4-3

(ワイルドハント…?)


 名前だけなら僕も聞いたことがある。

 西洋圏においてケルトの文化が根付いている地域にて語り継がれている伝承で日本における百鬼夜行のようなものだという。

 しかし、それはあくまでも伝説の中で語り継がれている御伽噺おとぎばなしでしかない。

 現実にそんな空想めいた出来事が実在する筈が無い。無い事が、当たり前なんだ。

 だが……


(なんだ、あれは…?)


 空から、地面から、次々と奇妙な出で立ちの者が現れていく。

 首のない甲冑を纏った騎士。

 二足で立ち歩く長靴をはいた猫。

 宙に浮いた真っ黒なローブを纏う骸骨。

 他にも続々と摩訶不思議なモノが姿を見せていく。

 ここは遊園地なのだから、これらは全て着ぐるみなんだと思いたかったが…僕の脳髄は彼らを間違いなく現実だと捉え続ける。

 いっそ狂ってしまえば楽になれると分かっているのに、それでも僕の理性は頑なにこの魔的な現象を現実のものとして認識し続ける。

 幻想が現実を侵食する。

 在りえない景色に理性が焼かれていく感覚を抱く。

 脳髄がまるでバーナーで炙られているのではないかと思えるほどに強烈な熱を帯びていくのを感じた。


「運がいいな、少年。これほどの凶事に出会えるなど選ばれた者の証だよ。他の人間達と違って我々と同じ位相に立っていられるのは、つまりそういうことだ。もしかしたら君はイタズラに我々の糧になるだけの子羊ではないのかな? ウン…だとしたらイイね! これは望外のたのしみができたというものだ!」


 顔はフードに隠れて見えないが男の表情はきっと楽し気にニタついているに違いないと確信できた。

 その声と気配は怖気が走る位に冷たく、人間味というものを感じさせない。

 体はおそれにすみずみまで支配されて、身動きはおろか声を発する事すらできない。

 しかし、奴の言葉に聞き捨てならない台詞セリフが混じっていたのを確かに聞いた。


「……な、んだ、って?」


 それは僕の止まった体を突き動かすには充分な威力を持った言葉だったから。

 体中の神経がバリバリと千切れて痛みとかゆみが総身を駆け巡ろうとも、肉体を動かす事をめない。


「アンタ…今、なんて言ったんだ…?」


「ほう! その状態で口が利けるのかね!」


 男は驚愕と喜悦が混じった様子で面白そうなオモチャを見つけた幼子おさなごの様に尋ねてくる。


「他の人達を糧にするって…どういうことだ?」


「そのままの意味だよ、少年」


 朗らかな声音でこちらをなぶる様に、信じ難い言葉を当然の様に紡いだ。


「彼らはこのワイルドハントに参加した化け物達の餌食となるのさ! まぁ…簡潔に言ってしまえば彼らは我々の晩メシと相成るわけだよ」


 ……それはつまるところ、何の比喩でも冗談じょうだんでもなく。

 猛獣が草食獣を牙で噛み千切るように、ここにいた全ての人達を捕食して、その血肉をくらってしまうという事なのか……!?


戯言ざれごとを…!」


「言っていると思うかね? しかし、それが事実なのだよ。彼らは今この時もじっくりと時間をかけて我々の養分となっているのだ。あぁ…彼らの命は木苺の様な甘美さだとも。実に…旨いぞ?」


