Log-006【仲秋の暁】

 ――お前にこの仕事は合わない。


 駐屯兵という仕事は、アクセルにとっては自我同一性にも等しい存在だった。自らこれを望み、その仕事もまた自分を求めている。それは忠義にも似た、侵し難く神聖化された信頼関係、精神の支柱。それを根本から崩される苦しみは、自己の尊厳をただ言葉で否定されるよりも尚、彼にとっては悲痛だった。


 そんな落胆したアクセルを見兼ねて、ジェラルドは少しの沈黙の後、言葉を続けた。


「しかしアクセル、お前にはそれだけ、自己を犠牲にして、何かを守るだけの勇気と矜持を持っている、ということだ。それだけは、他人が真似してできるようなことじゃない」


 アクセルは俯いたまま、耳を傾ける。


「お嬢さんは勇者の功業を成し遂げると、豪語しなさった。そいつは、世界を根底から救うってことだ。アクセル、お前はその救世の勇者を、その身を呈してお守りしろ。命を賭してな」


 そう言って、瞼を閉じる。再び瞼を開けると、神妙な面持ちへと変わっていた。


「いいか、命を賭すって意味を説明するから、しっかり肝に銘じておけよ。使命のためなら命を捨てるって意味じゃない――使命を果たすために死をも覚悟してぶつかる、だから“命を賭ける”なんだよ」


 はっとして、アクセルは頭を上げる。茫然と空を見上げた。


 ――自分はもしかして、覚悟する所在を間違えていたのではないか。ただ死に急いでいたのではないか。


 アクセルにとって人の死とは、物心ついた時から体験している、最も身近な出来事だった。故郷が魔物に襲われ、一人残らず殺されてしまった。友人も、家族も、誰しもが。ただ一人、自分だけが生き残ってしまった。


 ――彼らの死に、追いつこうとしていないか。そんな悲劇を繰り返さないために、この仕事を望んだのではなかったのか。


「アンタって、本当に馬鹿ね。昔から思ってたけど、手段と目的がチグハグなのよ。人が死なないために戦ってるのに、自分が死んじゃってたら世話ないわ。アンタだって、一人の命なのよ? そこを自覚しなさい」


 ウルリカが鋭く、アクセルの矛盾を指摘する。


 ――確かに、その通りだ。


 彼の内面に封じていたはずの破滅衝動と、外面に現れた自己犠牲の体裁。その原義は本来、対極的なもの。要するに、彼はその衝動を、自己犠牲という耳触りの良い言い回しに変えて、成就させようとしていたのだ。


 ――僕は、僕は、


「僕は……愚かだ」


「とっくに知ってるわよ、そんなの。大体この世のどこに聖人君子がいるわけ? アンタ、他人は疎か、自分にも嘘がつけない質なんだから、自己暗示でもない限り我を通すなんてできなかったんでしょ。まったく、とことん不器用よね」


「はっはっはっ! まったくだ! 不器用この上ないな、お前は。これからだ、これから見直していけばいいんだよ」


 ジェラルドは、アクセルの肩に優しく手を遣った。


「故郷の惨事は、本当に辛い経験だったろう。でも、お前は生きている。アクセル、生きているんだよ。生きる権利があるなら、その権利に伴う義務がある。お前は生きて事を成す、義務があるんだよ。こうやって、一つの大きな転換点が現れたのも、その義務がお前に下した使命なんじゃないか? 運命、なんてものかもしれないな」


 ジェラルドは少し臭い事を言ったなと、恥じらいながら頭を掻く。周囲の部下たちが茶々を入れて、場の雰囲気は和み始めた。


「そう……かもしれません。こうやって、改めて考えさせられて、自分の過ちに気付かなければ、僕は間違った認識のまま、命をなげうっていたかもしれません。今を生きる大切な人々がいるのに、この世から逃げようとしていました。罪を、感じていたんです、亡くしてしまった人々に対して。身勝手にも、贖罪しょくざい……のつもりだったのかもしれません」


