5-3
「いったい何をやっている!! まだ奴らを排除できないのか!!?」
件の少年少女が行方を晦ませてから、二時間近くが経過しようとしていた。
二人を発見したという報告は受けているものの、報告が入る度に部隊が全滅しているという有り様だ。
少年の方はともかく、金髪の少女を侮った事は失敗だったかもしれない。
下級とはいえ一息で数体の怪物を屠る武の技量。
おそらく、彼女は何度も化け物との戦いを潜り抜けてきた対人外の達人なのだろう。
たかだか四半世紀も生きていない小娘ごときに渾身の態勢で挑まなければならないかもしれない…ヴァンドレッドはそんな屈辱的な展開を予想して更に苛立ちを募らせる。
「各々に標的を発見したら決して手を出すなと伝えろ。私が直接、叩く」
「りょ、了解しました」
周囲に凶念を垂れ流し、それを浴びて萎縮する部下を捨て置き今後の策を講じる。
人間ごときに、ここまで追い込まれているという事実。
主より賜った安易な王命を未だ果たせてない事実。
化物としての矜持を年若い子供風情に翻弄されているという事実。
それらの要素が次々と自身の裡に澱みを生み出していく。
家の権威を復興させるという悲願を達成する為に費やしてきた時間と労力も決して安くなければ軽くもない。
復興を成し遂げたとて、今度は家の維持と権力の向上に勤しまなければならない。
その手間暇を鑑みれば、こんなところで躓くなどあってはならないのだ。
欧州世界は政治的にも物理的にも複雑怪奇極まりない。
EU連合に所属していた世界に覇を唱えた大英帝国の力を以てしても完全なコントロールが叶わなかった事から、その難易度の高さが伺える。
複数の国家がひしめき合い、水面下で火花を散らしながらも競合している。
術数権謀、裏切り、不正取引、その他にも様々な悪事が執り行われており、古くからヨーロッパは火薬庫扱いされているのも実情だった。
昨今は中国のヨーロッパ企業と土地の買収が一際目立つ。
あのような人畜風情に我が祖国を闊歩されるなど冗談ではない。
必ず欧州から汚濁を一掃しなければ我が国をはじめ西洋社会は傾き、自滅へと向かってしまう。
(私は絶対に家の復権を果たし、故国に栄光をもたらす…! 欧州圏の政争に巻き込まれ、諸外国に翻弄され続け、所詮はヨーロッパを構成する一国家でしかないなどと…そのような揶揄、罵詈雑言を受けたままで終わるなど断じて認めん…! 諸外国を征し、欧州の統治を私の手で為すのだ! 早急にあの小僧と小娘を
彼のお方は寛大であると同時に失敗したモノに対する対応は苛烈を極める。
死ぬだけならまだ良い方だ。
魂を強制的に変異させられて、全く別の存在として変生させられてしまう可能性も十分にある。
そうなれば家の復興も故国への返り咲きも何もない。
私は私の手によって私の家が復権する様を見なければ意味を感じられない。
そのようなおぞましい空虚、味わってなるものか…!
