続けていた。
中国大陸、朝鮮半島、日本列島、そして日本海から東シナ海にわたる広大な海を版図とする信長の帝国は、地球上の五分の二の富を独占し、その勢力は西欧諸国のアジア進出を阻み続けていた。
信長の帝国では、日本人も中国人も朝鮮人もなかった。共に帝国の臣民なのである。
帝国は人材を能力によって選別し、能力の高いものにはあらゆる成功者への道が用意されていた。
帝国の臣民も、富を求めてやってきた移民も、能力以外の如何なる条件においても平等であった。
十七世紀において、グローバリゼーションが東アジアを覆いつつあったのだ。
そして、このグローバリゼーションは私たちが生きる二十一世紀の問題でもあった。
中国は日本を追い抜いて世界第二位の経済大国となり、最先端技術の覇権をめぐってアメリカと争うまでになっていた。
アメリカでは「白人ファースト」を唱えるロバート・トランクが大統領に選出された。彼の支持者は「プア・ホワイト」と呼ばれる貧しい白人層である。
トランク大統領が支持者を集めているのは、ポピュリズムによるところが大きい。
複雑な政治問題を大衆が喜びそうな単純な争点に置き換える。
「アメリカは白人の作った国だ。移民は出ていけ!」
こうした過激なフレーズに大衆が酔いしれている間に、金持ちに都合の良い政策が実行に移されていくのだ。貧乏人はそれに気づきさえしない。
トランクはアメリカにおける白人の優位を叫びながら、ネオ・リベラリズム政策を実行する。無知な大衆はネオ・リベラリズムが何を意味しているかさえ知らないのだから処置なしである。
こうしたポピュリズムは、日本でも同じだった。
時の総理大臣・伊波俊三は、民主主義そのものを破壊しようとしていた。
日本国憲法から、平和主義だけでなく、基本的人権と国民主権を削除しようというのが、与党・保守党の改憲案だったのだ。
改憲に対する反対運動が巻き起こっていたが、既にテレビ・新聞などのマスコミを支配下に置いた伊波政権に怖いものはなかった。新聞は伊波政権に対する提灯記事を書きたて、テレビはどうでもいい芸能人のスキャンダルを流し続けるのみだった。
イバノミクスと呼ばれる経済政策は一部の富裕層にのみ特権を与え、庶民の賃金は右肩下がりである。一方、中国や韓国では労働者の賃金は上昇し、日本人の平均賃金に追いつき追い越す勢いなのだ。
少子化により労働人口が激減した日本では、労働者の多くがアジアの国々から押し寄せる外国人移民に取って替わられた。伊波政権を支持する企業の経営者たちは、より安い賃金で働く移民を何よりも必要としていたからだ。
企業の経営者たちは、人件費を最小化することに成功しつつあった。
これまで先進国という名前に胡坐をかいていた日本人は、まさに下克上にさらされたのだ。
下克上、それはグローバリゼーションのもうひとつの名前であった。
移民であろうとも、優秀な人材は高い賃金を獲得し、社会的地位を上昇させる。
日本人であっても、無能な人間は社会の底辺に身を置くしかなかった。
市場を競争の原理に委ね、経済政策や福祉といった政治的干渉を最小限にとどめる。
これこそ、ネオ・リベラリズムが標榜する「小さな政府」であり「自由な競争」である。格差は「自己責任」の結果ということになる。
こうした下克上による新たな社会的格差の登場は、下層日本人の心に怨嗟を生み、移民に対する排斥運動へとつながった。
移民に対するヘイト・デモが各地で頻発し、時として暴力を誘発した。
都市の一部はスラムと化し、スラムに住み着いたのはアジア各国からの移民と、日本人の貧困層である。
貧しい日本人は、さらに弱い立場の外国人を「在日」「反日」の名で攻撃した。
弱いものが、さらに弱いものを排斥する。ヘイトの連鎖が社会を混乱に陥れていく。
こうした日本人貧困層の心の支柱となっていたのが、「日本教」という新興宗教だった。
日本教の教祖・堂本大旺は「日本民族は諸民族に優越し、日本人として生まれただけで価値があるのだ」と説いた。
移民との競争に敗れ、社会的底辺に置かれた日本人の多くが「日本教」の信者となった。
日本教は能力の優劣を問わない。日本人であるかどうかだけが価値の源泉であると説くのだ。
日本教は伊波政権を支える強力な集票マシーンでもあった。
伊波政権のネオ・リベラリズム政策と移民政策が、日本人を不遇と貧困に追い込む。貧困に苦しむ日本人が、日本人としての誇りを担保してくれる日本教の信者になる。そして、信者たちは伊波俊三を救世主のように崇めた。
経済においてはネオ・リベラリズム、思想においては国粋主義。これが伊波政権の正体であり、そのカラクリを見抜くには強靭な知性が必要だった。
日本教は知性を否定する。学問は有害でさえあるとする。
日本人の誇りと引き換えに、無知と従順を要求する。
独裁政権に対して、最も有効なカウンターであるはずの知性という武器は封じ込められつつあった。
諸行無常、盛者必衰、奢れる者は久しからず。
たとえ日本であろうとも、永遠の繁栄はありえない。
日本という国が未来永劫存在する保証はどこにもない。
ひとえに風の前の塵に同じ、なのである。
歴史学者は常に相対的な場所に身を置かねばならない。
この国が亡びるなら、その亡びから何かを学ぶのが私たちの作法なのだ。
それが、歴史学者の傲慢だということは理解しているつもりだ。
* * * *
傲慢と言えば、戸部典子と最後に会ったのは二か月前のことだった。
その時もらった名刺がここにある。
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戦国武将評論家・京都学院大学名誉非常勤講師
作家・声優・歌手
戸部典子
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いったい、いくつ肩書があるんだ。
作家までは分かる。たくさん本を書いてるからな。
声優も、この間ナンタラとかいうアニメにゲスト出演したそうだから認めよう。
歌手というのは何だ?
