Log-003【彼女の回想、彼の旅立ち】

 それは遡ること、四年前。


 世界中央に位置する最大の大陸、その南西に大国アウラが存在する。そこは潤沢な資源と穏やかな気候、そして高度な文化と文明によって成り立っていた。千年の長きに渡り繁栄を続けてきた、稀に見る天下泰平の王朝だった。


 アウラの郊外には武の名門ローエングリン家があり、質素ながら堅固な家門を築き上げてきた。現当主レンブラントは四人の優秀な令嬢に恵まれ、しかし癖の強い末裔たちに手を焼きながら、穏やかな人生を送っていた。既に四姉妹のうち三女までを士官として送り出し、残るは末女のウルリカだけとなった。


「ウルリカ様、出発の時刻が近づいております」


 邸宅の二階にあるウルリカの自室には、浮かない顔の彼女と、ハウスキーパーのルイーサが居た。ウルリカは下着姿のまま、化粧台に肘をついて、朝日が差し込む小窓を眺めていた。


「……分かってるわ、ルイーサ」


「本日はアクセルの大学校卒業式でもございます。彼も式に遅れては恥をかきましょう」


「……」


 幼少期のアクセルは、いわゆる被災難民だった。


 魔物の襲来によって故郷は壊滅、現地調査と難民保護のために駆けつけたレンブラントによって引き取られた。以降、彼はローエングリン家の使用人として仕えてきたのだった。


 魔物の蔓延る隣国パスクにどれほど蓋をしても、魔物は必ずや侵入してくる。こればかりは、人の手に余る定め。だが、それでも誰かが蓋の役目を果たさなければならなかった。それこそが、国境駐屯兵と呼ばれる者の職務――


「――アイツ、駐屯兵に回されるんだったっけ?」


「ええ、そのようでございます」


「使用人の分際で、一丁前な職を持つじゃない」


 ウルリカの放った言葉は、一種の皮肉だった。


 パスクに繋がる関門の駐屯兵に必要なものは、実力と覚悟。魔物を相手にできるだけの腕っ節と、我が身を顧みず命を賭す覚悟、ということ。今あるどんな職業の中でも、それだけ飛び抜けて殉職の危険性が高かった。


 しかし、元よりアクセル本人が、敢えてその仕事を望んでいたのだ。


 彼のような使用人などといった平民を下回る身分の者には、そもそも職業選択の自由が無い。但し例外的に、爵位を持った主人の許しに加え、多額の奉納金を国に納めることで、使用人は市民権を獲得でき、職を得ることが出来た。


 そう、アクセルは世間的に見れば、折角の貴重な機会を与えられた立場なのだ。にも関わらず、彼はわざわざ危険な橋を望んだ。


 それは、ローエングリン家は代々、戦士として名を挙げてきた血筋だということに起因する。自らが仕えてきた令嬢たちも皆、軍の士官という大役を帯びて送り出されていった。


 これに羨望したアクセルは、当主レンブラントに懇願。それを許され、後れ馳せながらも謹厳に勉学へと励み、使用人としては異例の、大学校にも通う権利を得たのだった。


 だが、彼には令嬢たちのような優秀さも、そして地位も持ち合わせてはいない。どれほど学業を蓄わえ、高等教育を施されても、その出自ゆえに、高級官僚である士官には決してなれない。


 ならばせめて、駐屯兵という危険を伴う仕事に命を賭して、人々の為、御家の為にありたいと願った。それが、彼の選択――忠誠の証だったのだ。


 その意志は当然、ウルリカも承知していた。


「アイツ、本当にお人好し。愚直なまでに。そんなんじゃ、世の中渡っていけるわけないわ」


「……使用人の美徳の一つに、誠実さがございます。彼は不器用ですが、信頼に値します」


「そんなことぐらい、分かってるわよ。融通が利かない、嘘がつけない、人を簡単に信用する……。ホント、馬鹿の一つ覚えみたいね」


 幼少期のウルリカは、アクセルなど使用人の一人としてしか見ていなかった。彼ほど不器用な人間がいるものかと、軽蔑していた時期すらもあった。


 しかし、ともに学校へと通うようになってからは、使用人としてではなく、いち学徒として接する機会ができた。すると、ウルリカの考え方は変わっていく。欺瞞ぎまんなく、表裏のない彼の人間性は、見知った俗世間とは、あまりにも乖離かいりしていた。


「……世の中、合理だけじゃ割り切れないものね」


 極めて優秀で、実力で並び立つ者のいなかったウルリカには、周囲を理解する必要がなかった。


 彼女が齢十二の頃には、恐れを知らぬ性格と、知る必要のないほどの実力、それに裏打ちされた自信、そして厭世観えんせいかんが極まった結果、非行の道へと身をやつしたこともあった。その当時はまさしく、傲岸不遜ごうがんふそんを絵に描いたかのような少女。


 日の当たる世界と闇に紛れた世界、その両方を見てきたウルリカにとって、アクセルはあまりにも不可解な存在だった。そんな彼を、唯一何よりも理解したいと望んでしまっていた。彼のことを考えると、不思議な感覚に陥ってしまう。そんな自分に、嫌気が差していた。それでも、考えずにはいられない。


「――ウルリカ様ー! そろそろ学校へ参りますよー!」


 玄関先の吹き抜けた一階広間から、アクセルの呼び声が聞こえてきた。それに、まるで呼応するかのように、ウルリカが一つ息を吐く。そこに込められた、複雑にして難解な想いを察したか、ルイーサが囁くように口を開いた。


「……女中風情に、多くを語る資格はございません。ただ、貴女様が今抱かれていらっしゃるお気持ちは――きっと、尊いものでありましょう。とだけ、申し上げておきます」


「……」


 ウルリカは小窓を眺めたまま、首を動かさなかった。それでも、ルイーサの言葉は、何かしらの意味があったらしい。


「そうね、ありがとうルイーサ。子供の駄々に付き合ってくれて。もう着替えて発つわ、先に行ってて頂戴」


「はい、畏まりました」


 ルイーサはその硬い表情を、僅かに崩しながら、部屋を後にする。ウルリカは部屋で独りになったのを確認すると、頬をかすかに伝う涙を拭った。早々と着替えを済まして、部屋を出る。


 朝一番に辟易へきえきするような快活さを見せるアクセル。ウルリカはそれを軽くあしらい、街道に留めた馬車へと向かう。


 三月の少し肌寒い季節、暖かな朝の日差しが身体を優しく包んでいた。


 重かったその足取りは、自然と軽くなる。その歩調は、いつもより早かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る