「報告です! 現在追跡中の標的を発見したそうです」
思案に没頭する最中、部下からの報告で我に帰る。
目当てのモノを見つけ、高揚する心を押さえつけながら部下の報告に耳を傾ける。
「そうか、では私が行く。連中の様子に何か特別な変化は?」
「それが……標的は小僧だけしかいないとの事です。小娘の方は周囲を探索しても見つからないとの事でして」
「ほう…?」
部下からの報告にヴァンドレッドは思わず怪訝な表情を浮かべる。
あの少年は一般人だ。
特別な才覚も神の祝福を受けたわけでもなければ悪魔の呪いを受けているわけでもなし。
普通、平凡、一般的という概念が人の形をして歩いているようなものだ。
そんな凡俗が一人だけでこの怪異現象に身を置いているという事は…。
(大方、切り捨てられたか)
あの少女に見切りをつけられて放置されたのだろう。
この大規模な怪奇現象の渦中に身を置いている以上、件の少女とていつまでも足手まといを連れながら怪物の群れと戦闘を続けるのは困難だったという事だろう。
あの少女が身軽になったという事実は面倒だが、仕方がない。
今は少年の方だけでも仕留めてしまうとしよう。
血を吸った後は自身の手ごまとして件の少女にぶつけてやろう。
人間は同胞に刃を向けると、途端に動きが鈍る傾向にある。
少年少女に翻弄されたという事実の前に鬱屈としていた気持ちもこれで少しは晴れるだろう。
殺気を放ちながらヴァンドレッドは部下の案内に従って獲物が待つ場へ向かっていく。
吸血鬼としての渇きを、若人の瑞々しい血液で潤すために。
□
そうして、少年との邂逅を果たす。
ただ化け物に食い物にされるしか能のない下等な生命。
改めて見るに、特別な才覚も加護も持たない普通の凡人だ。
しかも、まだ成人すらしてない。
このような若輩に半数近くの同胞が滅ぼされた事実に内面で再び激昂の噴火が炸裂する。
視界が赫怒の赤で染まりそうになるも、理性を総動員して落ち着かせる。
「たかだか餌の分際でよくも我々を虚仮にしてくれた。その報いは数多の激痛を以て返礼するとしよう」
憤怒を滲ませた高慢な発言。
「何か言い残すことは? 遺言があるなら聞いてやろう」
それに対して少年は動じる事無く朴訥な問いかけをしてきた。
「あんたの名前を知りたい」
「あぁ…そういえば、まだ君に名を告げていなかったね。これは失礼をした。貴族にあるまじき無作法だ……許されよ。―――私の名はヴァンドレッド=S=ツェペシュ。ルーマニアの貴族にして元魔術師の吸血鬼だ」
「魔術師……? それに、吸血鬼……だって?」
「その通り。この極東の田舎国家でも名前くらいは聞いたことがあるだろう? 夜の君主。血を啜る鬼。他者の血を吸うことで吸った相手を同じ吸血鬼に変えていく不死身の怪物。人間の道理を踏み躙る人類にとっての敵の一つさ。我々がココを襲った理由については最初に言った筈だ。これは然る御方からの王命でね。この国の首都を落とすためのエネルギー補給の為にも結界を張ってやるから、その中で人間共を盛大に食い散らかせとな。一般人を標的にした事にも特別な意味はないさ。ただ単に食い物にしやすいからといったところだ」
「……お前の目的は他にもある筈だ」
「ほう」
思いもよらぬ鋭い指摘に感嘆の息を漏らす。
この少年、なかなかどうして。鈍そうな見た目に反して鋭いところがある。
「何故、そう思ったのかね?」
「強いて言うなら直感だ。お前がこの事態を重要視しているのは見て取れたが、どこか心ここに在らずといった風情でもあった。大量の人死にという大犯罪を起こす者の気配にしてはなんだか奇妙だな、と感じさせる程度には切迫していないというか……必死さが欠けている様に見えた」
「確かに君の指摘通り、私には私だけの個人的な目的がある」
獲物が思っていたよりも嬲り甲斐のある活きの良さを有していた事実に、気分が高揚してきた。
少し興が乗ってきたので、もう少しだけ戯れてやろう。
「私の目的は、我がツェペシュ家によって欧州世界を破壊する事だ。欧州の腐敗した在り方を私の手で壊すのだよ」
「欧州の破壊…?」
「そう、現在のヨーロッパは平和に身を置くあまり腐っている。
「その為にここにいる人々を皆殺しにするっていうのか? それはどういう理屈だ? 欧州に住んでいる者であれ、日本に住んでいる者であれ、等しくどちらも人であることに変わりはないだろう!」
