4-1

 そうして、時間は現在に戻る。

 真理は既に天元の家から協力要請を受けて話が通っている遊園地内に設けられていた警備施設の一部屋を借り受けて、資料に書かれていた鬼に関する情報を頭の中で反芻はんすうする。

 同時に、懐へ収納してあった武器と道具一式の確認もこなしていた。

 戦闘行為に入る前に使う予定にある武器や道具のメンテナンスなどをして時間を潰すのは真理にとっては日常であり、それのおかげもあってか彼女は様々な武器に関する知識や使い方を熟知する事となった。

 西洋剣と東洋剣の扱いの違い。

 銃器の手入れの仕方。

 魔術によって作成された道具の取り扱いなどなど…。

 天元真理は魔術の分野に特別明るいわけではない。

 一般人がカメラの使い方を理解していても、それがどんな原理、仕組みで動くのかを分かっていないように、彼女は魔術によって作られた道具の効率の良い使い方は知っていても、それらの製造法や構造の把握に関してはまだ見習い程度の知識しかもっていないのだ。

 魔術も修めた理道によれば、知識の量や技能に関しては現状では並みかそれ以下といったところだそうな。

 もっとも、素養自体は悪くはないので鍛えていけば、ゆくゆくは上位の魔術も当然のように使いこなせるようにはなるとも言っていたが。


 彼女からすれば、こういった才能の有無については別になんの感動もなかった。

 自らの性能の高さを驕ったが故の傲慢でもなく、

 自らの能力を疎ましく思ったが故の侮蔑でもない。

 ただ単に、この世の物事に対して基本的に無頓着で無関心なのであった。

 自分自身に対して極度の負の感情を抱いている真理は日常的に自分を嫌っており、そういった手合いの例に漏れず彼女は周りのモノも基本的に嫌悪して距離を置く傾向にあった。

 自分を取り巻く環境、人、思想、何もかもがわずらわしい。

 嫌悪であれ、好意であれ、それらそういった感情が一定の域を振り切れれば、やがては無関心になるのが人間の精神の仕組みメカニズムだ。


(まるで毒薬と腐汁の海に体をひたしているような気分…。)


 嫌悪感、倦怠感、忌避感。

 それら悪感情をもたらす諸々もろもろの要素。

 自分に不快感ばかりをもたらすこの世界をどうして好きになれようか。

 いつしか興味を抱くことにも億劫になった。

 しかしそれを師父や理世様、爺やは気に懸けたし、私にも気に懸けるように言ってきた。

 法律的を犯しているわけでもなければ、私の実生活に大きな支障が伴うわけでもなし。

 関心を抱く事の方が難しいのに何故そのような酷な事をさせようというのか。

 それが不快でありながらも心のどこかで快いと感じるのは一体、何故なのか。

 私は理屈で説明しきれない想いに胸をもやつかせながら鬼が発生すると予測された深夜の丑三つ時うしみつどきである午前二時まで一人、時間を過ごす。


 その筈、だった——————。





 □






 夕刻となって日が傾き始めた。

 最後の観覧車の中で地平線に消えていこうとする太陽を見つめながら、ゆっくりと流れていく時間に身を任せて穏やかな空気を楽しんでいた。

 菜ノ花とのデートもそろそろ終わりが近くなってきた。

 今日一日を振り返って出てきた感想は、


「うん、楽しかった。」


 その一言に集約される。

 十年以上前に菜ノ花の家族と一緒にココへ来た時と同じく、忘れがたい楽しい思い出を作れたと思う。

 今回は菜ノ花と二人で来たというのに、あの時以上に騒がしく賑やかな時間を過ごごす事となった。

 十年前から変わらず…いや、あの頃以上に彼女は快活で、そんな彼女も今はこの静かな時間を甘受したいのか穏やかで柔らかい眼差しで夕日を眺めていた。


 黄昏に照らされた彼女の横顔。

 彼女は元々、整った可憐な容貌の持ち主だ。その横顔は強い光に晒されて、可憐さを更に引き立たせていた。

 彼女の明るさと芯の強さを表すように、今の彼女の硬い茶髪は熱を帯びた赤鉄のように赤く染まっており、熱を宿したかのような綺麗な髪に思わず見とれてしまい、気づけばジッと彼女を見つめていた。


