5-2
星海の深奥。世界の中枢。宇宙の深淵とも呼べる最果ての領域。
物質的な質量を無くし、幻想と化した者しか辿り着けない世界。
冥界、彼岸、あの世、幽世。地上にて様々な呼び名がある幻想の領域。
その一角に綺羅星の光さえも届かない暗く深遠な領域があった。
太陽でさえもこの暗がりの前では何も照らす事は叶わなずに暗闇に飲み込まれていく、奈落めいた陰の領域。
そこに、ポツリと一つの存在が坐していた。
深遠の中でもハッキリと輪郭を保ちながら茫洋と漂うその姿は、星の海を漂う月の様。
深い水底―――あるいは夜空を彷彿とさせるボロボロの藍いローブを羽織り、陰の気配を漂わせ、その正体は判然としない。
男? 女? 老人? 子供?
有機物? 無機物?
奈落に住まう死者の様でありながら、地上で活発に生きている生者の様でもあった。
どれでもあって、どれでもない———見る者に奇妙な確信を抱かせる魔訶不思議な空気を纏った正体不明の存在。
どのような仕組みか、ソレは内界に地球上の様子を全て把握する性質が備わっており、現在も地球で起きている数多の出来事を常に認識していた。
その中でも特に注意しているのは極東の島国日本、首都東京近辺にある遊園地で発生した怪夜、ワイルドハント。そこで魑魅魍魎と戦う二人の少年少女———聖条真也と天元真理の様子だった。
「さて、あなたはこの後の展開をどう予想されます?」
誰にともなく向けられた想念の波動。
彼の傍には誰もいない。だがそれは、まるで長年連れ添った隣人に語り掛けるような
「予想とは的外れな言葉だな。貴様も分かっている筈だ。私は既に、この先の展開を識っている事を」
問いに返ってきた声には静かでありながらも尋常ではない覇気が籠っていた。
恒星はおろか既存の
この世の全てを愛でるだけの善性を持ちながら、この世の全てを憎む悪性も宿した魂。
おおよそ、人という枠組みはおろか生物としても規格外の性質を持つ稀代の化物の放つ波動は、その存在を認識しただけで灰も残さず身も心も魂も焼き尽くしてしまうだろう。
しかしそれでも
今この時も確かに、魂魄総身を焼かれて傷を負い続けているというのに。
「なぁに……貴方も退屈していることでしょうから、一つ賭けでもしてみようかと思いましてね。こうしてお誘いしてみたのですよ」
「
「確かに、これでは戯れにもなりませんね。いや、私も退屈が過ぎたので些か悪ふざけがしたくなったのですよ。どうかお許しを」
「構わんさ。貴様の胸の内、
静かに
どこか感慨深く、長い間放置した
深く、深く、己が内に生じた感情を味わっている。
歓喜、愉悦、憎悪、そして――――――憤怒だった。
「聖条真也……あれは私の後継者になれる素養を持っている。ならばその成長の過程は相応に見ごたえがあるとは思わんか?」
「それも…そうですね。では…それを肴にして、しばし観覧に興じるとしましょう。彼らの奮闘が我らの心を震わせる程に見応えのある活躍ぶりであると願いながら」
そうして太陽と月は地上を眺める。
そこに生じた二つの宇宙の真相を識る為に。
□
天元さんと協力して僕達は都合六回の討伐に成功した。
銀ナイフを用いた結界の中に怪物を閉じ込めて、彼女が作成した毒ガスを密閉空間に放り込んで毒殺していく。
正確な数を把握しているわけではないが、おおよそ四〇〇体は仕留めたのではないだろうか。
振り返ると刀身に付着した怪物の血液を振り払っていた。
彼女の所持する剣、その出来栄えに気づけば僕は先ほどから無意識の内に目を奪われてしまっていた。
僕も叔父から剣の指南を受けている以上、ある程度の刀剣に関する知識も叩きこまれている。
天元さんが持つ剣を一言で表すなら剣の形に固めた星空だ。鮮やかな青と金をベースにして施されている装飾は華やかでありながらしかし、下品にはならないように慎ましく纏めてある。
刀身に嵌め込まれた透明な宝石は宇宙に散らばる数多の星を凝縮したかのような輝きを放っている。見る者を魅了して離さない煌びやかな星の光と、それを抱擁する
「この剣を褒めたところで何もでないわよ」
「え? 僕、なにも言ってないんだけど…」
「言葉にしなくても顔に出てるわ。さっきからチラチラと剣に視線を移しがちなんだから……分かりやすいのよ、アナタ」
自分の内側を見透かされるのは何だか気恥ずかしい。
そんなに僕は分かりやすいのかな?
