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 吸血鬼の哄笑と共に戦場が凶悪なまでの衝撃と烈風が吹き荒れる。

 ヴァンドレッドが拳を振るう度に巨木を薙ぎ倒すかのような突風が巻き起こり、コンクリートで塗装された道路を紙細工のように破砕していく。

 信じ難いが、あの男は生物としての限界を遥かに超えた運動量で動くことができるようだ。

 それも常識という頸木から逸脱した怪物であるが故なのか。

 はたまた世界に悪名を轟かせている吸血鬼が怪物という枠組みの中でも更に規格外であるが故か、真実は分からない。

 そんな凶悪無比な存在を相手取っても彼女は顔色一つ変える事は無い。

 その表情はこの状況は当たり前のものであり、自分にとっては常識の範疇でしかないと言いたげだった。

 蒼い瞳は冬日の凍結した湖の様に静かで、どのような感情が籠っているのか判別がつかない。

 その静けさを余裕と受け取ったのか、ヴァンドレッドの攻撃には些か苛立ちが募っているようだった。

 奴のコンクリートを軽々と抉るような一撃を紙一重で躱し続ける天元さんの動きは、枝垂桜しだれざくらの様に緩やかで儚い美に彩られた動作だった。

 あれほど凄絶な攻撃を前にして平常心を保ちつつ動作を鈍らせないでいられるのは、きっと生まれ持った素養だけではなく、弛まぬ訓練と実戦経験によって培われたものなのだろう。

 その現実を識った時、彼女の潜り抜けてきた修羅場の熾烈さを想像するだけでも固唾を飲まずにはいられない。

 僕も叔父から剣を始めとした様々な武の手解きを施されているものの、あれ程の練度に至るにはどれ程の修行と苦難を乗り越えればいいのか想像し難い。

 生まれ持った才覚を研ぎ上げるにも、相応の環境と意思力が肝心要となる。

 周りの人間がどれだけ修練を強要したところで本人にそれを継続する意思が無ければ鍛錬は続かない。

 体が悲鳴を上げてもそれを時に叱咤し、時に無視してでも鍛錬を続ける。

 それは高い知性を持つ人間という生物には過酷な作業だ。

 知性が高いという事はそれだけ欲も増すという事なのだから。

 もうやめたい、諦めたい、終わりにしたいという気持ちも動物に比べれば大きくなる。

 そんな気持ちに流されることなく、肉体を己が意思の制御下に置いて自分を高めるという作業を成し遂げる。

 言うは易し、行うは難し。

 そんな行いを彼女はどれほど続けて来たのだろう?

 いつか気が遠くなってしまって、自分なんてものが希薄になってしまうのではないだろうか?

 それほどの苦境に、あんな華奢な少女が立たされたという事実を思うと胸が痛む。

 自分の無力さに、腹が立つ―――。

 銀ナイフによって敷設された結界内で悔しさに歯噛みする。

 今はただ、この戦いを観察するしかない。

 


「どうした、小娘ッ!! 躱してばかりで攻めて来ぬとは勝負を投げ出したか? ならば疾く骸となるがいいッ!!」


 強烈な衝撃を伴う猛攻を躱しながら真理は何かを観察しているようだった。

 物理的な側面を眺めているのではなく、もっと奥深くを…概念的な側面を覗き込んでいる。

 真理の瞳は顕微鏡のレンズの様に徹底した透明さを宿しつつあり、それはあらゆる物事の真実を一目で見抜く冷静な観察の眼差しだった。

 そして次の瞬間―――彼女は決定的な答えに辿り着いた。


「あぁ、要するにお前の手品の種は置換魔術と遠隔瞬間移動アポートの組み合わせか」


「なッ……!」


 彼女の言葉にヴァンドレッドの表情が凍り付いた。

 彼女の口にした言葉に僕は首を傾げるしかない。

 置換魔術に遠隔瞬間移動アポート


「バカな! 貴様…何故その仕組みを!?」


「別に? あれだけヒントをペラペラ口に出してくれてたから、それらの要素パーツを組み合わせて推測と推理で答えを出しただけよ。」


 なかば呆れも混じった言葉を口にしながら敵の真実を暴いていく真理の在り方はは、まるで触れたものの神経を恐怖で凍りつかせる氷で出来たナイフの様だった。


「お前の内臓なかみはココではないどこかに保管されているけど生命活動は維持している。そうなれば別の領域に存在している心臓から血液を体内に循環させ続ける為に必要な魔術が使われているはずよ。アナタはココではないどこかに保管されている心臓から血液を輸血し続けている。遠隔にある物質を瞬間移動させる魔術を行使し続けることによってね。そうなればもう、答えは自ずと出てくるわ。置換魔術と遠隔瞬間移動アポートを併用すれば地球の裏側に自分の心臓が保管されていようと理論上は輸血が可能でしょう」


