Log-075【教授の弟子】

 強い風が吹き荒び、冷気が身体の芯まで冷やす。ウルリカとルイーサは身を縮こませながら、僅かに積もった雪を踏みしだいた。


 二人は黙々と歩を進める。二人が口を閉ざすのは、強風で互いの声が届かないためと、もう一つ理由があった。小路を歩いているにも関わらず、道行く人が殆どいない今の状況にも繋がる理由。それは、


(……見られてるわね)


 鈍色に染まった集合住宅が囲む小路を包んだ、張り詰める空気。ウルリカが横目で辺りを警戒する。分厚い防寒具の内に携えた剣に触れて、魔術を発動する。


「『世を縁取るは、ヒトの解釈。言葉は思想に、形は影に。称呼、命数、等価、天領、因果、清濁、命脈、帰結。認識は本質に非ず、心の所在が世の寄る辺。偶像図解アブストラクト・ボーダー』」


 世の理を解さんとする詩がもたらすものは、透視の魔術。周囲を見渡す彼女の眼には、抽象化された光景が映っていた。それはまるで、チェスの盤上に引かれた罫線の如く、世界は線描による簡略な様相を呈する。壁という壁、仕切りという仕切りは意味を為さず、つまりは筒抜け。建物越しに潜む人間を、彼女は捉えた。


 ウルリカはルイーサに目配せで意思を伝える。彼女もウルリカの言わんとすることを理解したようで、周囲に警戒しつつ、一定の歩調で進んでいく。


(左右の集合住宅の一階にそれぞれ二人ずつ、上階に二人と三人。計九人の“魔術師”か……久しぶりに使ってみようかしら)


 ウルリカは潜んだ人間の一挙手一投足をも捉えていた。それは魔術師特有の、呪文を編む動作。古典的だが今以って強力な、印と呪文の設置型術式、魔法陣の展開だった。それは、限定された空間内という条件下で、高い効力を発揮する魔術の行使を可能とする。


 ウルリカが魔術師たちを捉えた瞬間、空間に歪みが生まれた。二人は既に、潜伏する魔術師たちが展開した魔法陣の渦中に足を踏みれていた。


 降り積もった雪で覆い隠された、幾何学模様が幾重にも折り重なる陣が発光する。そこから電弧が放たれ始め、二人の身体に纏わり付いていく。それは、静電気が肌を刺すような感覚から、次第に鈍重な感覚がのしかかり、身体を蝕んでいく。


 ウルリカは魔法陣を一瞥すると、限定空間内の生体の身動きを封じる、拘束魔術だと判断した。そのまま対処なく魔術行使を許せば、僅か数秒で手足の動きはおろか、呼吸もままならなくなってしまう代物だった。


 だが彼女は、敢えて足を止めて、冷静に、しかし口疾く、呪文を紡ぎ始めた。


「『限定空間区画。物質波動演算。概念連続量測定」


 文節を詠う度、ウルリカの周囲を幾何学的な光芒が張り巡る。


「波動関数崩壊。連続量子離散化。物理事象符号化」


 規則的な集積回路の如き光の筋は、宙空を伝って巨大な立方体の匣を形成した。


「位相空間閾値基底。離散値伝送制御。固有状態演算制御」


 その光の回路が織り成す巨大な匣は、彼女が捕捉した魔術師たちをも取り囲むほどに広がっていく。


「位相励起:類別限定。起動、事象離散化魔術デジタルゲーティア』」


 詠唱が履行される。同時に、ウルリカ達を縛り付ける魔法陣に、綻びが見えた。地面に結ばれた拘束魔術の陣は次第に光を失っていき、身体にのし掛かっていた鈍重な感覚は浮かんでいくように消え、張り詰めた空気は徐々に霧散していく。


 魔術なる神秘の法は、ここに制止した。


「もう魔術は無用よ! さっさと出てきなさい!」


 怒鳴りつけるウルリカの声に、魔術師たちが顔を揃えて建物から現れた。みな一様にフードを目元まで深く被っており、表情は伺えない。


(かなりの手練ね。長い修練を積んだ魔術師だけが纏う魔力の凄みを感じるわ。とはいえ、近接戦闘で後れを取るような相手じゃないわね)


 帯刀する儀仗剣の鯉口に指を添えて密かに警戒しつつも、しかし決してそれを表に出さず、ウルリカは余裕を演じる。


「何のつもりかしら? 幼気いたいけな少女をいたぶって楽しい?」


「ふっ……ご冗談を」


 魔術師たちの先頭に立つ壮年の男が口を開いた。


「いや、は? 冗談じゃないっつの」


 本気で戯れだと感じている男のその口ぶりに腹を立てつつも、ウルリカは何か引っかかるものを感じていた。その男の言葉には、どこか敬意じみた含みがあったからだ。


「……まるであたしを知ってるみたいね。あたしはこれからメルラン教授の知人に会い行くの。あんたたち、その教え子か何かかしら?」


「流石に聡いですね。私共はメルラン教授の弟子でございます。教授の命により、ここを通る刺客を迎え撃つため、潜んでおりました」


「はあ……で、あたしは何かの刺客と間違われて襲われたってわけ?」


「いえ、この小路を通る者は全て、迎え撃つつもりでした。“教授”の研究室に続くこの小路は、認識を侵蝕する闇魔術の結界を張っております。ならば、ここを通る者はみな手練の魔術師。“教授”曰く、戦闘に移行する者が刺客、魔術の行使を打ち消す者がウルリカ様、それ以外は客人だと」


「あいつ、やっぱり頭おかしいわ」


 そう言って、ウルリカは再び男の言葉に引っかかりを覚える。


 彼はメルラン教授の弟子と言った。しかも、この小路は“教授”の研究室に続くとも言った。アウラの大学に籍をおくメルランが、事前にセプテムへと足を運んでいるとは思えない。そもそも当人の口から“付いていくことはできない”と直接聞いている。


「……いや待って、あたしが今から会いに行く相手って、メルラン教授の知人なのよね? あんたの言う“教授”って人物に当たるのよね?」


 目元まで隠したフードの合間から見える男の口角が少し上がる。微笑んでいるようだ。


「ふふ……会えば分かります。既に先客もおりますゆえ、どうぞこちらへ」


 男は踵を返して、ウルリカたちを先導する。他の魔術師たちは再び建物の中に入っていった。


「先客? あたしの知る人物かしら」


 ウルリカは指を鳴らす。彼女の魔術『事象離散化魔術デジタルゲーティア』が形作った光の回路は、描かれた過程を逆巻くように畳まれていく。


「ええ、貴女がたの仲間だと認識しております」


 二人を先導する男は歩きながら、顔を向けてそう言った。

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