 ジェラルドは笑いながら、アクセルの頭をくしゃくしゃと荒っぽく撫でる。


「人間――子供なら尚更だが、得てしてそういうもんだ。なにかに罪の意識を持ったり、死の衝動を抱いたりな。それを意図せず感じてしまうから危うい。悲惨な過去を経験したお前なら、尚更だ。だからアクセル、お前は護る者を傍に置け。そうすれば、お前は嫌でも生きなきゃいけなくなる」


「あたしはコイツに護られる道理はないけどね。ただ……必要なだけ」


「はっはっはっ! そりゃあ丁度いい! アクセル、否が応でも死ねなくなったな。お前が死んだら、このお嬢さん、立ち直れなくなるかもしれないぞ?」


 周囲が一斉に噴き出す。ウルリカは堪らず頬を赤らめ、舌打ちをする。アクセルはなぜ自分がウルリカにとって必要なのか、未だに理解ができなかった。


 ただ、自分が死んではいけない。ウルリカにとって、とにかく必要な存在なんだ。アクセルはウルリカのその懇意に対して、深い感慨と感謝の想いを、そして決意を抱く。


「ウルリカ様、僕を必要としてくれて、本当にありがとうございます。いまいち僕を必要とする理由がはっきりと分りませんが、でも必要としてくれるのならば、僕は全身全霊、命を賭してウルリカ様の信頼に応えてみせます!」


 アクセルは快活に小気味良く言って、ウルリカを前にお辞儀をする。その様子に、周囲の男たちまるで求婚の現場に立ち会っているかのように、指笛を吹いて二人を囃し立てる。


「はぁ……男って本当に、馬鹿ばっかりね」


 呆れて頭を抱えるウルリカ。当のアクセルはそんな扱いにまんざらでもない様子で、ただただ現状をあまり理解できていないようだった。その様子に、ウルリカは更に呆れかえって、目眩すら起こしそうになる。


 一頻り大笑いしたジェラルドは、改めて除隊書を正式にアクセルへ手渡す。


「アクセル、四年間という短い間だったが、よくやってきてくれたよ。つくづく危うい奴だったが、よくぞこれまで生き延びてきてくれた。またな……アクセル。生きて、また会おうな」


 そう言って差し出された手を、アクセルは強く握る。ジェラルドはその手から、今までの危うさが抜けてきているのを、漠然と感じ取った。その代わりに、強い生気が漲っている。


「――では行きましょうか、ウルリカ様」


 ウルリカはすかさず、剣の柄でアクセルの鳩尾を打つ。


「だから言ってるでしょ、呼び捨てでいいって。いえ……呼び捨てになさい」


「も、申し訳ありません、ウルリカ様……あっ」


 再び穿たれる鳩尾。二人は最後まで周囲に茶化されながら、その場を後にした。


 既に夜は明け、朱を湛えた暁光が、連山の合間から差し込んでくる。その光に照らされて、関門を離れ行く馬車を、笑顔で見送る兵士たち。ジェラルドは腕を組みながら、まるで我が子の巣立ちを見送るかのような心持ちで、その後背を見据えていた。



―――



 一人の兵士が、不思議そうにジェラルドのもとへ来て、怪訝な顔をして問うた。


「……団長、ところで勇者って、具体的に何しようってんですか?」


「……そこんとこは、俺もよく分からん。そもそも、御伽噺に聞くような勇者なのかも分からんし、その目的も分からん」


「えっ? 何するかも分かってないのに、アクセルを送り出したんすか?」


「こらこら、そんなことは重要じゃない。人の恋路に理屈なんて無粋なものはいらないんだ、そうだろ?」


 そうだろ、と言われて、素直に頷けない兵士たち。ただ、想いは痛いほど分かっていた。


 駐屯兵とは、常に死と隣り合わせ。平均寿命二十五歳という、もはや若者を生贄に捧げているのかと紛うような仕事だった。それゆえ、安易には家庭を築くことさえ叶わない。


 だから、アクセルのような未来ある若者の命を、みすみす失いたくはない。そう、誰もが望んでいたからこそ、本来ならば戦力低減となるはずの彼の門出を、諸手を挙げて祝福したのだ。


 仲秋の暁。紅葉で染まる街道は、茜色の空に照らされて、行路の導を指し示す。それはまるで、叙事詩の始まりを謳うかのように。

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