4-5
天元さんに手を引かれて走り始めてから数分が経過した。
とりあえずは怪物の群れから逃走する事には成功した。
僕も体を鍛えてはいるものの、流石に何分もほぼ全力で走り続けるのは堪える。
息が切れて足の筋肉に疲労が蓄積されていくのを感じる。
「あの建物の中に入るわよ」
彼女が指摘した建物へと足早に駆け込む。
ドアを乱暴に開け放ち、これまた即座に乱暴な手つきで閉める。
どこにでもあるコンクリートで固められた灰色の建物。しかし建物内はなんだか要塞の様な堅牢さと重苦しさを感じさせて、僕に多大な安心感を抱かせた。
そんな得も言われぬ奇妙な感覚も束の間、
「答えなさい。あなた、ここで何をしてたの?」
天元さんは質問から逃がさないと言わんばかりに壁に勢いよく手を押しつけて僕に迫ってくる。
美人の凄み、というのだろう。
常識の埒外にある彼女の美貌に怒りの感情が籠ると迫力のあまり体が
「黙秘する権利はあなたには無いわ。早急に答えなさい。どうしてこんな所にいたの?」
「え、と…その…古い馴染みの女の子と一緒に遊びに来てて、気づいたら今の状況に身を置いていたんですけど……。」
「へぇ……。」
彼女の眼が細くなっていく。
瞳には冷たさが帯びていき、光が無くなっていく。
彼女の周囲には噴火前の火山を彷彿とさせる危うい空気が漂い始める。
おそらく彼女は僕達の軽率さに対して怒りを抱いるんだ。
こんな何が起こるかも分からない様な危険な場所にいるのは彼女からすれば度し難い愚行に映るのだろう。
しかし僕にも一定の筋が通った持論がある。
常識が不在しているこの状況下においては何をしようとも僕の命が
ただ、道を歩いているだけで突如なにもない空間から怪物の
安全だと判断した
この遊園地に絶対安全だといえるような場所はない。
ならば、どこでどのような防衛策を労そうとも常に命の危険が付き纏っている事に変わりはないんだ。
そんな状態で必死になって自分の命を顧みる事を行動の基点にするのは、端的に言って間抜けなのではないだろうか?
理に適っていない行いに、いつまでも偏るような愚を犯して喜ぶ趣味もない。
「……僕は、まだ帰れないよ。」
「なんですって?」
自分でもバカだとは思ったけど、それでもここから自分一人だけで帰る訳にはいかないんだ。
「彼女がいないまま、帰ったとしても僕はきっと今まで通りに日々を暮らしていけるとは思えない。そんなのは、願い下げだ。」
「あなた…自分が言ってる事を本当に理解しているの? あなただって見たでしょう? 相手は人間じゃないのよ? 人間が素手で立ち向かえる相手じゃないわ。今のあなたが行ったところで三秒も掛からず八つ裂きにされるわよ?」
こちらの事を、どこか滑稽な道化者を見るような視線で睨む天元さん。
相変わらず迫力が凄いけど。それでも僕は退かない。
毅然と向き合い、心からの言葉を彼女に向けて言い放つ。
「わかってる。でも、だからなんだい?」
「……!」
僕の単刀直入な即答がよほど驚きだったのか、彼女は僅かに鼻白み、面食らっていた。
目をパチパチと瞬きさせるその様子はまるで予想だにしない出来事に驚く猫のようだった。
「それでも……なにがあろうと僕は彼女を
奴らが菜ノ花たちを殺してしまうまでにどれほどの猶予があるか分からない以上、ここで足踏みをしているわけにはいかない。
謝罪の言葉を伝えて、彼女の横を通り過ぎようとする、だが―――
「待ちなさい」
僕の手を強く掴んで引き留める天元さん。
俯きがちに静止の声をかけてくる彼女の面持ちは前髪に隠れて見えない。
そのまま、大きなため息を一つ吐き出す。
「初めて会った時からバカそうな
頭が痛くなってくる、と悩ましげに両手で目元を覆い隠す天元さん。
ブツブツと静かに何事かを囁くと、勢いよく顔を上げて僕と向かい合った。
「わかったわ。そこまで言うならこちらも出来る限りフォローはするけど…あなたが不慮の死を遂げて、惨たらしい結末に行き着いたとしてもこっちは一切の文句を聞きません。それでもいいなら好きにしなさい。」
「…手伝ってくれるの?」
「あなたが私を手伝うのよ。バカね。」
「ありがたい!」
望外の助力に嬉しくて、年甲斐も無く飛び跳ねそうになった。
彼女は今回の事件についても、あの怪物たちについても僕より遥かに事情通のようだし。
それに彼女の先ほどの戦闘能力の高さを鑑みればこちらとしては頼もしい限りだ。
僕一人で立ち向かうよりもずっと勝算が上がることだろう。
「そうと決まればついて来て。なんの作戦も無しに正面から突っ込むわけにもいかないの。あなたにも多少の力添えをしてもらうわ。向こうに会議室があるから、そこで策を練りましょう」
「うん」
足早に先導する彼女の後についていき、その背中を追いかける。
ここから先、どのようにしてあの怪物達を撃退するのか。
その議題を前に僕の知恵がどれだけ役に立つのかは分からないけど、それでもやるなら全力を振り絞ろう。
元より、手の抜けるような性分でもなければ事態でもなし。
この先に待ち受ける死地に想いを
―――あ、でもその前に
「天元さん。」
「…なに?」
タイミングを逃して言いそびれてしまった言葉を、ちゃんと伝えなくちゃ。
「助けてくれて、ありがとう。おかげで僕はまだ、ちゃんと生きているよ。」
「――――――ッ!!!」
できる限り親愛と嬉しさが伝わるように、満面の笑顔を向けながら彼女への感謝の気持ちを口にした。
「そんなのいいから!!! 行くわよ!!!」
がなりながら、地面を踏み砕くような足取りで天元さんはズンズンと建物の奥へと向かっていく。
彼女の暴力的な態度に不快感などは全く無かった。
それが心底からの怒りからくる行動では無く、ただの照れ隠しなのだと僕は分かっていたから。
僕を怒鳴りつけてすぐに振り返ってしまった彼女の顔が耳まで真っ赤になっていたのを、キッチリ見逃さなかったのだから。
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