5-6
空から俯瞰すれば分かるのだが、地面には何か巨大な文字が掘られていた。
文字の形は―――
「
「ルーン…文字、だと……!?」
北欧神話の最高神であるオーディンが世界樹のユグドラシルで九夜にわたり首を吊り、槍を自らの体に突き刺した後、『自らに自らを捧げる』という形で魔術を行使して生死の境をさまよう中、ルーン文字の神秘の法則を手に入れたと詩のエッダにおいて記されている。神話の中で神々がルーン文字を用いて様々な奇跡を起こす記述がそこかしこに散見され、のちに神の温情によって人間にもこの奇跡が与えられたという話は魔術世界においてあまりにも有名だった。
「バカな…そんな巨大な文字、ここで戦闘が始まった時には無かったぞ!? 戦闘の最中に文字を地面に刻む暇も無かったというのに……一体、いつの間に!?」
「あら、そんなの簡単じゃない。地面に刻まれているこの文字はアンタが掘ったものなんだから」
「な…に…ッ!?」
先の戦闘において真理はヴァンドレッドからの攻撃を躱し、捌く事によってやり過ごしていた。
ヴァンドレッドの攻撃ができるだけ地面を抉るように計算しながらだ。
回避した攻撃が思い描いた通りの角度で地面を抉り、捌いた攻撃が計算通りの方向に地面を掘ってくれるように、計算に基づいた防御態勢を取っていたのだ。
「地面に描かれた
「オアァォォォォォォォォォ!!!!」
太陽の光が吸血鬼の皮膚だけでなく筋肉や内臓をも侵していく。
生きたまま五体を焼かれる苦痛に耐えきれず、吸血鬼は苦悶の声を上げる。
「おい、ヴァンドレッド団長をお守りするぞ! あの女を殺せ!!」
戦闘の巻き添えを恐れて戦いを傍観する事に徹していた下級の怪物達がヴァンドレッドの危機を察知して真理に押し寄せる。
身をひるがえし、真也のいる結界の中に入ると彼女は次の魔術を行使する為の呪文の詠唱を開始した。
「
唱えられるは古きギリシャの海を呼び寄せる呪文。
局所的に洪水を起こし、周囲一帯を大量の水で飲み込んでいく魔術である。
世界は現実に存在しないものを自動的に修正するための抑止の力を所持しており、その力を以てして本来存在しない物事を世界は問答無用で消去する。
魔術はその抑止力を時に騙し、時に法則の抜け目を
長い詠唱を口にする、質の良い触媒を用意する、精密な書式で描かれた魔方陣を形成する等、儀式の準備を念入りに行えばそれだけ魔術によって現実を塗り替えられる確率は高くなる。
今回の魔術を行使する為に真理は呪文の詠唱だけでなく、魔方陣の生成も行っていた。
真也と共に遊園地のあちこちを駆け回りながら怪物達を倒していた際に地面へ描いた魔方陣。その数は都合六つ。
陣は真理とヴァンドレッドが戦闘を行っていた領域をぐるりと囲む形で配列されていた。
真理と真也の周囲に怪物達が殺到するも、物理的にも魔術的にも閉鎖された空間に立てこもった二人に手も足も出せない。
呪文の詠唱と共に陣が起動し、彼女の魔力に呼応して淡く輝く。
瞬間―――魔方陣から大量の水が溢れ出し、囲んでいる領域内の全てを呑み込まんと怒涛の勢いで押し寄せていく。
「は!? なんだ、あの洪水は!!?」
「逃げ……!! おぁ……ゴ…!!!」
怪物達が次々と押し寄せる波濤に飲み込まれていく。
怒涛の勢いで流れていく水の行軍はジューサーミキサーのように怪物を引きちぎり、砕いていき、窒息死させていく。
太陽の光に苦悶の声をあげていたヴァンドレッドも成す術もなく飲み込まれていき、
伝承の通りに流れる水に触れた途端、体が溶け始めた。
皮膚、血管、筋繊維、内臓といった生命体を構成するパーツが次々と酸に浸したかのように溶けていく。
二重の弱点を突かれ、怪物のカテゴリーの中でも驚異の不死性を誇る吸血鬼の再生能力をもってしても癒しきれない甚大な損傷を受けてしまう。
それが決定打となり、勝負の趨勢を決めた。
「終わりね。そのままアララトにでも巡礼なさいな。もっとも…神様もアンタみたいな卑しいだけの性根しか持ってない輩が終末の洪水を乗り越えたモノしか辿り着けない聖地に踏み込むなんて、絶対許さないでしょうけど」
