4-4
「な…なんで、君が?」
「……」
無言で佇む天元さんの背中に朴訥な問いを投げかける。
確かに僕は日中に彼女の姿を遠目で見かけたが、とっくに帰ってここにはいないとばかり思っていた。
少なくとも、こんな物騒な場面に居てほしくないとは思っていたんだ。
なのに……
「なんで、ここにいるんだ?」
「……」
変わらず沈黙を通す彼女の背中からは静寂な気配が漂っていた。
それは夜の中にあってなお目立つ風体で。
その姿を見ているだけで何故か不思議と心が落ち着いていくのを感じた。
「ほうほう、これはこれは。招かれざる客がもう一人いたか……何者かね、君は?」
怪物を統率するローブの男が語りかけてくる。
先程と違って奴の気配からは緊迫感が漂っていた。
おそらく先程の天元さんの戦闘能力を目の当たりにした結果だろう。
手にした短剣を一度振るっただけで十体近くの怪異を消滅させたのだ。
その威力は奴らにしても警戒せざる負えないものだという事だ。
「もう一度訊こうか。何者かね?」
「黙りなさい、誰が口を訊いていいといったのかしら。」
静かでありながらも厳かな言葉。
そこに込められた殺気を僕は確かに感じ取った。
彼女の言葉は背後にいる僕に対して向けられたものではなかったが、それでも伝わってくる気配はまるで凍った刃物を肌にあてられたかのように冷たく鋭いものだった。
彼女の放つ気配に怪物達も気圧されたのか、何匹かが後ずさる。
ヒトではない人外の存在さえも震えさせる清澄な殺気が宿った声音。
(知らなかった。女性の声って綺麗過ぎれば立派な武器として成立するんだな…。)
それは人という種の臨界に近い領域にいる者だけが放つ気風、王気の流出。
この世の黄金律にピラミッドというものがあるけれど、彼女はきっとその頂点に近い存在なのだと実感する。
あれほど美しい在り方なら、きっと多くの者達は彼女に■■されても構わないと思うのではないだろうか。
「…不遜だなぁ。まったくもって躾がなってない。
彼女の態度が業腹だったのか、男は逆上したようだ。
奴が統率する怪物達が天元さんににじり寄ってくる。
彼女に対する恐怖心が消えたわけではないようだが、戦意が消えたわけでもないらしい。
卑しい獣の眼光と共に不吉な気配を向けてくる化け物に真理は静かに目を伏せる。
これ以上、奴らを視界に収める価値はないと言いたげだった。
「では続きと行こうか。あまり作業の進行を滞らせるわけにもいかないのでね。主がこの催しをご覧になっておられる以上、こちらも粗相を働くわけにもいかない。……どうした、お前達。私の命令は依然として変わらぬぞ? 眼前の人畜を早急に排除しろ。
男の声に気勢を取り戻したのか、号令と共に徒党を組んで襲い掛かる怪物達。
僕は再び迫りくる脅威に応戦すべく身構える。
同時に天元さんの懐から、ちゃぷんと液体の流動音が響いてきた。
彼女は懐から乳白色の液体が入った小さな試験管を取り出していた。
それをすかさず地面に叩きつけた瞬間、
「うわっ!!?」
「む!?」
周囲を白い煙が包み込んだ。
あの試験管の中に入っていたのはどうやら煙幕を発生させる薬品だったようだ。
煙は僕も彼女もそして怪物達も瞬く間に飲み込んでいき、周囲にある全てを二秒と掛からずに視界から完全に
突然発生した濃密な白い煙に戸惑う中で、天元さんが僕の手を引っ張って走り出した。
「こっちよ、走って」
簡潔に次の行動を促された僕は彼女に手を引かれるままに駆け出す。
何故、彼女が突如としてこの場に現れたのか。
何故、あれほどの怪物達と戦えるだけの戦闘能力を持っていたのか。
色々と疑問は尽きないものの、彼女の後に付いていくことに
この極度に切迫した状況で不謹慎な事だけど、僕は少しだけ懐かしくて楽しい気持ちになっていたんだ。
だって僕の手を引いて駆ける彼女の姿は、遠い日の
なんだかこの状況は、あの日の楽しい時間の続きにも思えてしまったから。
□
視界を白煙で覆われて、数十秒。
ようやく濃煙が晴れた頃には、もう少年と少女の姿はなかった。
怪物達の長たる男は
先の少年はともかく、少女を取り逃したのは失態だったかもしれないと思ったからだ。
