5-4
死体から鮮血が流れ出る。
地面を染め上げる赤はまるで草原に放った火のように何の遠慮もなく地を侵していく。
真理は広がる赤色に動揺もせず、こんなものは日常風景だと言わんばかりに泰山自若とした風体を崩さない。
彼女の言に依れば、ボスであるヴァンドレッドが倒れれば怪物達は統制を保てなくなり、方々へと散っていくという話だった。
だが―――
「妙だわ……連中、どうして退かないのかしら?」
怪物達は一向に撤退する気配を見せない。
此方を見る目には怯えや恐怖というものが無い。
ニタニタと不気味に薄笑う姿には余裕さえ漂っている。
どういうことだろう、これは?
「天元さん、これって…」
「気を緩めないで、何か変だわ。連中はまだ何か奥の手でも隠し持っているのかもしれない」
「奥の手って…なんだろう?」
「わからないわ…。親玉である吸血鬼を倒されたっていうのに、コイツらのこの余裕はいったいどこから来るのかしら? 普通、吸血鬼ほどの上位種が倒されれば下級の化物は恐怖に駆られて逃げ出す筈なんだけど」
真理は腑に落ちないと怪訝に表情を曇らせながら周囲の怪物達を警戒する。
怪物は人間に比べて強力な力を持つが故に力押しで物事を押し切る傾向が強いのだが、それでも頭を使えないという訳ではない。
先の言葉にあった通り連中が何かしらの奥の手を隠し持っているのなら、その一手を更に盤石なものにする為に此方に襲い掛かってくれば良いものを…連中は此方を見やるばかりで何もしてくる気配がない。
怪物達の不合理な行動に不気味な気配を感じて警戒心を高める真理。
だが―――
「天元さん!!!」
「―――ッ!」
真也の視線の先にあるものを真理は見てしまった。
一刀のもとに両断され、二つの肉塊へと泣き別れた吸血鬼の死体が独りでに立ち上がる姿を。
縦に半分に割られた肉体。顔は歪な笑みを浮かべて邪な気配がこれでもかと浮き彫りになっている。
こちらの事を愚か者め、と嘲っているのが見て取れた。
「バカ! そこから早くどきなさい!!」
天元さんが叫ぶと同時に服の襟を掴んで強引に後方へと跳躍した。
何の前触れもなく数メートルを一気に移動したせいで襟が縄の様に首を締めあげてしまい、呼吸が止まってしまう。
ゲホゲホと嘔吐きながら吸血鬼に目を向ければ、
「なんなんだ、あれは…?」
切断面が融合し、傷の再生が始まっているではないか。
通常の生き物なら頭部から唐竹割の要領で真っ二つに切断されたなら脳が破損して即死する。
それがこの地球上で生きている生物が弁えている最低限の
だがその法則を目の前の吸血鬼はケタケタと嘲笑いながら蹂躙している。
そんなものを何故、順守しないといけないのだ? 阿呆か。貴様らの様な過当な生命の枠に当て嵌めてくれるなと云わんばかりに傲岸に奔放に世界の法を踏みにじっている。
「どうなっているの…? いくら吸血鬼でも脳を破壊されれば死に至る筈よ。ましてこれは欠片とはいえども神の聖性を宿した武器よ? それで傷つけられて平然としていられる吸血鬼なんている筈が無いわ」
吸血鬼は強大な力を持っているが故に多くの弱点を抱えている生き物である。
日光、流水、銀、白木、聖性の伴う道具など。
とりわけ十字架に弱いと言われる理由には諸説あるが、十字架には聖なる力を宿らせ保持する機能が他の形状の象徴物に比べて桁が違うという理論が存在する。
(神の聖性が宿る言葉が並んだ聖書。その音読だけでも吸血鬼からすれば耳から体を溶かす劇薬を流し込まれるも同然の脅威だといわれているのに…。神の力はそれだけ吸血鬼にとっては鬼門の筈…。なのに、どうしてコイツは?)
「あぁ、やはりその武器は神の意に依って鍛えられた代物か。確かにそこらの
吸血鬼は既に接合しかけている頭部を両手で掴んで傷口を両側に開き、頭の中身を見せつけてくる。
そこには…
「なんだ…? 脳が…無い…? 空っぽなのか…?」
「……へぇ、手品にしては見ごたえがあるわね? どんな種があればそんな芸当ができるの?」
脳髄の無い空っぽの頭。
「単純明快な事だとも、私の脳はココ以外のどこかに保管されているのだよ」
告げられた真実に愕然とする。
生物が思考する為に必要な器官が根こそぎ無い状態で何故この男は精神活動を続けていられるのか?
奴の言動や行動を鑑みてみるに間違いなく知性が働いている。
そこに疑いは無く、ならば矛盾が生じてしまう。
脳が無いのに、どうやって意識を保っていられるというんだ?
「あぁ…そうそう、心臓も無いぞ? 白木の杭や銀のナイフで刺されようものなら堪らんからね? 大切に大切に保管させてもらっているとも」
ククク、と含み笑いこちらを嬲るその様は実に愉し気で。
こちらとしては実に腹立だしい事この上ない悪意に満ちた
「アハハハハ!! 残念だったねぇ!! 私が主より賜った奇跡によってこの肉体に弱点と呼べるモノは無くなったのさ! おかげで一方的な虐殺を施す事に更に没頭することができる! 主と盟友殿への感謝と畏敬の念に堪えぬよ!」
「……」
告げられた残酷な真実に愕然とする。
僕もおとぎ話で吸血鬼が抱えている弱点については知っている。
もしも、それらの要素が対策されているとなればこちらに果たして勝機はあるのか?
一抹の不安から僕は天元さんの横顔に目を向ける。
彼女はヴァンドレッドの下劣な発言に沈黙している。
いや、これは考え込んでいるのか…?
今の彼女はまるで何か難しい問題を前にして果敢に解答を模索している賢者のような風体だった。
哄笑と共に突撃してくるヴァンドレッドに真理が正面に立ちはだかる。
懐から取り出すのは銀のナイフ、都合七本。
そのナイフを用いて応戦しようという事か。
「
祈りの言葉と共に宙に投げ出されたナイフの群れ。
ヴァンドレッドに向かって投擲されたのかと思い、奴に視線を向けるが、
「え? なッ!?」
ナイフは僕の周囲をぐるりと囲むように地面に突き刺さり、独りでに動いて地面を円状に削りながら移動する。
ナイフの動きが止まると同時に地面に天使の羽を彷彿とさせる文様が浮かび上がった。
同時に僕は周囲の空間を何かに囲まれる感覚があった。
これは、まさか―――!!
「ほう? その少年を結界に閉じ込めてどうするつもりかね?」
「……」
ヴァンドレッドの指摘に天元さんは全く応じず、腰に吊るした鞘から短剣を引き抜く。
やはり、彼女は僕だけを結界に閉じ込めて、僕の安全だけを確保したんだ―――!
「天元さん! 待ってくれ、僕も一緒に!!」
この状況が語るのはつまるところ―――
「あなたの相手は私がする。彼が出ばってくるまでもなく、私一人でもあなたを始末出来るわ」
天元真理が、たった一人で眼前の怪物を相手取るという破滅的な展開へと突入するという事だった。
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