「なぁに? どうしたの、真也?」


 視線に気づいたのか彼女がこちらへ振り向く。

 彼女に見とれていたのが少し面映ゆくて、続く言葉に詰まりそうになるが…できるだけ平静を装って答えた。


「別に? 菜ノ花が静かに夕日を眺めている様が妙にセンチメンタルな感じがしてね。いつもの君とはかなり印象が違ったから、それに少し驚いてただけだよ」


「あら? それって夕日を眺める私が結構、様になってたってこと? こう…なんだろ…黄昏美人、みたいな? 静けさと荘厳さを身に纏ったどデカい国の王族みたいな感じとか漂ってた?」


「いや、君の場合は精々が下町の料理屋の女主人ってところだろう。王族とかあんまり似合わないようなが気がする…。だってロイヤル感が無いし」


「なによ~! 私だってドレスとか着ればそれなりにセレブっていうか、貴族っぽい雰囲気オーラ出せるんだからね? こう、孔雀の扇子で口元を隠して「オホホ」って笑ってみたりとか」


 言われて、ドレスを纏った彼女の姿をイメージしてみた。

 口元を扇子で隠して蛇のように艶めかしい目線を向けつつ、薄く笑う菜ノ花。

 しかし、どうあがいてもセレブなご婦人というイメージが伴わなかった。

 お客さんにお出しするお料理をつまみ食いしているダメダメなメイドさんや大きなテーブルに所狭しと並べられたご馳走をハムスターよろしく頬一杯に詰め込んでいる町娘とかなら簡単に想像できたのだが。

 ……まぁ、着飾ればギリギリ貴族の娘くらいには見えるかも、だ。


「どれにしたって、菜ノ花は人気者になれるだろうな。君、なんだかんだで美人なんだし。いろんな男からプロポーズの嵐を受けるだろうさ」


「わひゃい!!? び、美人って…な、なに言ってんのよ、アンタは!!」


「? そんなに驚くことかい? 僕だって君がモテることくらい知ってるんだぞ? 今年の入学式からこっちずーっと告白されたり、ラブレターを靴箱に入れられたりとか」


(……それでやきもちの感情とか見せたりしないあたり、ちょっと気に食わない。)


「うん? なにか言ったかい?」


「な・ん・に・も!」


 菜ノ花は何故か急に機嫌を損ねてプイっと窓に顔をそ向けてしまう。

 なんだろう? 何か機嫌を損ねるようなことを言ったかな、僕は…?

 再び夕日に照らされて光を帯びるなのはの横顔。

 見慣れた筈の彼女の顔に言いようのない感覚を抱いて、僕も彼女につられる様に夕日を眺めることにした。

 沈みゆく日の光。

 太陽が一際まぶしく光を放つこの時間帯が僕は好きだった。

 マリーと出会ったあの時の気持ちを意識、無意識に関わらずに思い出して何度も噛み締める事ができるから。

 僕となのはのいる空間に沈黙が満たされていく。

 厳かで静かな時間を言葉で払ったのは、菜ノ花だった。


「ねぇ…真也。アンタは高校生になって、自分の中で何か変わった事ってある?」


「ん? ないけど?」


 質問に対して僕は淀みなく即答する。

 質疑応答に時間が掛からなかったのは、それだけ心からの本音だったということの証左だろう。

 それに対して、菜ノ花が少しだけ悲し気に眉をひそませた。

 ———どうして?