あの少女が見せた怪物達を難なく一蹴してしまう戦闘能力。
あれほどの力を持った彼女を野放しにしては計画の破綻に繋がりかねない。
それだけは、なんとしても避けなければ。
おもむろにローブを下し、素顔を
西洋の血を思わせる堀の深い顔立ち。
最早、白いと表現しても構わない程に色素の薄い肌と髪。
「団長、申し訳ありません。奴らを逃がしてしまいました。追撃しますか?」
「そうだな。お前の言う通り、奴らを追う事に異はない。だがその前に…」
男の目が細く歪んでいく。
それは傍目から見ても分かる程に、とても危険な気配を漂わせていた。
男は先程の少女との邂逅において、後ずさりした怪物達をジロリと
視線に射止められた怪物はビクリと立ち竦んで、動けなかった。
「たかが
「お、お待ちを…! 団長! どうか、どうかご留意の程を!!」
「我々は化物だ。化物には化物の矜持がある。ヒトを攻め、苛み、喰らい、脅かす。そうして人間から畏怖されることを我々は
一歩、男が歩を詰める。
一歩、怪物が歩を
「このワイルハントは
「は、はい…! それは…ぞ、存じて、おります!」
「ならば———」
男の姿が消える。
同時に怪物の視界がグルグルと回転し、赤一色に染まった。
いや、
それが自身の頭部が首から泣き別れて空中に飛翔し、間欠泉の様に噴き出した血液が眼球にかかったが故だと気づくのに数秒かかった。
「…ぇ? ぁ、は?」
首を刎ねられた怪物は我ながら間の抜けた声だなと思いながら絶命した。
ボトリと宙に舞った首が地面に転がる。
男は首のなくなった怪物の胴体に抜き手を突き刺すと軽々と持ち上げて切断面から溢れ出す血液を飲みだした。
樽の中のワインを飲むように、怪物の血を音を立てて飲み干していく。
やがて、血液の流れが止まった怪物の胴体を乱雑に放り棄てると、次の怪物に手を出していく。
半狂乱になりながら逃げ惑う仲間を殺してはその血を
このワイルドハントに人を脅かすモノはおれど、人に脅かされるモノがいるなど断じて許容できるものではない。
彼の
ならばここで痛みもなく殺してやるのが情けだろうし、なによりこの手法ならば効率よく我らの戦力を補填することができる。
殺されたものが体内に蓄えていた魔力を吸い取り、自己の強化を施すための材料として使用する。
より強いモノに喰われて、勝者の糧となる。それも、我が主が敷いた法の一つ。
強きモノが世を統べ、己が意を通すことができる。
数年前に彼の御方が私を負かした際に放った言葉は今も脳裏に刻まれている。
『強きは、より欲するもの。ただそれのみだ——―』
それはまるで、神の啓示にも等しい神々しさだった。
品位? 誇り? 善良性?
知らぬ知らぬ。そんなものは生まれてこの方、見た事も聞いた事もないと言わんばかりの徹底した悪性の体現。
敵手の蹂躙をどこまでも合理的に進める指揮能力。
自身も戦場に立ち、ひたすら相手を効率よく斃す事だけを突き詰めた純粋無垢なまでの闘争能力。
手も足も出せず、戦いとは呼べぬ程の一方的な蹂躙をされ、自分を敗北の淵に追いやったあの方に自分は畏怖と同時に敬意を抱いた。
これほどまでに悪辣さを練磨した存在がいるのかと、涙を流して感動した。
そして自分もそう在れたなら、それはどれだけ充足感に満ちた生き様なのだろうと追従した。
敗北の折に自分はこの方に永遠の忠誠を誓い、付き従うのだと痛感させられた。
主の敷く法則こそが絶対の真理。
それを阻むものは一切を皆殺しとする。
あの方が紡ぐ道理こそが天の道理と仰ぐ心に疑いはない。あってはならない。
そのような脆弱が、あの方の道に付き従う資格などないのだ。
「故に死に絶えろ。お前達が歩めなかった分は、このヴァンドレッド=S=ツェペシュが担う」
無様を晒したかつての同胞に誅罰を下し、その血を飲み干した男は月に照らされて薄く笑う。
血に濡れた口元には異常に発達した犬歯がのぞいており、その姿は世界でも有数のとある怪物の姿を彷彿とさせる。
太陽に呪われ、月に愛された忌み子。
——————即ち、吸血鬼だ。
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