「その通りだが? それがなんだというのかね?」
「なんだと……?」
「言った筈だ。人選に意味はないと。我々がここを狩り場に選んだのは、ただ単にここが我々にとって都合がよかったというだけさ。それともなにかね? 君達は何がしかの選考基準に達していたから選ばれたとでも思っていたのか? 思い上がりも甚だしい。己が領分を弁えろよ、東洋の猿風情が」
心からの悪意と嫌悪を臆面もなく口から吐き捨てるヴァンドレッド。
表情には差別をした事に対する悔恨など全く見受けられない。
その在り方に基也は眉を顰める。
こんな者が貴族を名乗っている荒唐無稽なまでの醜悪さに。
「欧州を壊した後、アンタはそこに生き残っている人達をどうするんだ? 手厚く扱うっていうのか?」
「あぁ…勿論。家畜はしっかりと管理してやらねば鮮度が落ちてしまうからな。旨い食事にありつくためにも相応の対価は必要だからね。牛や鳥、豚と同じ扱いぐらいはしてやろうさ」
その言葉が真也にとっては決定的だった。
もうこの男とは何があっても相容れないという認識を抱く。
この男は自分を貴族だと言っていた。
それが全くの見当違いでしかないという事実を突きつけなければ我慢ならなかった。
「……あぁ、なんて無様」
「なに……?」
「お前は無様だと、そう言ったんだ」
いぶしかむ吸血鬼に基也は毅然と向き合い、言い放つ。
「お前は貴族なんかじゃない。無法地帯で悪行を生業とする
自身の言葉で青筋だった吸血鬼に物怖じせず、基也は冷静な指摘を続ける。
「お前はただ単に自身の気に入らないものに苛立って暴れまわっているだけの餓鬼だ。本当の貴族っていうのは、人々から尊敬を以て讃えられるような生き様を体現して民草を導いていくものだ。」
卑しさも俗っぽさもない、真に尊きモノには誰もがその人を支えようと集うものだ。
苦境に立っても退くことなく、毅然とした態度で歩み続け、人々が望むような未来を獲得する為に
自分の幸福の為ではなく、誰かの幸福の為に生きて。
その果てに死に至る巡礼の旅人。
それは、どこまでも辛く、苦しく、報われない。
空っぽの心を引きずって進み続ける強行軍のようだ。
その苦痛にきっと多くの人は耐えられない。
だが、それでも逃げずに前と上を向いて立ち向かって行くからこそ…その姿には無謬の尊さが宿るのではないか。
諸人はそういった栄えある生き様に涙して憧れる。
いつかは自分も斯く在りたいと、そう願うのだ。
「善性を貫いた先に死を甘受する。一言で言えば
「貴様……!」
「図星を突かれたあげくに逆上か。クズの上に小物とはね、いよいよ貴族の風上にも置けないな。日本国内だったら庶民にすらなれないぞ、アンタ。人々から石ぶつけられて国外に叩き出されるのがオチだろうさ」
さも呆れたと言わんばかりの表情をこれでもかと作る。
今のところ、奴の気配はこちらに釘付けになっている。
このままいけば事は上手く運べるだろう。
あとは彼女の決断次第だ。
「あんたみたいな小物に日本人の血肉は勿体なくてくれてやれないね。さっさと回れ右して自国の片田舎でドブネズミの汚い血でも啜ってろ。あんたみたいな他者を吸い殺すしか能のない血吸い虫にはお似合いだよ」
「―――言いたい事は…それだけか、小僧……!!!」
激高した自称貴族の吸血鬼が襲い掛かってくる。
生き物の範疇を超えた速度で迫るその様はまるで夜空がそぞろ歩いて侵略してくるかのようだった。
その歩みが止まった時こそ僕の命が潰える瞬間なのだろう。
それが、現実に叶えばの話だが。
「―――ッ! なに!?」
自身の頭上より迫る殺気に気づき視線を己が頭上に向けるヴァンドレッド。
だが、もう遅い。
彼が頭上に目を向けると同時に黄金の一閃が彼の体を断ち切った。
縦一文字に斬断された吸血鬼。
切断面から血が噴き出し、周囲を朱に染め上げる中で吸血鬼を討った少女が鬱陶しそうに返り血を拭っていた。
高慢な物言いと態度とは裏腹に呆気ない絶命を遂げたヴァンドレッド。
それに対して何の感慨もなく目を向ける事さえせず、天元真理が吸血鬼の死体の傍で佇んでいた。
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