「やっぱり、変わらないね…真也は。子供の頃からそうだけどさ。真也は本当に変化がない。ご両親がいなくなってもあまり動じていなかったし。芯が強くてブレがないんだわ。ずっと同じ所に佇んで、変わらずに同じ在り方を続けてる。それを…とても簡単でありきたりな事だと、アナタは思ってるんだよね?」


「? ああ…そうだよ?」


 なんだろう。質問の意図がまるで分からない。

 何故、彼女がそれで暗い面持ちになっているのかが僕にはまったくわからない。

 僕は男なんだから多少は自分というものを強く持ち続けるのは道理に適った事だと思うのだが…。

 それが、なにか特別な事だとは僕は思わない。

 他の男性だって、きっと僕と同意見だろう。

 家族と過ごした何気ない生活の営みとか。

 大切だと思えた友人達と楽しく遊んだ事とか。

 初めて誰かに恋をした瞬間とか。

 そういう自分という存在を…いわば魂の根幹を成す要素となるモノ。

 その一要素である記憶という名のパーツを丁寧に扱い、大事に保管する。

 要するに思い出を忘れずに離さないという事は、誰だってやっている事だろう。

 それは取り分けて称賛されるような事でも、なんでもないと思うのが僕の偽りない本音だった。

 けれど、菜ノ花は…それこそが———


「うん…やっぱり…。ホント、生半可じゃないなぁ。手強てごわ手強てごわい。まだまだ先は遠いわ、コレ…」


「…? えっと…ねぇ、菜ノ花? 君の伝えたい事がよく分からないんだけど? …なんだろう? 僕に何かマズいところでもあったかい? さっきも知らずに君を不機嫌にさせてしまったみたいだし」


「…フフ♪ いいのよ。アンタは、それでいいの。そういうところもイイって思ったんだから……」


 穏やかに微笑む彼女に思わず息を呑みそうになる。

 それはとても柔らかな、慈しみに満ちた優美な笑顔だった。

 なんの確証もないけれど、きっと僕はこの笑顔を生涯、忘れないのだろうと心のどこかで確信した。

 それ程までに、今の彼女の笑顔は——————。


「フフン~! 見てなさいよ、真也? 私だって、それなりに女の子してるって事をいつかアンタに思い知らせてやるんだからね!」


「…う、うん?」


 なんの脈絡もなく、いきなり指差されて宣戦布告めいた宣言をされてしまう。

 夕日に照らされた菜ノ花は、いつもの快活な雰囲気を纏っていて、

 先ほど彼女から漂っていた大人びた気風は、既に遠いどこかへと飛び去っていた。





 □






「んぅ~~~! 遊んだぁ!  目一杯、遊んだわ! もう、限界…無理…。体力、気力、財布の中身もすっからかんよ!」


「財布の中身が空っぽなのはまずいだろう…。明日の昼代、貸してくれって言っても貸さないからね」


「えぇ~?」


 額にうっすらと汗をにじませて、エネルギー切れを宣言する菜ノ花。

 彼女の雰囲気から察するに本当に今回の遊興は彼女に応えたようだ。

 時刻は午後の七時。

 ジェットコースター、メリーゴーランド、フリーフォールにコーヒーカップとお馴染みの遊具から、夢の国特有の娯楽施設などなど。

 大小を問わず、二十近くのアトラクションを半日で回ったのだから結構なタイトスケジュールだったと思う。

 最後に賢人へのお土産に西部劇の拳銃を模したライターを選んで、僕達は夜に行われるパレードを見て帰路へ着くと、二人で相談して決めた。

 パレードが通る通路には人が入り込まないようにロープでしきりが作られており、運良く最前列に陣取ることができた僕と菜ノ花はパレードを心ゆくまで堪能した。

 夢の国のキャラクターに扮装した人達が様々な彩りのイルミネーションに照らされて移動ステージの上で小気味よく踊ったり、観客に向かって手を振ったりして色々なパフォーマンスを披露する。

 これには菜ノ花も大はしゃぎで隣にいた小さな子供と一緒にキャラクター達に手を振ったりしていた。


(ホント、子供みたいだなぁ)