「こんど歌手デビューが決まったなり。大晦日の赤白歌合戦でデビュー曲を歌うなりよ! ぜったい観て欲しいなり。」
確かにコイツ、歌は上手かったのだが、いきなり赤白歌合戦でデビューなのか?
「そうなり、国営放送からオファーがあったなり。」
なるほど、国営放送は伊波総理の息がかかっている。
愛国者として大衆の人気を集める戸部典子を、政権のプロパガンダに利用するつもりだな。
総理大臣・伊波俊三は、戸部典子のご機嫌取りと、愛国心を国民に印象付ける目的のため、国営放送の大舞台で戸部典子の歌手デビューをお膳立てしたというのが、ことの顛末である。
これが、ポピュリズム、亡国の政治である。
そして、愛国者・戸部典子は大晦日の赤白歌合戦の舞台に立った。
私はその様子を、年越し蕎麦を食べながらテレビで見ていた。
場所は、戸部典子の実家、料理旅館「広沢亭」である。
戸部典子のお兄さん、貴志君と、妹さんの京子君と一緒に、戸部典子のデビューを見守ることにしていたのだ。
♪ チャカチャカ、チャンリンリン、チャカチャカ、チャンリンリン、
演歌特有の哀し気なイントロに合わせて、着物姿の戸部典子が厳かにに登場した。
バック・ダンサーを務める五人組は、国民的男性アイドル・ユニット「タイフーン」ではないか。そういえば、コイツらも、伊波ちゃんとメシ食ってたな。
織田信長、真田信繁、伊達政宗、武田信玄、上杉謙信。タイフーンの五人は、それぞれ戦国武将の扮装で踊っているのだ。
そして、戸部典子にスポット・ライトが当たった。
パキパキの顔に、白塗りの化粧を塗りたくったものだから、誰だか分からなくなっているではないか。
「誰や、これは・・・」
蕎麦をすすりながら、兄の貴志君が小さく呟いた。
国営放送のアナウンサー、岩本朋子が情感を込めたナレーションで戸部典子を紹介した。コイツも伊波首相の応援団みたいな奴だ。
「国を愛して
戸部典子さんのデビュー曲、聴いてください、
『歴史萌え』です!」
♪ 戦国武将のーぉ 生きーざまが いつしかあたしにーぃ 取りーついて
♪ 遠い昔のーぉ 夢なれどー 歴史を語って いいですかー
♪ 桶狭間 賤ケ岳 関ヶ原 大阪の陣、
♪ 攻め寄せろー 守り抜けー
♪ 勝つも負けるも 時の運 武将の意地の 見せどころー
♪ あなたとーぉ 萌えたい 歴史萌えー
なんちゅう歌だ!
妹の京子君は顔を引きつらせているではないか。
「歴史萌え」を歌い終えた戸部典子は、緊張がほぐれたのか、いつものにまにま笑いを浮かべて、聴衆に向かって深々とお辞儀した。
喝采が戸部典子を包み込み、会場を飛び交うレーザー光線が舞台に巨大な「愛国」の文字を浮かび上がらせた。
戸部典子の出演シーンは、この年の赤白歌合戦の瞬間最高視聴率四十七・二パーセントを記録した。
大衆が求めているのは、虚構の愛国者の姿なのである。
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エンディング・テーマ 『歴史萌え』 (全日本歴女連盟 推薦曲)
作詞 戸部典子
作曲 高木一優
♪ 天下統一 道遠し 敗れた者へのーぉ 哀惜は
♪
♪ 安土城 小谷城 北ノ庄 佐和山の城
♪ 焼け落ちるー 城なれどー 名こそ惜しんで 戦い抜くー
♪ 我と我が身を
♪ あなたとーぉ 萌えたい 歴史萌えー
戸部典子君、なんだコレは・・・
「将来のアニメ化に備えて、エンディング曲を作ったなり。」
ばか! こんな小説、アニメになるわけないだろ!
「せっかく二番まで作ったのに残念なり。」
「それから、ひとつ忘れていたのだ。」
何だ?
「第一話に登場する、あたしの妹の京子と兄の貴志のお話は『あたしが会社を守るのだ ~二十歳の乙女の経済戦争~』で読めるなりよ!」
読者の皆様、よろしくお願いします。
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