Log-100【人跡未踏よ、踏破せん-壱】

 ウルリカとアクセルは、西門を正面にして左手にそびえる側防塔の内側を巡る螺旋階段を駆け登り、砲撃音が轟く管制室の鉄扉を打ち開く。眺め良く開かれた狭間窓に二門のキャノン砲、そこには四十人近くの工兵が所狭しと忙しなく動いて回り、そしてレンブラントが彼らの陣頭に立ち、指揮を執っていた。


「待たせたわね、父上」


「来たかウルリカ! それにアクセルも戻ったか!」


 弾むような声で二人を迎えるレンブラント。その歓迎にうやうやしく一礼するアクセル。


「はい、旦那様。すぐに戦線復帰致します」


「早速だけど上、借りるわよ」


 人差し指を天井に向けたウルリカは、会話もそこそこに、急かすように本題へと移る。


「ああ、目下パーシーが魔物の群勢を観測している。すぐに撤収させよう」


 彼が伝声管に手を伸ばすと、ウルリカがそれを制止した。


「いや、そのままでいいわ。ちょっとあいつに聞きたいことあるから」


「ん? そうか、分かった。では行ってきなさい、我が娘よ。お前の“とっておき”とやらを見せておくれ」


「ええ、任せて頂戴。人間の底力見せてくれるわ」


 ニヤリと笑い、意気揚々と言い放つウルリカ。勢いそのままに踵を返し、颯爽と管制室を後にした。


「では、僕もこれで。旦那様、行って参ります」


 続いてアクセルが一礼し、すぐさま踵を返して彼女の後を追う。


「……ああ、アクセル。行ってきなさい」


 レンブラントは彼の頬を蝕む黒々とした痣を見て、一抹の不安が過ぎる。あれは、何かに打ち付けて出来るような、そんな痣ではない。あれは、魔術の痕跡――だが、自分が不安になったところで、周囲に伝染させるだけだ。父は飽くまで、柔和な微笑みで見送った。二人に出来るのは、それだけなのだと。そう、自分に言い聞かせて。


 ウルリカとアクセルは再び螺旋階段を駆け上っていく、すると頭上から、肌を刺す隙間風と共に、日の光が差し込んできた。


 頂上に到着すると、木造りの簡素な椅子に座って望遠鏡のレンズに眼を当てつつ、片手で器用に階差演算機を操作しながら無線機で会話をするパーシーが一人。


「取り込み中のところ邪魔するわよ、パーシー」


 ウルリカはそう言って、胸壁の先端に立つ。戦場を眺める彼女に気付くと、パーシーが頭を掻きながら腰を上げた。


「ウルリカ! なーんだ、早く言ってくれれば空けたのにー。これ片すのちょっと時間掛かるよ~?」


「いいのよ、これだけ空間が取れれば。観測機に被害与えないよう最大限努力するわ」


 ウルリカは土煙を上げて迫り来る魔物の群勢を眺めながらそう話す。望遠鏡や演算機といったパーシーの観測機器類を含めても、十六畳ほどの空間は確保できた。


やれやれ、と苦笑いを湛えながら溜息を吐くパーシー。再びウルリカの方に目を遣ると、彼女の他にもう一人の人間を認めた。


「ん? あれ? 君は……アクセル君だっけ? 駐屯兵団の」


「こんにちは、パーシー様。面と向かってお話しするのは初めてでしたね。このような戦時下ではありますが……」


「こんにちは、アクセル君。いいんだよ、こんな時だからね。焦って仕損じる方が却って事態を悪化させるものさ、何だってね」


 パーシーは心の底から楽観を貫こうとしていた。彼の湛えた微笑みが、それを如実に物語っている。


「ところで、聞いていいものか分かんないから聞くんだけど、その痣はどうしたんだい? 確か、行軍中はそんな痣無かったような気がするんだけど」


「ええ……実は、ですね……」


「あたしが気まぐれにぶん殴っただけよ。気にしなくていいわ」


 遠景を望みながら、二人に背を向けて話すウルリカ。そうやって間に割って入る癖は、何かを隠している時のものだ。それに彼女は、一々口を出しても、無闇に手を上げるような人間じゃない。多少の悪態はついても、完璧な悪辣にはなりきれない人間だ。


 パーシーは彼女の心情を察してか、相槌を打つ。


「ふーん。アクセル君、君も厄介に巻き込まれた口なんだね。僕と一緒だね~」


「はい……ですが僕も、いつもウルリカに救われている身ですから。ならせめて、怯えているばかりではいけませんので。だから僕も必死に食らいつきます、ウルリカが足を掛ける階段に」


 アクセルもウルリカの心情を理解していた。己という存在が、何かしらを抱えているということを――そう、彼女は情に絆された程度で、自らに課せられた使命や、自らが定めた心情を曲げるような人間ではない。ならば、この旅路にアクセルという人間が在るのは、必然だった。理由があるから、意味があるから、それを当人が黙して同意しているから、ここにいる。