 幼子と一緒に無邪気にはしゃぐ彼女の姿は微笑ましくて、いつまでも見ていられる気がした。

 夜の暗さすら遠くへ吹き飛ばしてしまいそうな明るい光と賑わいが遊園地内をどんどん満たしていく。

 パレードの盛り上がりは最高潮に達し、最後にパンフレットに書いてあった花火を用いた演出がいよいよ始まろうとしていた。


 その時に——―――


「――――――――――――え?」


 突然、菜ノ花が消えた。

 彼女だけでなく、パレードを見に来ていた多くの観客も。

 パレードの周囲で扮装をしていた遊園地の職員さん達も。

 人と呼べる者が、なんの前触れもなく全て消失していた。

 それと同時にもう一つの異常が起きていた。

 深い夜の闇が、訪れていたのだ。

 時刻はまだ七時半を過ぎた頃合いで、深夜の暗がりが夜を支配するには早すぎる。

 それを差し引いても、この夜の深さは常軌を逸していた。

 パレードの電飾はおろか、周りの電灯は全て消えてしまい。

 空には星が存在せず、大きな満月が唯一の光源として空に浮かんでいた。

 目を突き刺すようなギンとした冷たい光を放つ月があるものの、それでもこの夜を照らしているとは評言できない。

 むしろ、あの月があるから周囲の闇がより一層濃くなっている様にも感じられた。

 そして、月に対しても大きな違和感を覚えた。


(なんだ…あれ……? なんで、満月が…? 今日の月の形は三日月だったのに…)


 月の形が三日月から満月へと変化していたのだ。

 ありえない。月がたった数秒で形を変えるだなんて事も。

 自然の営みで、このような暗い夜が創られる事も。

 人が何の前触れもなく、突然消えてしまうことも。

 ありえない、ありえない、ありえない——————!

 なんなんだ、コレは——————!

 この夜には、異常性しか存在していない———!

 突然起きた異常事態に動揺しそうになるが、今は菜ノ花の行方が最優先だ。


(今は一秒でも早く、彼女の安否を確認したい!)


 夜の暗がりを闇雲に走り出そうとした、その時に。

 大きな鐘の音が夜の空に響き渡った。

 ゴーン、ゴーン、ゴーン、と一定のリズムで鳴らされる鐘の音。

 それは、この夢の国に建てられたシンデレラ城に備え付けられた鐘の音ではなく。

 もっと別の、不吉なものから発せられた音色だと思えた。

 途端、消えていた筈の電灯に再び明かりが灯った。

 しかしそれは電気が発する光ではなく、電灯の中にはゆらゆらと揺らめく青い炎が鎮座していた。

 その炎には現実味というものが欠けていて。

 まるで見る者の生気をむしばむように奪っていく、伝承の中で語られている鬼火のようにも思えた。


 無人となったパレード。

 怪しげな静けさに満たされた夜の世界。

 そうして、僕だけしかいないパレードの中に———


「おや、来客かな?」



 耳から内臓を凍り付かせるような怖気おぞけの走る声が木霊する。

 突如、かけられた声はパレードの移動舞台の上から。

 誰もいなくなってしまった華やかなステージの上には、フードで顔を隠した黒いローブを羽織った何者かが佇んでいた。

 声からして男性だと判ったが、

 ——————なんだ、あれは?

 

 彼を見ているだけで氷水のような冷たい恐怖が体中を侵してしていくのが感じとれた。


「この催しに人の来訪があるとはね。これは些か以上に驚きだよ、君。こちらとしては予定外の事態なのだが、さて……?」


 恐怖で体の動きがどんどん鈍る。

 呼吸が、ウマク、デキナク、ナッテイク。


「まぁ、いいか…。ヒトが一人、迷い込んだところで計画に支障はあるまいよ……。はじめまして、少年。そして、さようなら」


 男は朗々と出会いの挨拶と別れの挨拶を同時に口にして、


「今宵、これより始まるは西洋ヨーロッパにて太古より伝わる夜の狂宴……」


 腕を大きく、蝙蝠の翼のように広げて。

 夜空の果てまで届けと言わんばかりに、高らかに歌いあげるように、


「怪物の凱旋――――――ワイルドハントである!!!」


 怪物の跋扈する夜の侵略、ワイルドハントの幕開けを告げた———。






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