 淀みなく、スルスルと流れるようにヴァンドレッドの体内の神秘を解き明かしていく真理。

 彼女の冷静な指摘の言葉を耳にする度に、ヴァンドレッドは臓腑を鷲掴みにされたかのような恐怖と寒気を覚える。

 真理の指摘は真実、的を射ていた。

 ヴァンドレッドの肉体に施された神秘の謎はつまるところ弱点の摘出だ。

 吸血鬼にとっての弱点の一つは心臓。

 白木の杭、聖なる十字架、銀のナイフ。

 種別は違えど、これらを心臓や脳に打ち込まれることで吸血鬼は絶命するという伝承がある。

 数百年に渡って語り継がれる伝説と化す…それ程までに吸血鬼にとって心臓とは重重要な位置なのだろう。

 おそらく血液に深い所縁のある怪物であるが故に血を作り、体内に送り出す機構を持った心臓が重大な要素として添えられたのだろう。

 だが、弱点それを何の処置もせずに放っておく程、ヴァンドレッドも愚かではなかった。

 怪物の中でも上位の種に位置づけされる程の強大な力を持つ吸血鬼になれたは良いものの、その代償として多くの弱点を抱える事になってしまった要素は見逃すわけにもいかなかった。

 日光、流水、神聖な物。

 それら全てをいずれは克服して、より更なる進化を遂げたいと思っていた。

 故に彼は主の盟友に頼み、ある魔術を施してもらった。

 それが置換魔術と遠隔瞬間移動アポートの術式だった。


「もっとも、そんなバカげた理論を実行に移す輩がいるだなんて思ってもみなかったけど。脳と心臓……吸血鬼であれ、人間であれ、臓器の中でも最重要とされる内臓器官を摘出して、あまつさえ別の領域に保管してそこから輸血を続ける…。置換魔術自体は簡単な魔術だけど、高等魔術の一種である遠隔瞬間移動アポートは操作が難しく、非常に神経を削ると言われているわ。それを長時間に渡って行使し続けるのはコスト的にも非常にシビアな筈よ」


 遠隔瞬間移動アポートの魔術は便利である反面、使用の際には多大な魔力と精密な操作を求められる。

 その際に重要視されるのが距離の長さと目標地点の三次元空間における座標位置だ。

 距離の長さが増せば増すほど使用する際に掛かる魔力コストは膨らむ事はもちろん、目標地点にどれだけ正確に目標物を送る事ができるのかが重要視される。

 出発地点であるA地点から目標地点であるB地点に移動させる際、もしも目標地点の座標位置を誤って算出し、術式を発動しようものならコンクリートの壁の中に目標物を送ってしまうという事にもなりかねない。

 それ程の危険が伴う魔術は到底一人では完遂できない大規模な作業となる。大魔術アルス・マグナは基本的に複数人で執り行われるものだ。

 術者の力量や取り扱う魔術の格にもよるが少なければ数人、多ければ数百人から数千人、事と次第によっては数万人規模の場合もあるという。

 長期的な高等魔術を使用する以上、魔術を起動させるためのエネルギー源である魔力の供給切れを防ぐためにも、おそらく数十人単位でこの魔術を使用していると見るのが妥当だろう。

 だとすれば、こいつには協力者がいる筈だ。

 膨大な魔力を供給し続け、更には術式を展開させている者が。

 元より東京を皮切りに、この国を沈めようとしている連中だ。

 それ相応に大規模な組織、団体が背後にいる事が予想される。


「……いやはや、まさか貴様のような齢十数の小娘に我が体内に施された魔術法則を見破られるとはな。全くもって予想の範疇外だとも。これは認識を改めなくてはな……。」


 己が体内に抱えていた神秘の真実を暴かれ、たじろいでいたヴァンドレッドだが、それでも彼の心は未だ折れてはおらず相も変わらず高慢で不遜な態度は健在だった。


「私の体に施された魔術式の正体は先の君の言葉通りの代物だとも!! ……だが、それで? 私の魔術のカラクリを知ったところで君に何ができるというのかね? 術を見破ることはできても対処はできないだろう?」


 挑発の意か、ヴァンドレッドは顔を下から掬い上げるようにして真理を見上げる。

 あからさまな悪意を隠そうともせず、泥にも似た汚汁を新雪にぶちまけるかの如き醜い所作。

 他者を貶め、嬲り、辱める事を心から楽しんでいる者の表情カオだ。


(―――やめろ。そんな汚らしいモノが彼女に向けられていると、)


 それだけで聖条真也ボクの頭が怒りで沸騰する。


「間抜け」


 ヴァンドレッドからの悪意に満ちた挑発に真理は一瞥をくれて、心底から下らない輩だと侮蔑する。

 そして――――――

「だからアンタはここで死ぬのよ、三下」


 


シゲル


 真理が一言を呟いた瞬間、彼女とヴァンドレッドを包むように強烈な光が彼らの足元から発生した。


「ぐっ…ガッ……アァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」


 同時にヴァンドレッドが悲鳴を上げる。

 眩い光で視認しづらいが、よく見てみると


「バカな……なぜ、そん…なところ…から………!!!」


 ヴァンドレッド忌々しく口にしたのは彼にとっての天敵の一つ。

 摩訶不思議な事に吸血鬼である彼が最も忌み嫌うモノの一つである太陽光が彼らの足元から燦然と輝きを放っていた。






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