「殊勝な青年だな~。僕と比べちゃ失礼だったね」


「そうよ、あんたとは違うの。ここにいる理由も立場もね」


 そう言いながら、ウルリカは懐から黒鉄の魔石、縮退魔境エルゴプリズムを取り出した。彼女は黙してその鉄塊を見つめる。


「……え、え? ちょ、ちょっとウルリカ……君のとっておきって、まさか……ソレのことを言ってたのかい?」


「ええ、これがあたしのとっておき。ううん、違うわね。人類のとっておきって奴よ」


 ここまで余裕なくらいに陽気な微笑みを湛えていたパーシーも、これには血の気が引いたようだ。楽観的な彼には珍しく、その顔は蒼白となっていった。


「いや、いや、いやぁ……僕は反対だなぁ、ソレ使うの。第一、君は運用方法を知っているのかい? 史書に記される限りじゃ、有史以来まともに使われた痕跡がないんだよ?」


「当たり前じゃない、見込みなければこんな大博打なんて打つわけないでしょ。文献は読み漁ったし、手順は理解してるし、一度起動したこともあるわ」


「えぇ!? 使ったことあるの!? これを!?」


 メルラン宜しく、驚愕するパーシー。飽くまで彼は工学と魔術の融合を実現する錬金術師。純粋な魔術師でない彼がここまで驚くということは、それだけ脅威的で有名であるということ。そして、少なくとも現時点における錬金術の技術水準では、この縮退魔境エルゴプリズムのリスク制御は不可能だということだった。


「……まあ、ね。正直僕もこの戦力じゃ、時間の問題だとは思っていたんだよ。キャノン砲、榴弾砲、床弩、機関銃、自動小銃、セプテムの科学兵器は粒揃い。だけど、それでも最後はまだまだ魔術や白兵戦が主力さ。なら双方を結ぶ錬金術は? ううん、これもまだ発展途上。ならさ、結局“ソレ”みたいな戦略兵器が必要になるんだよね」


「あら、流石は先端科学者ね、物分かりが良いじゃない。そうよ、科学兵器も錬金術も、まだこの石コロの足下にすら到達してないのよ。そのレベルでも事が済むんならいいわ。でも魔物って連中にはまだ足りない。こんな石コロに頼らなきゃいけない程にはね」


 皮肉を込めた語りと、自嘲の微笑み。人類を背負うと自負するが故に零れる愚痴だった。


「ところでパーシー。あんたに退いて貰うよう言わなかったのは他でもないの。飽和魔石の術式を解析したデータ、頂けないかしら」


 すると、背を向けて話していたウルリカが踵を返し、話題を本題に移す。彼女がパーシーを残した目的、それは魔物が体内に宿す飽和魔石に関する情報について確認する為だったようだ。


 以前、グラティアの夭之大蛇ワカジニノオロチの体内から発見された飽和魔石を垣間見ていた彼女、大凡おおよその雰囲気は脳裏に焼き付いてはいた。だが、正確なデータを閲覧したわけではない。


「ん〜? 飽和魔石のデータ? いやまあ、手元にあるっちゃあるけど、こんなのどう……まあいいや。ちょっと待ってて、分かりやすい指標に変換するから」


 そう言ってパーシーは、笠付きの机に置かれた階差演算機の鍵盤を素早く弾いていく。すると、付随した計器が忙しく動き始め、演算機に挟まったパルプ紙に次々と打刻されていった。完成した一枚の文書を手に取り、ウルリカに手渡した。


「魔石の重量と、それに比例する魔力量は都度変わるから、取り敢えず共通項だけ抜き出したよ。術界は咒術、形式は干渉型。魔力量の閾値、術式難度ともに意外とC。でも、位相周期は驚いたけど、十万節は優に越えていた。属性は当然だけど無属性、対象範囲は……まあ、大雑把に世界全土って思ってもらっていいかな」


 パーシーの説明に、ウルリカは相槌を打って耳を傾けつつ、受け取った文書を静かに読み込む。


 程なくして、頭の中での試行が完了したのか、


「ありがとうパーシー。もう頭の中に刷り込んでおいたから返すわ」


 そう言って、彼から貰った文書を返却する。そして彼女は、再び踵を返し、迫り来る魔物の群勢に対峙した。


「多分、いけると思う。無駄弾打ちたくないからね」


「あ! そういうことかウルリカ! 何でデータなんか欲しいんだって思ったんだよ~」


 彼女の呟いた言葉を切っ掛けに、パーシーは得心したように手を打つ。


「え? パーシー様、どういうことですか? ウルリカは何を?」


 隣で二人の様子を伺っていたアクセルは腑に落ちず、素直に疑問符を投げかける。


「いやいや、簡単な話さ。目標物を追跡する魔術を掛ければ、攻撃を外すことはないね? でも、魔物にも個体差がある。じゃあ、何を追うかって? そう、あの娘は今、目標物の判断材料を手に入れたんだ。連中みんなが仲良く体内に持参する魔石のね」


「ああ、なるほど……追跡ですか」


 アクセルは首肯する。飽和魔石と呼ばれるものは、尋常の魔石とは一線を画すもの。多種多様な魔物の形質から共通項を洗い出すよりも、眼前に迫り来ることごとくの魔物が内包した奇妙な魔石の特異な特徴に狙いを定めた方が、高い精度を期待できる。


「二人とも準備はいい? パーシーは吹き飛ばされないよう離れて。アクセルはあたしの後ろに付いて構えてなさい。それと、念のため匣を横に置いといて頂戴」


 ウルリカの言葉に従い、脇に抱えていた匣を彼女の横に置くアクセル。そして彼女の背後に付き、手を伸ばして、前傾姿勢に構える。


「これより、縮退魔境エルゴプリズムを起動するわッ!」


 ウルリカの喊声かんせいが轟く、両足を開いて仁王立ちとなり、前に伸ばした両手で縮退魔境エルゴプリズムを包み込んだ。

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