「……!」


 それは心からの本音で語られた言葉だった。

 悪意に満ちた人間の尊厳を貶める発言に頭が沸騰しそうになる。

 だが、怒りに捉われて冷静さを失うわけにはいかない。

 奴の言葉が本当なら、ここにいた大勢の人間の命が危機にさらされているという事になる。

 その中には、菜ノ花も含まれている。

 こちらにはどれだけの猶予があるのか分からない。悠長に構えているわけにもいかないのだが、あの男の正体がわからない以上、迂闊に動くこともできない。

 奴から漂う禍々しい気配は今も健在で、怒りに任せて闇雲に動くのは得策とも思えない。

 ここはまだ様子見に徹するしかない。

 一挙手一投足が即座に死へ繋がる事実を直感で捉えながら、極度の緊張状態を維持したまま好機が訪れる瞬間を待ち続ける。

 自分の持てる忍耐力を総動員して、この状況を耐え抜く。

 必ずチャンスが巡ってくることを信じるんだ。


「…お前たちは、何者なんだ? 何の目的でここに来た?」


「フム…」


 次々と異形の怪物たちが出現し続ける中で問いを投げかける。

 何をするにも敵の情報を知らなければ有効な策も練る事もできない。

 今は少しでも情報が欲しいんだ。

 幸いにも敵は僕を侮っている様にも見られる。

 見下している相手との会話を楽しんでいる事から伺えるように、僕と話をしている間は、奴らも行動を開始する事は無いと予想する。

 その油断を突いて、僅かでもいい…突破口となるような情報が手に入れたいのだが。


「我々の目的は実に単純だとも。ここにいる人間を我々の餌として喰い殺し、彼らから吸収できるエネルギー…いわば魂とも言えるものを蓄えて次の災事の下準備とするのだよ」


 男はこちらの質問になんのてらいもなく答える。

 予想通り、奴はこちらの事を見下すあまり油断しきっている。

 このまま情報をできるだけ聞き出しておきたいのだが、しかし…。


(魂、って言ったのか? あの男は…?)


 なにか有耶無耶とした形而上学的な言葉が出てきたのが意外に過ぎて、面食らってしまう。

 そんな僕を置き去りにして男は矢継ぎ早に言葉を口にする。


「ワイルドハントは人に災いをもたらす怪物の行進でね。我々を見た者、遭遇した者を例外なく殺して回るのだ。しかし…まずはともあれ、腹ごしらえからだ。腹が減っては何も為せぬのは我々、人外も同じことでね。祭りには、それ相応の舞台や材料が入用になるんだ。規模の大きい催し物であればある程、必要になる物も準備の手間も増えていくものだからね。準備はしっかりしなければ、あとで準備不足で失敗してしまったとあっては、目も当てられない。我々の主もこの催しをご覧になっておられるのだから」


「主…? この事件の首謀者は別にいるっていうのか?」


「さぁ…? どうだろうねぇ? わからないねぇ?」


 男は粘つくような陰湿な嘲笑を浮かべてこちらを弄ぶ。

 それはとても危うい気配を帯びていて、僕は無意識に臨戦態勢を取ってしまっていた。

 僕の姿がよほど滑稽に映ったのか、周りにいる怪物たちもけたたましく嘲笑の声を上げる。

 彼らの声を聴いているだけでも精神をやすりで 削られていくようだ。

 常識を逸脱した不吉な情景は斯くも人の精神こころを蝕んでいくのだと否応なしに実感させられる。


「ここをオードブルとするならメインは首都である東京だよ。この埃っぽさに彩られた猥雑な国の主要都市を思う様に蹂躙するのは…なんて楽しそうなんだろう! 逃げようにも逃げ切れず、バラバラに解体される老人。四肢を噛みちぎられる苦痛に耐えきれず泣き叫ぶ女。親の臓物と返り血を浴びせられ、茫然自失となった子供。それらを守り切れずに目の前で蹂戮されていくのを黙って見ているしかない無様な雄犬と化した男。あぁ……あぁ……ッ……絶頂すらできてしまう位じゃないか!」


 聞くに堪えない醜い言葉を耳朶じだに流し込まれて、体の奥底で何度も怒りが爆発するのを感じる。

 この男と怪物達を野放しにしてはいけない。

 彼らは本当に、本気で先の言葉を実行に移すつもりだ。

 事は更に大仰な事件へと発展しつつある。

 彼らはここにいた人間だけではなく、首都である東京の人達にも凶手を伸ばそうというのだ。

 首都にいる人間の数はいったい何人になるのか。

 千ではきかない。最低でも数百万という大規模な数だ。

 奴らの凶行を止めるための手段を考えたいが、どれもこれも現実的ではない。

 こちらは一人、あちらは数百。どう考えたところで多勢に無勢だ。

 人間が武力闘争において一度に相手取れる数は、どれほどの達人でも精々が十人前後と言われている。

 それも武装をした状態での話で、こちらは素手。

 武器となるような道具も持っていなければ落ちてもいない。

 おまけに相手は文字通りの人でなしだ。

 怪物と相対するのは初めてだが、もしも御伽噺おとぎばなしの中で語られている様な超常現象を引き起こす能力でも持っていようものなら猶更なおさらこちらには勝ち目が薄くなる。