皮肉のこもった侮蔑の言葉を遺憾なく敗者であるヴァンドレッドに吐き捨てる。
ヴァンドレッドが死した事によって怪物達は真理を自分よりも強いモノだと認識し、自ら後じさり道を開けてやがては蜘蛛の子を散らすように逃げはじめた。
「天元さん…」
「終わったわ」
気だるげに戦いの終わりを告げた彼女の表情は疲労が蓄積しているのか少し生気が欠けているようにも見えた。
少しぎこちない動作で地面から銀ナイフを引き抜いて結界を解除していく彼女の姿から察するに、先の戦いはギリギリの辛勝といったところだったのだろう。
「天元さん、大丈夫? ケガとかはしてない?」
「平気よ。細かな傷があるだけで大したことないわ。周りにたむろしていた雑魚たちも消えていってくれてるし、あとは拉致された人たちの安否を確認するだけね」
「そうだ、菜乃花は!?」
「まぁ、大丈夫でしょう。この手の結界の仕組みは古今東西、術者が死ねば連鎖的に解除されるっていうのが決まり事だし。あなたの友人も多少体力を消耗しているでしょうけど無事な筈よ」
「そっか…なら良かった…!」
「この遊園地を取り囲むように展開されていた結界も徐々に薄れていっているし、外にいる祖父もじきに駆けつけてくれるでしょうね。脅威はほぼ去ったと見て問題ないし、外にいる部隊と合流しましょう」
天元さんが地面に刺さっていた最後のナイフを引き抜くと同時に、結界が解除されて外に出る事が出来た。
疲れから少しふらついている彼女に肩を貸して支える。
「ちょ、ちょっと…! 一人で歩けるわよ!」
「そんなふらついている状態で言われたところで説得力なんてないよ。イイから、せめてこれくらいはさせてくれ。戦闘では大して役に立てなかったんだからさ」
「…わかったわよ」
照れくささからか、むず痒むように身をよじっていた彼女だが疲れているのは彼女も分かっていた事なので程なくして大人しく僕に肩を貸す事を受け入れた。
「あの吸血鬼はもう倒せたんだよね? ほら、吸血鬼って基本的に不死身だって触れ込みじゃないか」
「吸血鬼は確かに高い不死性の持ち主だけど、それでも体を跡形もなく消滅させられれば流石に復活はできない筈よ。日光と流水は吸血鬼にとっての最大の弱点なんだし、それを同時に突かれて生存できるだなんて考えられないわ」
「そっか……僕はあんまり吸血鬼に詳しくは無いから詳細は分からないけど、君がそう言うなら安心だ」
僕が知らないだけで影の世界ではこのような常識外れなやり取りが当たり前のように行われていたとは思いもしなかった。
自分は裏社会に精通している叔父や灰理さんからある程度、話を聞いていたのでこの世界の真相をある程度把握していると思っていた。
だけどそれは氷山の一角でしかなく、世界のほんの一部分でしかなかったのだと実感した。
これから先の将来、僕はこの世界の中でどれだけの事ができるのだろう?
女の子一人をこのような混沌とした修羅場から守りきれず、その人がひたすら奮闘する様を眺めるしかできないのだろうか。
(…それは嫌だ)
そうだ、そんな無様は願い下げだ。
賢人も言っていた事だが、女の子の前でカッコイイ事するのが男として生きていく醍醐味なんだって。
普段は問題行動ばかり起こしてばかりの破天荒なアイツに心底から共感できた言葉。
それを幻想にするのではなく現実においてキチンと形にするためにも僕はもっと成長したいと願う。
現在がだめでも明日には実現できるかもしれない。
永遠にどこまでも抗い続けるような形で強くなっていく。
せめて僕は自分の周りにある世界を今の姿のまま保てるように、守りたいと強く願った。
こうして今回の怪奇事件の幕は下りる。
ぼろぼろになりながらも僕たちは帰路を辿り、あとは家に帰って眠りにつくだけ。
――――――――――――その筈、だった。
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