自分でもそれなりに複雑な性格をしていると自負しているんだけど…。
「とりあえず、これが最後のナイフだよ。全部回収し終わったけど、次はどこにいくの?」
「そうね、じゃあ敵陣営の中枢に行きましょうか」
「…え?」
いずれこうなるのは作戦会議の際に分かってはいたけど、やはり一瞬だけ呆気に取られてしまう。
その程度には勇気と覚悟の必要とされる作戦なのだから。
「いよいよ、か…今が好機ってことかな?」
「ええ、このまま連中の気配が密集している場所に向かうわ。向こうもそろそろ、こちらの驚異の度合いに気づいて本腰を入れて攻めてくる頃合いよ。おそらく、あの男がやって来るわ」
ここから先は怪物達が連携をとって襲ってきてもおかしくないらしい。
指揮官の役割を持つあの男が前線にやってくる可能性も十分にあるとのことだ。
「あれから時間にして約一時間半、倒した怪物の数はだいたい四〇〇体程。向こうの戦力の半数近くを仕留めた事になるから、向こうも焦ってこちらを警戒し始める。そうなると今までのようなペースで敵を倒していくことは難しくなるわ。これまで私達が奴らをここまで効率良く狩れたのは奴らに数の差に依る油断があったから。でも、それももう通用しなくなる頃合いよ」
「あのローブの男を仕留めたら怪物達は僕らを襲撃するのを諦めるのかな?」
「指揮官であるあの男がいなくなれば怪物達も戦意を失って散り散りになるでしょうね。
彼女の話では怪物達を指揮していたあの男が直接前線に出てきて、僕達を仕留めにかかるらしく、そこにこそ勝機があるそうだ。
多くの手勢を失った敵勢力は指揮官によってより厳格に統率される。そうすれば手下の指揮に集中する敵の首魁にも隙ができる。
無論、奴の周囲にも護衛が配置されているだろうが、それでも精々十体前後といったところだろうと天元さんは語る。
「化物は西洋東洋問わずに自分達よりも力が弱い存在である人間を侮っている傾向があるわ。自分よりも下等だと見下している相手に良いように翻弄されるのは連中のプライドが許さないでしょうね。特にあの男、高慢でプライドが高そうな匂いが漂ってたし。我慢が利かなくなって激高していてもおかしくないわ。私の読み通り、冷静さを欠いていてくれれば上場よ。勝率は益々上がるわ」
今ならば敵の意表を突く事で相手を暗殺できる可能性も出てきているそうだ。
こちらの武装も残りが僅かとなっている。
毒薬、麻痺薬は合計で五つ。スモークチャフが一つ。
銀ナイフも刀身に傷も歪みもナシ。
「持久戦に持ち込むのは下策だって作戦会議の時に言ったでしょう? 事ここに至ったなら覚悟を決めてもらうわよ。怖いからって動かずにいるのは許さない」
「大丈夫、そんなつもりは微塵もないよ。次の作戦で全ての決着を着けられるなら僕としても望ましい。なるべく早くこの状況を終わらせる事に異論なんてない。菜乃花の安否も気がかりだし」
「……ねぇ、その子ってあなたの何なの? 友達?」
「幼馴染だよ。その子には妹がいるんだ。その子の為にも彼女は絶対連れて帰る」
そうだ。菜乃花の妹である麗華も普段は気丈な振る舞いが目立つが芯はやっぱり女の子で妹然とした子なんだ
なんだかんだで、菜乃花にお小言を言いながらもガサツなところがある彼女の世話をしたりして慕っている。あの二人が一緒にいる姿は可憐な花が二つ並んでいると、そう感じさせる程度にはキレイな光景だった。
二人の間柄は決して険悪ではなく、仲睦まじきものだった。
慕っている姉が突然いなくなれば妹は当然、悲しいだろう。
あの子性格を鑑みればきっと人前では泣かずに一人きりの時にしか泣かないだろう。
そんな事、させてたまるか。
そんな僕を天元さんはしげしげと眺めながら目元を愉しそうに歪めていた。
「ふーん…そう…そういうのがいるのね。へぇ…」
口元を形の良い三日月に歪める彼女の表情はどこか陰が差していて、その…ちょっと…というか、かなり怖い。
こちらを嬲るかのような獰猛な嗜虐の笑みと幽霊のような不気味な気配を混合した彼女の姿は、柳の木の下に居たなら間違いなく悪霊とか怨霊の類と思われてしまうだろう。
…なんだかよく分からないけど、僕は彼女の琴線に触れてしまったらしい。
「…まぁ、今はいいわ。とにかく作戦を実行に移しましょう。ここから先の段取りは分かってるわよね?」
「うん」
彼女の言葉に頷く。そこに躊躇などありはしない。
「僕が———囮になればいいんだね?」
これから僕は指揮官であるローブの男を油断させ、更に冷静さを欠かせるために一つの賭けに出ることになる。
命賭けの囮役。失敗すれば命の危険が伴う役目。
恐怖は勿論ある。精神は警鐘を鳴らすのを止めない。
手足は少し震えて、表情もきっと緊張で強張っている。
それでも、僕は止まれない。止まるわけにはいかない。
今も危険に晒されている幼馴染と無辜の人々を取り戻すためにも。
絶対に、この作戦を成功させるんだ。
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