 もし、このまま戦闘状態に突入すれば叔父から武の手解てほどきを受けている僕でも三十秒と持つまい。

 最悪の未来を想像して嫌な汗が滴り落ちる。

 せめて、この異常事態を外にいる誰かに知らせることができたなら、まだ状況は覆せるかもしれないのだが…。


「さて…君で遊ぶのも楽しいので、私としてはもう少し続けていたいのだが。生憎とこちらのスケジュールも立て込んでいてね。」


「ッ!!!」


 ……まずい。これはもしかすると——————!!!


「これより我らは主の命に従い、災厄を振りまくために進軍を開始する。喜びたまえ、ワイルドハントがひき潰す最初の犠牲者よ! その魂は必ずや喜びに満ちた黄金のそらへと連れていく事を約束しよう!」


 敵は僕の予想を裏切る速さで行動を開始する。

 こちらは戦闘に役立つような情報はおろか、消えてしまった人達の情報も碌に手に入れる事が出来ていないというのに。

 男の指示に従い、怪物の群れがまるで軍隊のように規律正しく統率されていく。

 それは、まさしくまがつの行進。

 世界に災いをばら撒き、凶事を為し、人の魂魄総身をむしばさいなむ事を賛美する魔の進行。

 ヒトという種を蹂戮じゅうりくし、ヒトの営みを汚濁の津波で飲み込まんとする凶変災禍きょうへんさいか


「では、お別れの時間だ。さようなら、ここで無価値な命として無様に死ぬがいい、少年よ! March進め!!!」


 男の指揮を受けて怪物の集団が押し寄せる。

 誰も彼もが隠すことなく、狂喜を前面に押し出して向かってくる。

 事ここに至っては致し方ない。どれだけ耐えられるかは分からないが、それでも出来るだけ長く敵を留める。

 僕は自分の命が長くない事を悟る。

 それでも退しりぞくことは選ばない。

 自分の命が尽きると知っていても、それでも奮い立たねばならない事はある。


 どうあがいても勝てない/だから意味はない。

 なにも守れず、救えない/だから価値もない。


 自分はこれから何も為せずに死んでいく。その厳然たる事実に心が押し潰されそうになる。

 心が空虚で満たされる。

 急速に魂から熱がなくなっていくのを感じる。

 肉体は活動することを拒絶し始めている。

 だが、それでも——————


「征くぞ、化け物」


 僕はもう、とっくの昔にあらゆる不条理から守りたいと思える程に貴きモノを見出していた。

 宝物のように綺麗だと思えたモノを理不尽に奪われるのは我慢ならなくて。

 それらを失う方が、命を失うよりも怖かった。

 僕がこの局面で動くことができるのは、ただそれだけの理由コト

 自身の尊厳を、隣人を守る為なら自分の命を惜しんでなんていられない。

 迫りくる怪異の波濤はとうに向かい合い、大きく踏み込む。

 この抵抗に意味も価値も無いとしても、それでも何もしないでいる理由にはならない。

 人間じぶん達の存在は、お前達化け物にイタズラに玩弄されなけらばならない程に、安くもなければ軽くもないのだと思い知らせる!!!

 目前の敵手に拳を突き立てるために腕を大きく振りかぶった。

 瞬間——————


「そこまでよ」


 月を静かに震わせる凛々しくも華やかな声が響き渡った。


「え?」


 声が響くと同時に僕の目の前にいた怪物たちが一掃される。

 茫然とその姿を捉える。

 風に揺れるのは落陽にも似た凄絶な輝きを宿す黄金の長髪。

 鶴の羽の様に優美な白を讃えた和の羽織。

 謹厳な黒い軍服。

 見る者に長い歴史の重みを感じさせる古めかしくも立派な意匠の短剣を携えて。

 疾風すら置き去りにする速さで現れた天元真理が、眼前の怪物達を殺意に満ちた鋭利な眼光でめつけていた。





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